文章塾のゆりかごは、2回行われました。(今のところ)
今回の作品は、その2回目に投稿したものです。
文章塾のゆりかごでは、1度に3作品応募することができました。
その変型として、1作品800文字なので、3作品分2400字、三部作として応募することも可能でした。
この作品は三部作、2400字まで、の規定で投稿したものです。
お題は「音」に関する文章表現ならなんでも。
では、2006年5月15日投稿締切り、題名は『大切なものを挙げるとしたら』。
『大切なものを挙げるとしたら』
俺が声の限りを尽くして歌う。俺の後ろに控えし温子が、キーボードを奏でる。そして他の愛すべきメンバーたちも、複雑なビートを刻むウチのバンドのサウンドを盛りたて、観客に投げつけ、一方で誠実に届けようと一生懸命に頑張る。客も応え、身体全体でグルーヴを刻んで乗ってくれる。
ライブは最高だ。一生のうちこんな楽しいことなんてそうそうない。
一瞬、何も聞こえなくなった。
キーボードの音も、ドラムも、ベースも、ギターも、自分の声さえも。
「!?」
独り、舞台上に困惑する自分が立っていた。
しかし次の瞬間、音が復活した。
(気のせいか…)
俺はすぐにその一瞬の出来事を忘れてしまった。
しかし、後でメンバーに「お前あそこトチッたろー?」言われてしまった。
ライブの次の日、寝坊をした。
バイトから帰ってきた温子に裸足で小突かれた。
「こいつはいつまで寝てるんだ!?こいつは!こいつは!…!」
俺は目をこすりながら、
「…えー…今何時よ?」
「午後6時!何時間寝てる気だね?キミは」
「えーウソ、10時間も寝てんじゃん!今日用事あるから昼に鳴るように目覚ましかけといたのに!」
「自分で止めて寝てんじゃん。きっと」
「そんな訳ないだろ…」
枕元の目覚まし時計を確認した。
「あれ、止めた形跡がない。鳴らなかったか?」
「もうそれ壊れたの?こないだ買ったばっかじゃん?」
不可解な出来事だった。
俺は夜中から朝方にかけて工事現場の仕事を、温子は昼間にオフィスワークのバイトを入れている。
俺が帰って、温子が仕事に行く前、2人で一緒に朝食をとり、温子が帰って来てからまた一緒に夕飯を食べる。
で、夜、スタジオで他のメンバーと一緒に同じバンドのメンバーとして練習をする。
そんな毎日だ。
それにしても変だ。
寝坊事件があったあたりから耳がおかしい。
音が聞こえなくなる時がある。
耳はミュージシャンの命。
ものすごく不安になってきた。
医者に行ってみる事にした。
「これは…鼓膜などの器官には何の問題もありません。それでも音が聞こえなくなる時があるというと…」
「どうなんですか…?」
「道川さんのかかった病気はおそらくリパーゼント症候群と呼ばれているものです。最近になって発見された病気で、残念ながら特効薬は開発されていないのです。とりあえず、リハビリに通ってみたらいかがですか。こちらとしても様子を見たい」
「はあ」
日に日に、聞こえなくなる割合が1日のうちで増えてきている。
俺は恐怖に襲われた。このままでは大切なものを失ってしまう。この病気は治らないのか?リハビリばかりの毎日。仕事とバンドの練習は何とか続けているが、失敗が多くなる。温子に愚痴る。
「何でこんなことになっちまったんだろう」
「う~ん、なんだろう…でも実はね、私も時々耳が聞こえなくなることがあるんだ。正樹の病気と同じかな、もしかしたら?」
温子は筆談を交え、大きな身振り手振りで話してくれる。
「本当か?大変じゃないか。お前も早く医者に行けよ」
「そうだね。そうする」
温子にもリパーゼント症候群の診断が下された。
「私達、どうなっちゃうんだろう…?」
「そんなの俺にはわからねぇよ」
俺はイラつき、焦っていた。
毎日仕事場で働き、メシを食い、スタジオで音楽をやる。そんな当たり前の生活が、愛おしかった。耳が聞こえなくなるというだけで、世界はこんなに住みにくく、楽しくないものになってしまうのか。
俺たちの人生を返してくれ!天に叫びたかった。
少し前からその兆候はあった。
しかし、バンドのメンバー全員が同じ病気にかかるというのは信じ難い出来事だった。
音楽活動は休止だ。
とうとう俺は人生における大切なものを一つ失った。
俺は泣いた。
「俺達ゃこれからどうしたらいいんだよ」
