狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

屈辱の日か否か、沖縄を米国の領有から救った昭和天皇

2022-05-08 07:38:10 | マスコミ批判

 

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きょうの沖縄タイムス一面左トップは、ウクライナ戦争から何も教訓を得ることができないデニー知事が、沖縄に米軍基地があるのは差別だと叫んでいる。

デニー知事によると「米軍基地が集中しているがゆえに沖縄が攻撃目標になる」とのことだ。

沖縄を攻撃目標にして、米兵の血が流れるのを米国民が見たら、「リメンバー、オキナワ」の声が沸き上がるのは必至だ。

デニー知事は米軍の抑止力に無知と言う点では、ルーピー鳩山元首相以下である。

 

沖縄タイムスは毎週日曜日に、「タイムス わらびー」と題する子供向け週刊新聞を発行している。(「わらび」とは子供(童ーわらべ)の沖縄方言)

きょうの「わらびー」の一面トップはこれ。

「4・28」 どんな日 なぜ特別?

【豊見城伊良波中学校で 平和学習】

敗戦日本「主権回復の日」

沖縄 米国支配「屈辱の日」

記事の内容は、左翼思想に被れた教員が「平和学習」と称する反日教育をしている様子を報じている。

一部抜粋してみよう。

「4・28は日本にとって国際社会へ復帰した『主権回復の日』です。しかし沖縄は日本から切り離され、米国の統治下に置かれて、アジアの戦略基地としての役割が強化されたことから『屈辱の日』ともよばれています。」

総合学習の時間。教頭の内山直美さん(51)はそう説明しました。社会科教師の内山さんは2012年から、4・28の特設授業を行ってきました。日本に在る米軍専用施設の約70%が集中する沖縄。 いまも続く問題を理解するためには、歴史的背景を知る必要があると考えたからです。≫

なるほど、自分の苔むしたイデオロギーを無垢な子供たちに押し付けるのが「平和教育」なら、子供たちこそいい迷惑である。

最近では見られなくなったが、「屈辱の日」に絡めて「昭和天皇が保身のため沖縄を米国に売り渡した」と言う説がある。

NHKが先日(4月22日)米軍の沖縄占領に、マッカ―サーが深くかかわったという番組の再放送を行った。

報道によると、当初沖縄を占領した米軍は8月15日の敗戦以降、沖縄を日本の一県として引き渡す予定だった。

■沖縄の領有を求めたマッカーサー

ところが1946年3月5日、イギリスの前首相チャーチルがアメリカで演説した「鉄のカーテン」演説に触発されたマッカーサーは、共産主義のソ連邦が東ヨーロッパ諸国の共産主義政権を統制し、西側の資本主義陣営と敵対している状況に対抗して、沖縄を共産主義に対する最前線に置くと考えた。

GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーは沖縄を手放すどころか共産主義に対抗する前線基地と考えた。

マッカーサーは沖縄をアメリカ軍のあらゆる任務の最重要拠点となると考えたのだ。

 

当時のアメリカは戦勝国の強みを生かして、沖縄の領有権はアメリカに譲るべきと言う意見が強かった。

その代表的人物こそ、日本占領の最高司令官を務めたマッカーサーであった。

『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会)の著者で知られる沖縄戦後史の研究家R・エルドリッジ博士によると、マッカーサーは、米国務省が1947年8月5日の対日講和草案で琉球諸島の返還を認めたことを批判して、同年9月1日次のような覚書を国務省に送っている。

≪同草案は琉球諸島を日本が保持することとしている。 われわれの西太平洋フロンティア防衛のための絶対的必要から、米国による琉球諸島の支配を確保すべきである。 この諸島は日本とは民族的に同一ではなく、日本の経済福祉に貢献せず、しかも日本人はこの諸島の保有を認められることを期待していない。基本的に問題は戦略上のものであり、私の意見では、この諸島の支配権を米国に与えることに失敗すれば、軍事的崩壊を招きかねない。≫

