■良書紹介
「自立自尊であれ」
著者:OXメンバー
本書の著者名は「ОⅩメンバー」とする。
メンバーは沖縄県庁のОBとマスコミ関係者あわせて5人。「ОⅩ」は沖縄伝統闘牛の牡牛をイメージした。元沖縄県知事仲井真弘多の人物像と、仲井真県政の仕事を読者に伝えるのが主眼。チームとして2年半かけて取材し、苦闘した本に完成した共同作品である。
従って、個々人の筆名よりもチームであることを優先して編著とした。すべては事実に基づき書かれた。
元沖縄県知事仲井真弘多が語る沖縄振興の現実
普天間基地移設問題、自立経済の確立
教科書では学べない、沖縄のリアリティがここにある。
自立自尊であれ
定価 880円
目次
第一章 奇跡の成果
第二章 理の人 情の人
第三章 強くやさしい自立型社会
第四章 基地問題の「解」
1 普天間飛行場の危険性除去
2 マスコミ不信
3 返還地後利用推進法
4 安全保障環境と防衛
★
■2016年県知事選、マスコミに負けた仲井眞候補
四年前の2016年11月16日、県知事選の開票がおこなれた午後8時過ぎ、仲井真弘多候補はテレビで翁長雄志候補に当確の文字が出た瞬間こう呟いたという。
「マスコミにやられた」
沖縄タイムス、琉球新報ら地元マスコミによる激しい仲井眞バッシングに敗北したという意味だ。仲井眞氏自身は翁長氏個人に敗北したとは思っていなかった。
仲井真氏は前年の12月、安倍首相から3000億円以上の一括交付金を7年間交付するとの約束を取り付け、喜びのあまり思わず「これでよい正月が迎えられる」と呟いてしまった。
仲井眞知事の世代の人なら、年末に良いことがおきたら「これでよい正月が迎えられる」と発言するのはごく自然に出る言葉だ。
ところが沖縄2紙は、この「良い正月」発言を根拠に、辺野古埋め立て承認をした仲井真知事のことを「金で沖縄を売った史上最悪の知事」などと罵倒した。
さらに「金で沖縄を売った知事」は一時の罵倒に止まらず、知事選中も沖縄2紙に利用され、反仲井真キャンペーンは止むことは無かった。 公職選挙法の疑いさえ浮上した仲井真氏への反中井眞キャンペーンは常軌を逸していた。
結局仲井眞氏や約10万票の大差で落選する。
仲井真氏は対立候補の翁長知事に敗北したというより、マスコミの反仲井真キャンペーンに負けたという悔しさで「マスコミにやられた」とつぶやいたのだろう。
何しろ、仲井眞氏の新聞に対する恨みは骨髄に達しており、現役時代も沖縄2紙の記者を前にして「沖縄タイムス・琉球新報は特定の団体のコマーシャルペーパーなので購読しない」と言い放つほどであった。
落選後も仲井眞氏は悔しさのあまり、自身の埋め立て承認を「瑕疵がある」として取り消した翁長新知事を次のように批判している。
2015年10月22日、ニッポン放送の『ザ・ボイス そこまで言うか!』に生出演し、同年10月13日に名護市辺野古移設に向けた埋め立て承認を取り消した翁長雄志知事の判断を「とんでもない話であり、瑕疵なんてある筈がない」と批判した。
また、同年11月9日のBSフジ『BSフジLIVE プライムニュース』にも出演して、辺野古移設問題では「(政府と沖縄県による)対立のための対立、パフォーマンス的でこれだと基地問題を解決できない」と翁長を批判している。
■仲井眞氏本人のインタビュー記事
地元マスコミによる選挙妨害ともいえる仲井眞バッシングについて、ご本人の仲井眞氏は2021年刊の『自立自尊であれ』の取材に次のように答えている。
ー マスコミ報道について見解を聞かせてください。
仲井眞 特に地元マスコミに対する不信感は未だ解けていないですね。
経済界にいた頃から元々、新聞2紙(沖縄タイムス、琉球新報)を中心とする地元マスコミとの関係は良好だった。(略)それが埋め立て承認後からは一変して、マスコミとの関係は険悪になっていきます。別に私の方がどうのではありません。取材する側が一方的な報道を流し、批判を繰り消すわけです。
例えば、承認する前の12月25日に安倍首相と会談して沖縄振興予算で満額回答いただき、基地負担軽減4項目も受け入れてもらいました。 こうした政府の対応に対して「感謝する」とか、「いい正月の実感」などの感想を率直に述べました。
ところが、マスコミの紙面は、私の意見とかけ離れて「辺野古承認と取引した」「カネで心を売った」などと歪曲して、とんでもない記事になってしまうのです。(略)
私に対する批判報道は、2014年11月の県知事選挙を通じて続き「反仲井眞キャンペーン」が展開されます。個人攻撃に類する内容や、選挙妨害まがいの記事が目についたため、私の後援会では名誉棄損で地元2紙を訴える意見が出されました。 訴訟は思いとどまりましたが、後援会では地元新聞に不信感が強くなりましたね。
■訴訟断念の裏話
仲井眞元知事は選挙戦を通じて仲井眞氏に対する沖縄2紙の謂れなき中傷記事に対し、怒り心頭で名誉棄損の訴訟を真剣に検討した。 だが上記インタビューでは「訴訟は思いとどまりました」と簡単に記し、訴訟断念の詳細は述べていない。
そこで、当時「裁判推進グループ」の中心にいた筆者が、今後新聞社を相手に提訴する場合の参考のため、提訴断念の裏話を説明しておこう。