「…分かんないけどやっていくしかないじゃん。頑張ろうよ。きっと道はあるよ」
「そうかぁ?」
「そうだよ」
全て筆談。俺たちの耳は既に全く音を失っていた。
この頃の俺たちは、失ったものばかりに目がいき、光を探すことがとても難しかった。
* * *
今日、皆既日食があるらしい。
何十年に1度の天体ショーだとテレビでは大騒ぎだ。
しかし昨日テレビではリパーゼント症候群の世界での猛威を伝えていた。
いまや全人口の半分以上の人間がこの病気にかかっているという。
この世界はどこへ行くのだろう。
そんな時に、日食などに気を留める気になどならなかった。
しかし温子は結構気になっているようだ。
「だって今度見れるときは私も正樹もおばあちゃん、おじいちゃんだよ。しっかり見れるときに見ようよぉ」
「へーへー」
俺は生返事。ちなみに今のも筆談。
皆既日食が起こる時刻が近付き、俺たちは近くの高台にある公園に行くことにした。やはりしっかりと見るのである。
2人ともサングラスを携帯する。筆談用のメモはいつも、持ち歩いている。
結構人出は多い。
「でも皆既日食っていったって、大した事ないよな。みんな暇なんだなー」
俺が温子にメモを見せると、
「みんな興味津々なの!」
怒られてしまった。文字で怒られてもあまり堪えない。温子にひじで小突かれた。すんません。
日食が始まった。サングラスを付けた俺も、その様子に目を奪われる。次第に辺りが薄暗くなってくる。
あれっ?何かおかしい。
太陽の光が弱まったように感じる。日食?サングラスのせいか?
いや違う。急速に辺りの風景が遠のいていく。
光が、消えた。
そんなばかな!
何も見えない。
神は俺から音だけでなく光まで奪うのか!?
身体の芯から湧き上がる「絶望」。
世界は消えた。
しかし、何かに触れた。
その先を辿る。
“ふにふにと”やわらかい感触。
グッと掴み、自分の方にその対象を引き寄せる。抱きしめる。
その対象は、素直に俺の背中に手を置いてギュッと抱き返してくる。
体が覚えている。この感触、香、息づかい。
アツコ。
何もない世界で、確かに2人はここに居る。
それを感じ、信じることができた。
今は、それだけでもいい。
そこからすべてが始まるんだ。
今回の作品は、その2回目に投稿したものです。
文章塾のゆりかごでは、1度に3作品応募することができました。
その変型として、1作品800文字なので、3作品分2400字、三部作として応募することも可能でした。
この作品は三部作、2400字まで、の規定で投稿したものです。
お題は「音」に関する文章表現ならなんでも。
では、2006年5月15日投稿締切り、題名は『大切なものを挙げるとしたら』。
『大切なものを挙げるとしたら』
俺が声の限りを尽くして歌う。俺の後ろに控えし温子が、キーボードを奏でる。そして他の愛すべきメンバーたちも、複雑なビートを刻むウチのバンドのサウンドを盛りたて、観客に投げつけ、一方で誠実に届けようと一生懸命に頑張る。客も応え、身体全体でグルーヴを刻んで乗ってくれる。
ライブは最高だ。一生のうちこんな楽しいことなんてそうそうない。
一瞬、何も聞こえなくなった。
キーボードの音も、ドラムも、ベースも、ギターも、自分の声さえも。
「!?」
独り、舞台上に困惑する自分が立っていた。
しかし次の瞬間、音が復活した。
(気のせいか…)
俺はすぐにその一瞬の出来事を忘れてしまった。
しかし、後でメンバーに「お前あそこトチッたろー?」言われてしまった。
ライブの次の日、寝坊をした。
バイトから帰ってきた温子に裸足で小突かれた。
「こいつはいつまで寝てるんだ!?こいつは!こいつは!…!」
俺は目をこすりながら、
「…えー…今何時よ?」
「午後6時!何時間寝てる気だね?キミは」
「えーウソ、10時間も寝てんじゃん!今日用事あるから昼に鳴るように目覚ましかけといたのに!」
「自分で止めて寝てんじゃん。きっと」
「そんな訳ないだろ…」
枕元の目覚まし時計を確認した。
「あれ、止めた形跡がない。鳴らなかったか?」
「もうそれ壊れたの?こないだ買ったばっかじゃん?」
不可解な出来事だった。
俺は夜中から朝方にかけて工事現場の仕事を、温子は昼間にオフィスワークのバイトを入れている。
俺が帰って、温子が仕事に行く前、2人で一緒に朝食をとり、温子が帰って来てからまた一緒に夕飯を食べる。
