江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

四谷界隈の 谷 を求めて散歩

2021年10月09日 17時28分00秒 | Weblog
 緊急事態宣言がなくなって多くの人が出歩くようになった


 土日は人の集まる所の繁華街ではなく人のいないところを散歩するのが良い。
 大人の休日倶楽部のパンフレットに 四谷界隈「谷」めぐり なる文章が載っていた。これはちょうど散歩にイイねと出かけました。
 以前 四谷は室町時代から谷があったんだと聞いたことがある。今回スリバチ学会の写真付き案内で 現地をなぞることをやってみました。

1、まず荒木町。ここは飲屋街で何度もお世話になっているところだが 谷底であったとは知らなかった。
 江戸時代美濃の国高須藩主松平摂津の守の上屋敷があった。ここは盆地になっており北側に人口の土手が築かれ 紅葉川の支流と湧水をせき止めた回遊式庭園が造営されていたようだ。池には鷹狩りに訪れた徳川家康が馬の策(むちと読む)を洗ったところから策の池と言われる。明治になるとこの池は一般に解放され観光地となりさらに料亭や待合が生まれた。それがなくなった後今では荒木町の歓楽街であり四谷の谷の谷底なのである。




谷の上の方には金丸稲荷神社がある。これは高須藩主の守護神として建立されたもの。


   ちなみに大人の休日倶楽部のパンフを持ってるおばさんたちが二組と夫婦連れが1組計3組に出くわした。同じような発想の人がウロウロしているんだ。吾輩もそういう類いだな。
2、荒木町出て新宿通り昔の甲州街道に出た。ここは四谷の谷の間の背の部分である。そんな事は今まで全然気がつかなかったが、言われてみると昔の街道の道は多くが山の背を通っている。
 新宿通り・昔の甲州街道から円通寺坂を降ると なるほど大きな谷底である。この先に須賀神社がありこれはこの谷の縁の一番高いところに設けられている。諏訪神社は江戸時代にいろんな理由で移ってきたような神社で室町時代とかもの古いものではなさそうである。


いずれにせよこの谷底の真ん中を赤坂川が流れていたようで(もちろん今は暗渠で全然見えない)現在の中央線総武線の下を潜って南元町公園まで出る。ここが鮫川橋で 池波正太郎の鬼平犯科帖にも出てくる悪人たちの住む場所であったような?



今日はここまで。東京スリバチ学会の皆川典久会長の 東京の魅力は世界でも珍しい凸凹の地形にあります。今回は東京を代表するスリバチがある四谷界隈を歩いてみましょう と言うキャッチフレーズに乗ってしまいました。 お互い健康と好奇心のために。 パチパチ。