よく話題になることですが、中国で「酷」と書けば、ずばり「冴え渡る、気分がスッキリする、爽快感を覚える」というニュアンス。同じく「酷味」とか「酷味十足」といえば、「COOL、かっこいい」というホメ言葉なのであって、けっして悪い意味には使いません。
「告」の字源は「告げる」以前に、「埋め尽くす」とか「ぶちまける」、「いっぱいにする」の意味。
もともとは「酒を注ぐ(つぐ)」の「注」も当て字で、「酒を告ぐ」だったようです。人をべろんべろんに酔わせるまで酒浸けにする、食いきれなくなっても皿に盛るのが中華流のマナー。彼らは小ぢんまり綺麗な体裁の御膳より、無造作に見えてでも量感が張る食卓にこそ嬉々としがち。そんな感覚から、「告」に酒へんを付けて「酷」と書いたら、「満たされて心地よい」「びんびん来る」といった意味合いに。近代以降、今では飲食に限ってじゃなく、痛快な気分や強い好感に対して広く使われるようになったとか。
これが日本じゃ違います。
厳密には江戸期あたりから180度 食い違ってきます。思想家や文化人らが「遠慮と節制、痩せ我慢を尊しとする気風」の全盛期に入って、日々を質素に切磋琢磨が美徳。「酷」まで飲み食いするは悪徳!とされて、「節度を超えている」「無理強いしている」「容赦なく執拗である」というネガティブな表現文字になったらしい。お酒の「酷(コク)」が、「後味を残す風味の元素」として言われはじめたのも、こうした語感にぴったり合ったから。
それとは別に、話し言葉としての「ひどい、むごい」という嫌悪表現があり、意味合いが通じることから「酷」の漢字が当てられたよーなのですな。「過酷」、「残酷」、「冷酷」…… みんな「酷」の強調形で、言ってる意味は類似します。
でもこれって、よーするに「人が欲望を満たす適量とは」という問いにおける、日中の価値基準摩擦が露骨に出た^^;好例とも言えますね。中国で言う『酷』が「冴え渡る、脳天を突きぬけるような、爽快な🎵」── つまり(ビールのテイスト表現で言えば)「キレ」に近い意味合いのコトバなのに、日本では同漢字を(あえて作為的に)半面教師的な意味に宛がった結果、ヨリにもよって……「コク」❕❔とは。
これまた、すんげー「コクな」驚愕の真実なんじゃございません??? 早い話、
「中国人が己に沁みつけた生活態度や価値観は、日本人に言わせれば見苦しいほど節制を欠いた『ひどい』モノだ」
…と言い切ってた(=断じて定義づけてた)に等しい日本精神史の、動かぬ証拠なんですからね。それも、やれヘイトがどーだレイシストは黙れ云々と批判され始めた今の話じゃない。満州国や南京攻略の頃からですらない。実は実は、もっと古くから。遥か江戸の昔っから脈々と⚡…だったんですぜぃ❔❔(苦笑)
=了=
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