ウクライナ政府は24日、ツイッターに投稿した動画の中で、昭和天皇の顔写真を掲載したことに日本国内のネットユーザーなどから批判が高まった事態を受け、動画から昭和天皇の顔写真を削除し、謝罪した。当初の動画には、ユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)を行ったナチス・ドイツの独裁者ヒトラーやイタリアのファシズム指導者ムッソリーニと共に、昭和天皇の顔写真を並べていた。
動画は「現代ロシアのイデオロギー」と記した英語の字幕から始まる1分21秒の映像で、プーチン露大統領の演説などが映し出され、ロシアの「差別主義」を非難している。問題の場面は1分11~14秒付近で「ファシズムとナチズムは1945年に敗北した」と記し、昭和天皇ら3人の顔写真を並べていた。
動画は4月1日に投稿され、23日以降にネット上で拡散。「昭和天皇をヒトラーと同一視した」などと批判が相次いでいた。ウクライナ政府は「誤りを犯したことを心からおわびします。友好的な日本の方々を怒らせるつもりはありませんでした」とツイッターに投稿し、動画から3人のうち昭和天皇の顔写真だけを削除した。【山本萌】
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の引用です。
日本人でも多くの者が誤解していることなので、改めて丁寧に説明しよう。
戦前も戦中も、日本が思想や言論を弾圧する独裁体制(ファッショ体制)に入った事実は断じてない!
戦前や戦中の日本は、最後まで選挙と議会と複数の政党によって民主主義が保障され、言論や報道や宗教の自由まで保障されており、ファシズムやナチズムのイタリアやドイツなどとは全く異なっていた!
したがって、戦前や戦中の日本の天皇陛下(昭和天皇)をヒトラーやムソリーニと同一視する動画は、日本国民として絶対に許せない!
事実関係を述べると、日本は戦前も戦中も、大日本帝国憲法で保障された言論の自由や思想信条の自由が保障された民主主義国家のままだった!
■選挙と議会と複数の政党によって保障された民主主義
Q.日本の民主主義は戦後に占領軍がもたらしたものですか?
A.第二次大戦前の日本は独裁国家であり、戦後に初めて米軍が民主主義を教えたように考えている人がいますが、それは間違いです。
(中略)
民主主義は、選挙と議会と複数の政党によって保障されます。
それがなければ、人民民主主義とか本当の民主主義だとか言っても言葉だけにすぎません。
選挙と議会と複数の政党があることによって、時の政府の政策や思想に反対の立場の人も国民の支持があれば国政を左右できたり、または政権交代の可能性もでてくるのです。
19世紀のこの当時にそれがあったのは、日本と欧米のごく少数の国だけでした。
「大政翼賛会」を一党独裁のように誤解している者が多いが、事実は全く異なり、当時の政府や「大政翼賛会」を批判する政治家が多数立候補して当選できていた。
Q.大政翼賛会は独裁政治だったのですか
A.日本は、ドイツやソ連や中国のような独裁体制ではありませんでした。
昭和12年7月に始まった日中戦争が長引き太平洋戦争が始まって、日本も総力戦の体制になっていきましたが、日本はドイツやソ連や中国のような独裁体制ではありませんでした。独裁とは一国一党体制で大統領や首相(総統や書記長)に任期がないことです。
昭和15年12月に大政翼賛会ができましたが、これは当時のナチスや共産党のような一国一党の独裁政党ではなく、実体はいくつかの勢力の寄り合い所帯であり内部紛争が絶えませんでした。そのため大政翼賛会は行政の補助機関のようになり、昭和16年の9月に翼賛議員同盟が創設され、衆議院議員はこの他にも同交会、興亜議員同盟、議員クラブ、同人グラブ、無所属などに分れました。
昭和16年に太平洋戦争が始まり、戦争中の昭和17年2月に東条首相は翼賛政治体制協議会を結成し、4月の第21回総選挙では衆議院の立候補者を推薦するいわゆる翼賛選挙を行ないました。しかし、衆議院選挙の結果は推薦議員は381名で非推薦議員は85名でした。中野正剛、鳩山一郎、三木武吉、芦田均、笹川良一などの非推薦組の議員達は程度の違いはあっても、反東条派でした。
この太平洋戦争中の衆議院選挙で推薦議員が多く当選したのは、有権者がこの非常時には政府に一致協力すべきだという考えがあったからだと思います。しかし、この時でも非推薦の候補者も当選できたのです。例えば、尾崎行雄は推薦選挙に反対して東条内閣に公開状を送りその中止をもとめたり演説をおこなったりしましたが、当選しています。また斎藤隆夫は、昭和15年に衆議院で軍と政府を批判する演説をして衆議院議員を除名されていましたが、但馬選挙区で最高点で復活当選しています。
上記のとおり、日本では、戦前も戦中も、選挙と議会と複数の政党によって民主主義が保障され続けていた!