で、夜、スタジオで他のメンバーと一緒に同じバンドのメンバーとして練習をする。
そんな毎日だ。
それにしても変だ。
寝坊事件があったあたりから耳がおかしい。
音が聞こえなくなる時がある。
耳はミュージシャンの命。
ものすごく不安になってきた。
医者に行ってみる事にした。
「これは…鼓膜などの器官には何の問題もありません。それでも音が聞こえなくなる時があるというと…」
「どうなんですか…?」
「道川さんのかかった病気はおそらくリパーゼント症候群と呼ばれているものです。最近になって発見された病気で、残念ながら特効薬は開発されていないのです。とりあえず、リハビリに通ってみたらいかがですか。こちらとしても様子を見たい」
「はあ」
日に日に、聞こえなくなる割合が1日のうちで増えてきている。
俺は恐怖に襲われた。このままでは大切なものを失ってしまう。この病気は治らないのか?リハビリばかりの毎日。仕事とバンドの練習は何とか続けているが、失敗が多くなる。温子に愚痴る。
「何でこんなことになっちまったんだろう」
「う~ん、なんだろう…でも実はね、私も時々耳が聞こえなくなることがあるんだ。正樹の病気と同じかな、もしかしたら?」
温子は筆談を交え、大きな身振り手振りで話してくれる。
「本当か?大変じゃないか。お前も早く医者に行けよ」
「そうだね。そうする」
温子にもリパーゼント症候群の診断が下された。
「私達、どうなっちゃうんだろう…?」
「そんなの俺にはわからねぇよ」
俺はイラつき、焦っていた。
毎日仕事場で働き、メシを食い、スタジオで音楽をやる。そんな当たり前の生活が、愛おしかった。耳が聞こえなくなるというだけで、世界はこんなに住みにくく、楽しくないものになってしまうのか。
俺たちの人生を返してくれ!天に叫びたかった。
少し前からその兆候はあった。
しかし、バンドのメンバー全員が同じ病気にかかるというのは信じ難い出来事だった。
音楽活動は休止だ。
とうとう俺は人生における大切なものを一つ失った。
俺は泣いた。
「俺達ゃこれからどうしたらいいんだよ」
「…分かんないけどやっていくしかないじゃん。頑張ろうよ。きっと道はあるよ」
「そうかぁ?」
「そうだよ」
全て筆談。俺たちの耳は既に全く音を失っていた。
この頃の俺たちは、失ったものばかりに目がいき、光を探すことがとても難しかった。
* * *
今日、皆既日食があるらしい。
何十年に1度の天体ショーだとテレビでは大騒ぎだ。
しかし昨日テレビではリパーゼント症候群の世界での猛威を伝えていた。
いまや全人口の半分以上の人間がこの病気にかかっているという。
この世界はどこへ行くのだろう。
そんな時に、日食などに気を留める気になどならなかった。
しかし温子は結構気になっているようだ。
「だって今度見れるときは私も正樹もおばあちゃん、おじいちゃんだよ。しっかり見れるときに見ようよぉ」
「へーへー」
俺は生返事。ちなみに今のも筆談。
皆既日食が起こる時刻が近付き、俺たちは近くの高台にある公園に行くことにした。やはりしっかりと見るのである。
2人ともサングラスを携帯する。筆談用のメモはいつも、持ち歩いている。
結構人出は多い。
「でも皆既日食っていったって、大した事ないよな。みんな暇なんだなー」
俺が温子にメモを見せると、
「みんな興味津々なの!」
怒られてしまった。文字で怒られてもあまり堪えない。温子にひじで小突かれた。すんません。
日食が始まった。サングラスを付けた俺も、その様子に目を奪われる。次第に辺りが薄暗くなってくる。
あれっ?何かおかしい。
太陽の光が弱まったように感じる。日食?サングラスのせいか?
いや違う。急速に辺りの風景が遠のいていく。
光が、消えた。
そんなばかな!
何も見えない。
神は俺から音だけでなく光まで奪うのか!?
身体の芯から湧き上がる「絶望」。
世界は消えた。
しかし、何かに触れた。
その先を辿る。
“ふにふにと”やわらかい感触。
グッと掴み、自分の方にその対象を引き寄せる。抱きしめる。
その対象は、素直に俺の背中に手を置いてギュッと抱き返してくる。
体が覚えている。この感触、香、息づかい。
アツコ。
何もない世界で、確かに2人はここに居る。
それを感じ、信じることができた。
今は、それだけでもいい。
そこからすべてが始まるんだ。