■刮目すべき昭和天皇の慧眼―天皇メッセージ

マッカーサーは、沖縄人は日本人と人種的・文化的に異なる民族、歴史的に搾取されてきたとし、沖縄が元来日本の主権の下に置かれるのを認めなかった。(マッカーサー覚書)。 これに対し昭和天皇は、昭和22年9月、御用掛の寺崎英成を通じ、GHQのシーボルト政治顧問に所謂「天皇メッセージ」を伝えた。

「天皇メッセージ」の内容は概略こうなっている。

「(米軍が沖縄を軍事占領を希望していることに対し)「主権を日本に残したままでの長期ー25年ないし50年またはそれ以上のー租借方式という擬制に基づいて行われ、米国が沖縄に如何なる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ・・・ソ連や中国が同様の権利を要求することを阻止するであろう。

この「天皇メッセージ」に対し、沖縄メディアは、「昭和天皇が保身のため沖縄をアメリカに売り渡した」として、講和条約発効の4月27日を「屈辱の日」と呼称している。これが、「平和教育」の主題だ。

だが、果たして昭和天皇の真意はどうだったのか。

1946年 チャーチル英首相が米ソ冷戦w「鉄のカーテン」と演説、1947年 トルーマン米大統領がトルーマン・ドクトリン(共産主義対抗経済援助)発表。東西冷戦がはじまる。

米ソ冷戦の流れをいち早く肌で感じ取った昭和天皇は、アメリカが主導する自由主義陣営で生きるべきと決意した。それが「天皇メッセージ」に表れている。

昭和天皇の真意を、かみくだいて言うと、戦後世界のトップに躍り出た米国の軍事力を背景に、ソ連と共産主義の脅威から日本の安全を守り、マッカーサーの「沖縄日本ではない」との分離方針を、敢て長期基地租借(長期リース)を提案するすることで回避し、本土と沖縄の分離を防止することにあった。

一言でいえば、「天皇メッセージ」の真意は、「保身のため沖縄をアメリカに売った」のではなく「本土と沖縄の分離を阻止した」と言うことになる。

ここまで言うと、沖縄の反天皇主義者たちは、こう反論する。

「天皇メッセージは御用掛寺崎のコメントをシーボルトがワシントンに伝言しただけで、当時の米国外交には何の影響も及ぼしていない」と。

しかし、前述のR・エルドリッジ博士によると、当時の米国国務省は、天皇メッセージの長期租借の「示唆」に注目しており、同方式の検討を「特別勧告」したという。

「天皇メッセージ」は、トルーマン・ドクトリンなど当時の米国務省の外交方針と一致したが、日本が米国占領下から脱出し、講和会議、日米同盟への基盤固めをしたのは、戦後昭和22年前後、トルーマンドクトリンの基になった「封じ込め政策」のG・ケナンと反共主義者・吉田茂の見解の一致しており、昭和天皇は時代の流れを先取りしていた。

もともと「封じ込め政策」とは、アメリカの外交官のG・ケナンが提唱したもので、トルーマン大統領が採用し、冷戦期のアメリカの外交政策とされたものであった。その意味は、ソ連邦の勢力拡大による世界の共産主義化を恐れ、それを防止するために、ソ連=共産圏諸国に対して政治、経済、軍事などあらゆる面で封じ込めるべきであるという外交基本政策である。

マッカーサーは、沖縄を失うことは米軍の「軍事的崩壊」を招く、と懸念していたのだ。

沖縄メディアが沖縄の事を「捨て石」と表現するが、マッカーサーは沖縄を太平洋の「要(かなめ)石」と考えていた。

ちなみに米軍統治下の沖縄では、米軍車両は「イエロー(黄色)ナンバー」と呼ばれ、ナンバープレートにKeystone of the pacific(太平洋の要石)と書かれていた。

マッカーサーは、沖縄人は日本人と人種的・文化的に異なる民族、歴史的に搾取されてきたとし、沖縄が元来日本の主権の下に置かれるのを認めなかった。(マッカーサー覚書)。 これに対し昭和天皇は、昭和22年9月、御用掛の寺崎英成を通じ、GHQのシーボルト政治顧問に所謂「天皇メッセージ」を伝えた。