■「五箇條の御誓文」、明治憲法(大日本帝国憲法)
明治元年3月14日発布された「五箇條の御誓文」の最初には、【一、広く人材を求めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。】とあり、民主主義を最初に大々的に唱えている!
「五箇條の御誓文」は、以後明治維新の指導精神として、近代国家建設のさまざまな施策に受け継がれた。
そして、大日本帝国憲法の第五十五条に、「国務大臣は天皇を補弼する」、「天皇の詔勅には国務大臣の副書が必要」と定められている。
「補弼」とは、「天皇といえども自分勝手に国を動かすことは出来ない。天皇が統治を行う際は、必ず国務大臣の助言や支援を得なければならない」ということ。
そして、国務大臣等は国民によって選ばれた!
また、日本では明治憲法で保障された言論の自由、報道の自由、思想信条の自由、宗教の自由などが第二次大戦中までも保たれた。
戦前、戦中の言論規制については、日本より米国など諸外国の方が厳しかった。
■言論と報道の自由について
(支那事変を取材した)東京朝日新聞・橋本登美三郎上海支局長の証言
「何も不自由は感じていない。思ったこと、見たことはしゃべれたし、書いていたよ」
「とにかく軍のこれからの動きが分かるような記事はだめでした」
(1941年)12月18日、(アメリカ)連邦議会は、第一次戦時大権法を成立させ、ローズヴェルト大統領に戦争遂行上必要な大幅な権限を与えた。そのなかには、検閲に関する条項も含まれていた。
翌19日、ローズヴェルトはこの戦時立法を根拠として、合衆国検閲局の設置を定めた大統領令8985号に署名した。これによれば、検閲局長官は、「郵便、電信、ラジオその他の検閲に関して、全く随意に」職務を執行し得るものとされた。
(中略)
ところで、この大統領令8985号が、昭和16年(1941)12月19日に公布施行されているのは、興味深い偶然の一致といわなければならない。なぜなら、同じ日に日本では、第78臨時帝国議会において成立した同趣旨の戦時立法、言論出版集会結社等臨時取締法が公布(施行は12月21日)されているからである。
このうち、日本の言論出版集会結社等臨時取締法は、戦後GHQ指令によって廃止を命じられたために、自由を抑圧した悪法という世評が定着しているが、罰則は最高刑懲役1年に過ぎない。
これに対して、米国の第一次戦時大権法第303項が規定している検閲違反者に対する罰則は、最高刑罰金1万ドルまたは禁固10年、あるいはその双方である。罰則を比較するなら、米国は日本よりはるかに峻厳な戦時立法を行っていたといわなければならない。
『閉された言語空間』江藤淳著
戦前、戦中の言論統制は、日本より米国の方が厳しかった。
■宗教の自由について
日本では明治憲法(大日本帝国憲法)で保障された宗教の自由と言論の自由が第二次大戦中までも保たれていたため、当時の日本人キリスト教徒は、靖国神社の参拝を拒否することも自由だったし、参拝することも自由だった。
――――――
◆「大日本帝国憲法」
第二十八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ゲズ及臣民タルノ義務ニ背カザル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二十九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
――――――
ケビン・ドーク 米ジョージタウン大教授
2006/05/26, 産経新聞
■教皇庁も認めた「慣行」
(一部抜粋)
日本では明治憲法で保障された宗教の自由が第二次大戦中までも保たれた。戦時の日本の政界や学界では今中次麿、田中耕太郎両氏らキリスト教徒が活躍した。そんな時代の一九三二年五月、上智大学のカトリック信徒の学生たちが軍事訓練中に靖国への参拝を命じられたのを拒み、その拒否を同大学のホフマン学長も支持するという出来事があった。参拝が宗教の押し付けになりかねないという懸念からだった。
だが、東京地区のシャンボン大司教が文部省や陸軍省に参拝が宗教的行事かどうかを正式に問うたところ、「参拝は教育上の理由で、愛国心と忠誠を表すだけで、宗教的な慣行ではない」との回答を得た。これを受け、ローマ教皇庁は三六年五月に日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動ではないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出した。
以上、戦前・戦中の日本は、世界最高水準の言論の自由が保障された民主主義国家だった!
