ブログのどこかでも書いてると思うが、学生時代、地元の温泉旅館で(厨房の皿洗いの)アルバイトをしてた。
さまざまな職種、世代背景の「もてなしのプロ」たちが ひしめき合う活気にあふれた職場。当時 人づきあいに疎くてネクラであった自分に「こんな大勢に混じって黙々と精進させてもらえる"労働空間"が あったんだ❕❔」という、初めて、前向きの社会観を持たせてもらえた感謝の仕事場である。
一方でこんな齢にもなると、さも観光旅館めいた温泉より「ひなびた温泉郷」にでも「ひとり籠(こも)りたく」なる。
「ひなびた」とは「田舎な、都会の喧騒から隔絶された」みたいな意味合いに使うが、要は「もう都会じゃ味わえない、時間が止まったような懐かしさに浸れる」ってことである。記憶のなかの光景が、現に今も消えずに残されてるってことだ。
きょう、自分なりに考察する島根県の「有福温泉」。
そこは大正時代まで、「日常に疲れた社会人が、多くはひとりきりで逃げ込む秘湯」として愛された。深い山蔭に、いい湯と酒と食事を除いて何にもない。そういう「隠れ場所」としてマニアックに愛されてきた。
にわかに風向きが変わるのは、この温泉郷内に『有福大仏』が安置され、当時としては超モダンな(鉄筋コンクリ造りの)外湯施設『御前湯』が建てられた昭和初期である。あとで細説するが、この「振興テコ入れ」には富国強兵を火急の国是とする軍国政権の意向が大きくはたらいてた。
そして以下に論じていくように、そこから戦中のハンパない栄華バブルが訪れ、終戦を挟んで高度成長。有福温泉は どんどん「日本人の愛した」ひなびた温泉郷の姿を失ってゆく。
今、同温泉は収益力疲弊の苦境にあえぎ、衰亡の病魔とたたかっている。ここ十年二十年の団体国内旅行の終焉が最大の「凋落の主因」のように言われるが、もともとの(=大正までの)有福は限りなく個人客が相手の「細々たるカルトな」人気スポットだった。それが百年前の「戦争特需」で全部、ダメになって現在に至ってる💣 との基本認識なしに、今の泥沼からの脱却は あり得ない。
復活への道標(1) 人は今も、"ひなびた景観"の中に身を埋めにやってくる
ひなびた ひなびたと連呼してるが💧 具体的に「ひなびてるコトの魅力」とは何か。どう視覚に映えて、脳内インプットされるか。
街灯すら無いとか、ただ田舎臭くても「ひなびた」とは言わない。逆に、LED照明や自家用車や、そこそこの道ゆく人に溢れてたって「ひなびた」景観は成立する。実例を海外/古都リスボンと国内/温泉街の夜道で見てほしい。
静かな夜、風情ある小路をミニ路電が登る ─ Lisbon's Tram 28
渋温泉の街並 : Walking Around Shibu Onsen Hot Spring
ご覧のように、「ひなびた」とは「異空間に迷い込んだような」に近い光景を言い表してる。
むしろ狭い、色味に欠ける、とはいえゴチャゴチャして不便そうな「窮屈さや没キラびやか加減、樹々の匂いや鬱蒼(うっそう)を愛おしむ人間心理」が生み出す、先進国民に共通の郷愁。それが「ひなびた場所」であり、記事巻頭=ヘッダー画像の版画にも遺(のこ)されてるように、御前湯が置かれる以前の「有福温泉」とは、そういう稀有な異空間として見事に❕ 確立してた。
団体客や、土産販売の当てが最初から無い分、せせっこましい坂の小道、石段、薄暗がりの迷路。
どの宿屋も同じような渋い色目、造りは旅籠(はたご)調の木造家屋。それがジグソーパズルのように寄り集まってこその、至上の🎵"有福体験"だった。