「天皇メッセージ」の内容は概略こうなっている。

(米軍が沖縄を軍事占領を希望していることに対し)「主権を日本に残したままでの長期ー25年ないし50年またはそれ以上のー租借方式という擬制に基づいて行われ、米国が沖縄に如何なる恒久的野心ももっていないと日本国民に確信させ・・・ソ連や中国が同様の権利を要求することを阻止するであろう。」

この「天皇メッセージ」に対し、沖縄メディアは、「昭和天皇が保身のため沖縄をアメリカに売り渡した」として、講和条約発効の4月27日を「屈辱の日」と呼称している。

だが、果たして昭和天皇の真意はどうだったのか。

1946 チャーチルが「鉄のカーテン」演説、1947 トルーマン米大統領がトルーマン・ドクトリン(共産主義対抗経済援助)発表。東西冷戦がはじまる。

米ソ冷戦の流れをいち早く肌で感じ取った昭和天皇は、アメリカが主導する自由主義陣営で生きるべきと決意した。

昭和天皇の真意を、かみくだいて言うと、戦後世界のトップに躍り出た米国の軍事力を背景に、ソ連と共産主義の脅威から日本の安全を守り、マッカーサーの「沖縄日本ではない」との分離方針を、敢て長期基地租借(長期リース)を提案するすることで回避し、本土と沖縄の分離を回避することにあった、と推測できる。

一言でいえば、「天皇メッセージ」の真意は、「保身のため沖縄をアメリカに売った」のではない。 

それどころか真逆の「本土と沖縄の分離を阻止した」と言うことになる。

ここまで言うと、沖縄の反天皇主義者たちは、こう反論する。

「天皇メッセージは御用掛寺崎のコメントをシーボルトがワシントンに伝言しただけで、当時の米国外交には何の影響も及ぼしていない」と。

しかし、沖縄戦後史の研究家で沖縄海兵隊の幹部を務めたR・エルドリッジ博士によると、当時の米国国務省は、天皇メッセージの長期租借の「示唆」に注目しており、同方式の検討を「特別勧告」したという。

「天皇メッセージ」は、トルーマン・ドクトリンなど当時の米国務省の外交方針と一致したが、日本が米国占領下から脱出し、講和会議、日米同盟への基盤固めをしたのは、戦後昭和22年前後、トルーマンドクトリンの基になった「封じ込め政策」のG・ケナンと反共主義者・吉田茂の見解の一致が、追い風となった。

もともと「封じ込め政策」とは、アメリカの外交官のG・ケナンが提唱したもので、トルーマン大統領が採用し、冷戦期のアメリカの外交政策とされたものであった。その意味は、ソ連邦の勢力拡大による世界の共産主義化を恐れ、それを防止するために、ソ連=共産圏諸国に対して政治、経済、軍事などあらゆる面で封じ込めるべきであるという外交基本政策である。

■マッカーサー覚書対天皇メッセージ

沖縄海兵隊の政務外交部次長を務め沖縄の実情に詳しいエルドリッジ博士は、マッカーサーの覚書に対応して天皇メッセージの持つ意味をその著書の中で次のように述べている。

「(マッカーサー覚書に関し日本の外務省は)このままでは沖縄が、米国や連合国の戦略的信託統治か主権獲得かのどちらかの方法で、日本から切り離されることは「ほぼ確実」と考えるに至った。」(「だれが沖縄を殺すのか」PHP新書)

当時のマッマ―サーと外務省の力関係は圧倒的にマッカーサーが上位であり、絶対権力者・マッカーサーの意向を生かしながら、同時に沖縄を米国の領土になることを諦めさせる。 この二律背反の難問に解決を与えたのが、天皇メッセージであった。

まさに肉を切らせて骨を断つ・・・「潜在主権」と言う奇策である。

エルドリッジ博士は、続けてこう述べている。

「昭和天皇は『主権を日本に残存させる』と言うことを条件に基地を置くことを認めるメッセージをアメリカ側に発したのであった。それによって沖縄を”喪失する”ことを防ごうとしたのである。現実に1951年9月のサンフランシスコ講和条約では、日本はJ・F・ダレス特使の口頭説明と言う形で、沖縄に対する「潜在主権」をようやく認められただけであった。」(前額書)

