江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

20日、俳句の句会 人形町

2014年02月20日 20時10分20秒 | Weblog

   狛犬の 顔半分は 春の雪

今日の句会でこれを披露したら、評判が良かった。靖国神社の南門の狛犬が雪におおわれて寒がっている。悲しくもあり美しくもあり。

今日20日は人形町で県人会の句会。

そこで、谷崎潤一郎の生まれ故郷の人形町という本を読んだ。彼は明治19年、東京市日本橋区蠣殻町2丁目14番地で出生。現在の日本橋人形町1-7で、出生地の案内板がある。

この地域は、かって明治2年には銀貨鋳造所があった地で、蠣殻銀座と呼ばれる。いずれにせよ、この辺りから北の方にかけて、米穀取引所、金融取引の兜町を含む繁栄の中心地であった。

ちなみに、この辺りに幕府公認の吉原があり、明暦の大火で浅草寺裏の新吉原に移ったとか。またこの辺りが歌舞伎の中村座・市村座があったところで、現在は明治座が残っている。

こういう江戸明治の殷賑の中心地で谷崎潤一郎の美意識は生まれたのだろう。

そこで、彼の通ったと思われる「大観音寺」が今もあった。谷崎の時代から、大正の関東大震災と昭和20年の東京大空襲で灰燼に帰したはずの街並みだが、いまも立派な都市によみがえっている。そこに、谷崎文学にも出てくる「大観音寺」がいま様に小さく存在し、近所の女性がお参りしている。その下に、

谷崎が言う 「よし梅」 という料理屋があったので、吾輩は昼飯に出かけましたよ。句会は13時30分だ、時間は十分ある。ちなみにひとつ向こうの鳥料理・親子丼の「玉ひで」は昼食の行列30数人。ここは避けた。

 ここ「よし梅」で、「あら煮」御膳をたのんだ。1500円。いやーこれがうまいのなんのって。ほっぺた落ちそう。皆さんにお勧めするよ。骨まで軟らかく食べられる。絶品。

こうして人形町の奥深さと江戸以来の文化の伝統による食べ物に満足して、今日は良かった良かった。こうして句会で上記句を発表。さらに自由句では、

大分高崎山のサル山のボス猿ベンツの死に様に関し、

      早春の 山に身を果つ 猿の長(おさ)       

をも提出したが、これも評判は良かったぞ。

おかげであと打ち上げは、有楽町の「かんだ」で福井の酒を痛飲。 真央ちゃんの失敗に悲憤慷慨しながら、吾輩はああ、幸せ。