復活への道標(2) たかだか20年ぽっちの衰退にばかり囚われるな
ふたこと目には「大火や集中豪雨の悲運も重なり」とか「旅館が ついに3軒のみに」と報道される有福温泉。ここ急に差し迫った危機のように、根本問題を矮小化しない方がいい。
たしかに、ここ最近のことは立て続けに温泉経営を揺さぶった。しかし、そうなる道筋は「この20年を生み出した、そこまで百年の温泉街の舵取り」にある。
▼2004年X月X日 老舗旅館「ぬしや」 郷外の幹線道沿いへ転出。
▼2010年8月8日 「和田屋旅館」「たじまや旅館」「寺部屋旅館」火災で全焼。
▼2017年~3月 「小川屋」廃業。「旅館樋口」の有福観光が11月破産。
▼2017年5月9日 3軒の外湯を経営する「有福振興」が資金枯渇で破産。
▼2022年/春 郷内唯一の食堂「落合商店」コロナで閉店廃業。
復活への道標(3) "おひとり様の隠れ家"が、国策で戦時下の風営ランドに
日中戦争が常態化した昭和10年代、広島から呉に拡がる軍港エリアが(アジア解放の大号令一下)大陸平定への出陣拠点として栄えると、そこから「ホド良い距離感」に散開する温泉地群は、軽度の負傷兵や非番兵のための「保養湯治スポット」として財政的な優遇&テコ入れ、戦傷兵の送り込みを受けるようになる。
もちろん、それは単なる療養滞在に留まらず、慰安サービスを含む「骨休め全般」を一手に引き受ける遊興ランド「花街」と化すことを意味してた。有福温泉も例外じゃない。
前述の通り『有福大仏』も『御前湯』も、その空気感のなかで建立された。それまでの「ひなびた瞑想の里」に突如、脚光。これからは団体さま=軍人ご一行のための「バラ色のエンタメ💗パーク」を志向すべく政治的に組み込まれ、公金で無理くり餌付けられたのである。
事実、栄えた。ボロクソ💧 儲かった。
敗戦後も(朝鮮特需による)復興が早かったせいで、その後の社内慰安旅行ブーム、修学旅行ブームの波を貪欲に吸収し続けた。まあ有福だけに限らんが、全国の温泉観光地にとっても「満帆の高成長時代」へ栄華は受け継がれていった。しかし、その成功体験が「かつて魅力だった異空間」の片鱗すら、街角って街角から奪い去ってゆく…。
復活への道標(4) 気がつけば「ひなびた景観」は廃れ、フツーの街並みに
たとえば、廃業した『小川屋』さん。(団体さんじゃなく)家族連れに数部屋を提供する「典型的な凖洋風の昭和ペンション」な外観で、宿主の住居も兼ねてた。
こんな鉄筋洋館づくりの民宿、全国の都市部郊外にだって星の数ほど建ってるだろう。このような、木造から洋館混じりな建て替えが、この温泉街ではここそこに続けられ、まだしも景観的に「ひなび続けてた”再生に有望な”エリア」は転出や大火でごっそり抜け落ちた。
景観的に「もはや大正までの風情が台無し」と言えば、先日まで営業してた『落合商店』さんにしても同じだ。まるで、昭和の「よくある お好み焼き屋さん」店頭のよう💧 遠路はるばる、ここまで訪れないと「味わえない視覚の旨(ウマ)み」がないのだ。『有福温泉』という光景だからこそ輝くファクターも無けりゃ、テーマ的に統一された「懐かしさの様式」もありゃしない。
なので今回、それをリノベして「画期的なセントラルキッチン」に生まれ変わりました❔ とか言ってんだが、方向性まるっきり誤ってる。
