快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 明智光秀は逆臣にされてしまったのかもしれないが、それならば秀吉は逆賊

2018-05-15 19:53:06 | 明智光秀
 本能寺の変で信長を討ったとされている明智光秀ですが本当に信長を討つつもりで動いていたのかと言う点については個人的には疑問に考えています。
 ただ当時の立場的には斉藤利三や伊勢貞興などの主君であり、仮に斉藤利三ではない他の勢力が謀略で斉藤利三を強制参加させようと考え、明智軍を偽装して信長を襲撃したすればそれは明智光秀も加担したと見られてしまい、仕方なく光秀も加担したとする方向にしか選択肢がなくなり、あげく征夷大将軍に就任、そして山崎の戦いの首謀者となるしかなかったと思われます。
 ただはっきり言える事ですが、信長でさえも名目上であれ征夷大将軍であった足利義昭を殺害できずに追放できただけなのに比べ、例え3日天下ではあっても明智光秀は征夷大将軍であったにもかかわらず秀吉に晒し首にされています。
 光秀の征夷大将軍就任にあたってはおそらく安土城の莫大な金品財宝が朝廷に献上されたのかとは思いますが、いずれにしても官位としての征夷大将軍を自刃に追い込むと言う秀吉の行為ならそれはギリギリで逆賊でないのかも知れませんが、定かではないにしても光秀の首と思われるものを晒し首にしたとされるのは、明らかに朝廷に対する反逆行為、つまり朝敵と解釈されてもおかしくないのですが、そのような古文書などはなく、更にこれらを参考にする歴史学者などはその点を指摘するような事はあまり無いようです。これは普通ではない話です。
 山崎の戦いの後、それだけ秀吉が軍事力で脅しをかけて朝廷を含めて制圧し、情報統制を強行していたのかも知れません。

仕組みとアプローチ -  本能寺の変 織田信忠を討つ時刻が遅かった理由

2018-05-15 12:33:55 | 明智光秀
 通説では次の様になっているようです。
 「本能寺を襲撃した後に明智勢は織田信忠が妙覚寺かそれに隣接する二条新殿のいるとの情報を得てそこへ向かい、織田信忠を自刃に追い込んだ。」
 しかし個人的に考えてどうもこの話はおかしい。
 織田信忠と言う嫡男を取り逃がさずに信長襲撃をする程、襲撃側は杜撰ではなかったと思うのが普通ではないでしょうか。
 個人的にと言う範囲ではありますが、こう考えています。
 「襲撃側は最初から織田信忠が妙覚寺にいて二条新殿に移動する可能性が有る事は知っていたが敢えて最初から襲撃はしなかった、それは信長や信忠の居場所の情報提供した者を守る為、現代風に言えば司法取引のようなものであり、意図的に襲撃時時刻を遅らせた」と言う事と考えています。
 ではホンモノである織田信長と織田信忠の居場所がわかっていた組織や人物は誰なのか。
 実行部隊が斉藤利三や室町幕府旧人の伊勢貞興などとしてもそこへ情報を提供していたのは一体誰なのか?と言う事になって来るのかと言う事になります。