2011年12月の日記を更新
ラジオで📻やってました。
書く、というのは、もともと「宛て字」表現なんですね。(そもそも『宛てる』も、宛て字でしょうが:笑)
強い陽ざしに「肌をやく」ことを「灼く」と宛てる作家さんがいるように、ある日、「字をかく」ことを「書く」と記す人たちが出てきた・・・(この漢字の宛てかたが)使われ始めた当時はずいぶん「おしゃれ🎵な表記法」に感じられたことでしょう。
で、「かく」という動詞(=音表現)自体は、「動作で表わし伝える」「身ぶり手ぶりで(状況を)しのぐ」って意味らしいです。
水を手のひらで押せば「水をかく」ですし、紙に塗料を押しつければ「絵をかく」、恥ずかしい失態をすれば「恥をかく」。労力を伴って汗を流せば「汗をかく」。痒くて「ぼりぼり(肌を)かく」・・・等々。
「書く」「掻く」などは一般表現として(もはやワザとらしい宛て字とは感じられないほど)定着しちまいましたが、世が世なら「恥く(かく)」、「汗く(かく)」という表記法だって 当たり前に使われてた❔かも。
言葉なんて、つくづく流行の産物ですね。言葉の勝手な使われよう💧に国語が乱れる、けしからん❕ と怒る教育者だの文化人が多いです。
が土台、止められない時間を(人間ごときの)法制で"止めて"「国語の骨子を定める」こと自体に無理があるなあ^^; 文法を壊し、用法を崩し、語法や解釈をアレンジしまくりながら「今」に至った日本語が、今さら一過性の法的拘束で「変化をピタリと止める」ワケもなく・・・。ねえ。
自然の摂理ですら、時間の物差し次第で(どーにでも)変化します。太陽が「東から出て西に沈む」のも、あくまで「今現在に限れば」の話。未来永劫に正解であるとは誰にも言いきれない。何十億年後に地球の自転軸が180度反転しようもんなら、「陽は西から昇り東に没する」ことも起き得ます。
自分は「ツイッターに発く」「ブログに発く」という表現がごく自然に定着して小学校の国語のテストに出るくらい方が^^; 「日本語はしなやかで刺激的で活気があるなあ^^」と思える人なんでありますがww
わたしたちが学んだ歴史や科学と、今の中高生が学ぶそれは(当たり前のように)違います。彼らが「違う国語」を学んではいけない、とするのは論理的に言って「狭量に過ぎる」し「学ぶ楽しさ、変化を捕まえる適応力」を削いでいる?ようにも感じるのですが。