モダンなもの取入れましょう、温泉街まるごと(リソース共有して)効率運営しましょう。それって大昔の『御前湯』の建立コンセプトと全っ然、同じじゃん💧 懲りもせず百年越し、何十回と同じ過ちを繰り返してたって、いつまで経っても再生の福音にはならないんだ。世間のターゲット層に「ああ、行くなら有福でなきゃ」とまでは思ってもらえないんだ。
現在、廃屋同然で景観を損なってる旧旅館2軒は まもなく解体され、公費も注ぎ込んだ「最後の再生策」で2017年以前の部屋数まで戻す。曰く「高級ゲストルーム」や「展望デッキ」なども出来るようだが……すべて同一コンセプトの、景観テロの象徴『御前湯』が出来てしまう前、赤瓦の和民家な外観で統一することが出来るのか❔ そこが最大のカギになる。すでにリノベした旧・落合商店も青瓦&洋館基調のままではダメだ。
ところが…
2022年春以降になり見えてきた「休廃物件」の改装状況を見る限り、その外観はステレオタイプな『モノトーン(白黒)を基調とした和モダン』に統一❔しようとしているようだ。これまた前出のセントラルキッチンと同じ流れ。幕末から明治大正の江津に佇(たたず)んだ、伝統の古民家の風情とはホド遠い。先が思いやられる💧
復活への道標(5) 「樋口」の失敗と「ぬしや」の成功こそ、すべて
そもそもだ。地産地消のイタリアンで接待とか、カフェ経営とか和モダンとか、洒落たパーソナルな癒し空間に改築……なんて手法なり方向性は、とっくに!自己破産して果てた『旅館 樋口(有福観光)』さんが、集められる限りの資金を費やして実践。やれることは「やりつくしてる」。
そういう、ベクトルが総花的な「エンタメ要素の底上げ」の矢を何本放ってもダメ。それで現在の「有福の街並を歩くこと」に「そこにしかない特別の愉悦」が深まるのか❔❔ 「どこにでもある平板なリラクゼーション」が付け足されるだけじゃないか❕
その一方で17年前、変わり果てた"殺風景な"現・温泉街の変わりように見切りつけ単独、転出に踏み切った『旅館ぬしや』。
当時の女将は、近くの山林に数軒の古民家を「らしい配置で」移築。『御前湯"テロ"』に始まる昭和の激動で消えた温泉宿本来の木造集落のイメージを、一から雑木林のなかに再興した。
百年前までカルト人気を誇ってた「深い林に包まれた"異空間"有福でしか浸れない光景」を可能な限り復元させたコンセプトは大当たり。SNS上の利用者レビューでも安定した高人気を誇ってる、という揺るぎない事実が。今(郷内に)残る3軒の経営者は「輪から出てった者は追わず」じゃなく、つけられた差の中身をもっと真摯に精査し、受けとめた方がいい。
じゃらんの予約実績データからだと、このお宿。宿賃が「お高めプラン」中心なせいもあり、傾向値と比べると「中高年男性ひとりでの」宿泊が多い。まさに❕ かつて明治や大正の頃に「俺さまの隠れ家」として用達してた湯治愛好家らと、同じ。彼らの嗜好ニーズを見事につかまえ直し、令和の今も❕ リピ客として囲い込むことに成功してるのだ。
むろん、ひとたび宿部屋に入れば洋風ベッドやイタリアンメニューがあっても良かろう。それこそ「さりげない心くばり」の範疇ってもの。
が、傍目には(宿から見渡せる)街全体が「ひなびた、懐かしさを覚える異空間」との統一感で満たされてること。最低限、この条件をクリアできなくて「秘湯」と呼ばれる遠隔地の温泉郷に、再生の道はない。
=了=
この話題の関連記事:
- 【まさか❕❔】 アメリカ惣菜食文化のアイコン、あの箱状テイクアウト容器に描かれた"四重塔"のモデルが⚡実は…
- 閉幕した「G7サミット2021」の会場が、映画『アバウト・タイム』(2013年) ゆかりのロケ地に近いか遠いか🔍調べてみた。