【コメント】
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mol*****
| 非表示・報告ウクライナ政府がこういう見解を示すということは、世界的にも先の大戦の結論は未だそこにあるということなんだろう。ウクライナ以外にも多くの国で虐げられている人達が多くいるが、ウクライナの件は欧州で起こっていることもあり欧米的には気にすべき・報道すべき世界事情となる。一方で、アジアや中南米で起こっていることは彼らにしてみたら果ての国で起こっているどうでも良いことなので、気にするほどでもない・報道するまでもない世界事情となる。日本の昔のことなんて、欧州の人達は詳しく知ろうとも思わないのかもしれない。これまでの日本が自らの主張をほとんどしてこなかったことや、日本の周囲の枢軸国のプロパガンダの影響もあり、欧米人の認識はこの記事のようなものに留まっている可能性は多分にあるのでは。おかしいことはおかしいと何度でも主張し、他国の人達に正しい認識をしてもらえるような努力が不可欠なんだろうと思う。
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tpr*****
| 非表示・報告ウクライナ政府がこういう見解を示すということは、世界的にも先の大戦の結論は未だそこにあるということなんだろう。ウクライナ以外にも多くの国で虐げられている人達が多くいるが、ウクライナの件は欧州で起こっていることもあり欧米的には気にすべき・報道すべき世界事情となる。一方で、アジアや中南米で起こっていることは彼らにしてみたら果ての国で起こっているどうでも良いことなので、気にするほどでもない・報道するまでもない世界事情となる。日本の昔のことなんて、欧州の人達は詳しく知ろうとも思わないのかもしれない。これまでの日本が自らの主張をほとんどしてこなかったことや、日本の周囲の枢軸国のプロパガンダの影響もあり、欧米人の認識はこの記事のようなものに留まっている可能性は多分にあるのでは。おかしいことはおかしいと何度でも主張し、他国の人達に正しい認識をしてもらえるような努力が不可欠なんだろうと思う。
オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」除く)。
「ウクライナ悲痛 沖縄戦思う」の浦添市・宮里和子さん(77)は、3月8日に続き今年2回目の掲載。
「年度末と新年度 多忙過ぎる」の浦添市・ウィンフィールドひろみさん(57)は、1月18日、4月15日に続き今年3回目の掲載。
「存在意義問われている国連」の名護市・富原守和さん(74)は、1月5日、2月12日、3月2、28日、4月16日に続き今年6回目の掲載。
「定年後に農業 楽しい話題だ」の南風原町・国吉真永さん(87)は、1月4、18日、2月12、25日、3月31日に続き今年6回目の掲載。
「昔のドラマ『風小僧』に感慨」の那覇市・金城后代さん(72)は、昨年12月10日以来の掲載。
「子どもの読書 活動再開へ尽力し合おう」の浦添市・城間剛さん(55)は、2020年11月17日以来の掲載。
「それぞれの春に」の豊見城市・根間武男さん(71)は、2020年6月14日以来の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
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