 ■刮目すべき昭和天皇の慧眼

ここで沖縄領有を主張するマッカーサー覚書と天皇メッセージそしてサンフランシスコ講和条約を時系列で検証してみよう。

①米国務省が1947年8月5日の対日講和草案で琉球諸島の返還を認める。

②1947年9月1日: マッカーサー覚書⇒沖縄領有を主張

➂1947年9月19日:天皇メッセージ⇒潜在主権の奇策で沖縄喪失を防ぐ

④1951年9月8日調印(1952年4月28日発効)⇒サンフランシスコ講和条約

時系列で検証すると、絶対権力者のマッカーサーが「沖縄の領有権」を主張し、マッカーサーに対抗すべく昭和天皇が「潜在主権」の奇策で、「沖縄喪失」防いだ、と言う歴史的事実が浮びあがる。

「天皇メッセージ」が伝えられた1947年前後の敗戦直後の日本はどのような状況だったか。

マッカーサーによる公職追放により、刑務所から続々出所した徳田久一などの共産主義者が言論・思想の自由のもとにもてはやされた。ところが共産主義思想の蔓延で、マッカーサーをは「ゼネスト」を禁止し、「逆コース」と皮肉られた。

しかし、昭和天皇が戦後の米ソ冷戦に直面し、アメリカを中心とした自由主義陣営に属する決意を「天皇メッセージ」で伝えた事実は、あたかも約70年後に起きたロシアによるウクライナ侵攻を予見していたようである。

敗戦利得者が共産主義思想を謳歌した昭和27年前後、昭和天皇は自由主義陣営で生きる決意をしていた。

時代を先取りした昭和天皇の慧眼には、今さらながら刮目すべきものがある。

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4 コメント

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韓国が韓国でなくなる日!? (コリアン・レポート)
2022-05-10 15:27:53
韓国の尹大統領が就任演説 「国民が真の主人となる国つくる」5/10(火)

新大統領の下で大転換へ
「.国としての姿勢を持たなければならない」とし、「自由、人権、公正、連帯の価値を基盤に国民が真の主人となる国をつくる」と強調した。
返信する
Unknown (amai yookan)
2022-05-08 23:56:05
〇 お年寄りの誰に聞いても「昔より・今が好い」と言う、これ当たり前だと思うが、、、

● サヨクの方々は、全然違うよーだ

〇 「幸せは、いつも自分の心が決める」=名言である。
返信する
母の日に思う (SDGs)
2022-05-08 10:33:21
「LGBTs」より「アンマー」
https://www.youtube.com/watch?v=7uAQlOq5TkI
返信する
本日の沖縄タイムス投稿欄 (カウンター58)
2022-05-08 10:22:26
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オピニオン面に一般投稿9本(児童生徒の「ぼくも私も」除く)。

「優しく 笑顔すてきだった母」の那覇市・赤嶺晴男さん(77)は、3月26日、4月9日に続き今年3回目の掲載。
「行商で苦労しながら子育て」の那覇市・屋比久貞雄さん(84)は、3月30日に続き今年2回目の掲載。
「基地は経済発展の阻害要因」の名護市・奥平孝一さん(54)は、1月12日、2月16日、3月24日に続き今年4回目の掲載。
「ほうき愛用 目と手を頼りに」の宜野湾市・大城隆史さん(67)は、2月11日に続き今年2回目の掲載。
「庭の花観察 元気が出る日課」の那覇市・友寄賢二さん(70)は、1月29日、2月26日、4月17日に続き今年4回目の掲載。
「抱き締めた父 思わず苦笑い」の南風原町・玉城亜紀さん(43)は、1月10日、4月7日に続き今年3回目の掲載。
「やんばる旅行 青春の思い出」の那覇市・山根光正さん(78)は、1月20日、3月3、28日、4月9日に続き今年5回目の掲載。
「アチョードゥグヮー 島の発展担った女性たち」の南城市・中村一男さん(75)は、2月22日、3月20日に続き今年3回目の掲載。
「天国の母に感謝」の西原町・瀬良垣世堅さん(60)は、2019年11月23日以来の掲載。
 
カギカッコは投稿欄における見出し。


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