江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

連休はどう過ごすか その2 八王子「絹の道」

2016年05月01日 18時03分06秒 | Weblog

連休は近場に限る。

あ吾輩は、今日5月1日の日曜は、八王子の「絹の道」散策。

ぺルリ来航以来の日本の対外政策は混乱の極みだが、経済面では生糸の貿易が大きな比重を占めていたようだ。江戸末期から高崎や桐生の生糸生産地域をまとめて、八王子の鑓水地域の商人が、外国貿易に手を出し、幕末から明治初年に日本の優秀な生糸輸出するビジネスをやったようだ。

最初は、「江戸鑓水」ブランドで商圏を広げ、大いにもうけたようだ。その財政成効が、『石垣長者』と言われる豪華住宅の建設であったようだ。名残が八王子の黒塀町だ。今も何人かの芸者さんがいる。

しかし、そうゆう横浜貿易での親分が、現在の 三渓園 と言われる 横浜経済界の大物、原三渓である。このオジサンが厳しくとりしきったから、八王子の鑓水生糸商人は、いいように扱われ、儲けがなかったとか。横浜貿易会の第一人者は「三渓園」を残している。

それで、八王子の鑓水生糸ブランドもすたれ、いつか八王子鑓水から横浜へ生糸を送る「道」もすたれていったとか。 京都と若狭の「鯖街道」みたいな関係か。

そういう過去の時間を感じたくて連休に行きました。

絹の道 記念碑

これが現存の絹の道の一部。