先ずメディアを提訴する場合、テレビ・ラジオのような電波メディアと新聞のような紙メディアと二種のメディアを分けて考えるべきである。
テレビ等の電波メディアは、「電波法」「放送法」など総務省による取り締まる法規が存在するので、その準拠法を盾に提訴の糸口を見つけ出すことが可能である。しかも有名無実化したとはいえ、テレビ、ラジオの偏向報道に目を光らせるBPОの存在もある。
一方の新聞には電波法、放送法などの取り締まり法規が無い。 その上、憲法第21条で保証された言論・報道の自由を根拠に反撃するため、新聞を提訴するのは極めて困難である。おまけに新聞の業界団体として新聞協会が新聞の強力な支援団体になる。
これ等新聞の特殊事情を考え合わせても仲井眞氏が名誉棄損で新聞を提訴することは容易と考えていた。 何故ならば仲井眞氏は、新聞による謂れなき誹謗中傷の当事者であるためだ。
しかし、仲井眞氏の側近から別の思惑が浮上した。
仲井眞氏は過去に太田県政では副知事を務め、その後琉球電力社長、そして沖縄県知事を2期務めた沖縄で一番のVIPである。
そのVIPが知事選で落選後、対立候補を支援した新聞社を提訴するのは如何にも生々しく、前代未聞でもある。これが側近たちの提訴に危惧する理由であったが、仲井眞氏の立場を考えればもっともな意見でもあった。
そこで仲井眞氏や弁護士も含む「裁判推進グループ」は、こう結論付けた。
仲井眞氏が原告になるのは、新聞に対する公憤というより私憤の印象が強い。
沖縄一のⅤIPが自ら原告になる生々しい印象を避けるため最初に第三者の県民が原告になって新聞を提訴する。
そして、口頭弁論が行われたのを確認後、仲井眞氏が提訴に参加して原告団の一人に加わる。
このような段取りが「裁判推進グループ」の間での共通認識だった。
ちなみに最初に原告になる第三者の県民として筆者が名乗りを上げた。
ところが、再度新たな問題が浮上してきた。
当時者の仲井眞氏が原告になるのは容易だが、第三者の一般市民が新聞により損害を被ったとして提訴するための請求原因を見つけるのが困難である。簡単に言えば一般市民が提訴の名目を見つけるのが困難ということだ。
先ず第一に沖縄2紙は筆者が直接名誉棄損になるような記事を書いていない。
仮に間接的に名誉棄損に推定できる捏造記事を書いたとしても、そのために筆者が直接損害を被ったとして提訴するのは困難である。
その間「裁判推進グループ」の間で提訴の名目について何度も議論が闘わされたが、最終的に筆者個人は次のように結論付けた。
筆者の主張はこうだ。
「相手の新聞が憲法21条「言論・報道の自由」を伝家の宝刀として牙を剥いてくるなら、その「報道の自由」に真っ向から対抗して、県民として、また新聞購読者としての「知る権利」を新聞によって奪われた。 つまり「知る権利を新聞に奪われた」ことに対する損害賠償請求である。
つまり、保守・リベラルに関係なく誰も否定できない憲法が保障する「言論の自由」を逆手に取って、「言論の自由」の合わせ鏡である「知る権利」で、新聞に対抗するということだ。
結局、意見の調整がつかず「提訴は見合わす」ことになった。
筆者は「知る権利」を新聞提訴の請求理由にして、新聞の報道の自由に対して十分太刀打ち出来ると現在でも確信している。
■新聞提訴の補足
オピニオン面に一般投稿7本(児童生徒の「ぼくも私も」除く)。
「日本人とは呼ばれたくない」の那覇市・比嘉学さん(59)は、1月21日、3月16日、5月9、19日、7月11日に続き今年6回目の掲載。
「国は早急にワクチン確保を」の那覇市・大見昭子さん(86)は、1月19日、2月18日、3月21日、4月11日、6月10、29日、7月29日に続き今年8回目の掲載。
「『直く』の読み まだ納得せず」の北谷町・金良宗吉さん(78)は、5月27日に続き今年2回目の掲載。
「6秒間呼吸整え自分抑える」の豊見城市・當銘学さん(67)は、1月5日、2月4日、4月8日、5月3日、6月4日、7月1日に続き今年7回目の掲載。
「根こそぎ刈られた花々に涙」の那覇市・小黒美智子さん(79)は、今年初掲載。
「32軍司令部壕の検討委 県民体験重んじる答申を」の那覇市・垣花豊順さん(88)は、1月5日、3月26日、5月10日に続き今年4回目の掲載。
「戦友」の宜野湾市・吉村武さん(82)は、1月7日、3月9日、4月9日、5月14日、6月30日に続き今年6回目の掲載。
カギカッコは投稿欄における見出し。
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本のくだりで、
『仲井眞が知事を辞めてからのことだ。那覇市内のホテルのレストランで知人らと食事をしていると、店内で琉球新報の社長・富田詢一と出くわした。富田も妻と食事をしていたのだ。気づいた富田が近づいて挨拶しようとしたが、仲井眞は』
の後、
仲井眞氏の二言
「○○○○○?」、、、
「○○○○○です」
が何とも言えない。
多くの県民に読んで欲しい良書です。
もちろん県外の方も。