毛利氏が秀吉を追撃せず、足利義昭を明智方に渡す事もせずにいた対応について再度考えて見ました。
今月23日の記事で毛利氏のリスク管理について記事にしましたが、ここまで詳細に落とし込まずとも、大きな流れで考えればやは静観が妥当だったと考えられます。
結論から書きますと、要は織田方の内紛が当然想定される事、特に柴田勝家と秀吉の不仲を知っていたのならそれは必至、更に織田信長と信忠が討たれたのであれば、当然の如く織田信雄と織田信孝の跡目争いの様相、そしてそれに関連した家臣達の勢力争いが激化して内紛状態になる可能性が高い、と想定するのが正しく、現実としてそうなりました。
このような内紛が発生した場合、それらを観察しながら何処を裏切り、何処に加担するかを後から決めれば良い訳で何も本能寺の変直後十数日内に急いで結論など出す必要などないのです。
つまり毛利氏は何も急いで秀吉との和睦を反故にするリスクを負う必要はないわけで、反故にするなら秀吉を含む織田勢全体が崩壊する時、或いは秀吉勢が崩壊する時であれば良い、と言う事になります。
本能寺の変の後、有る程度の時間が経てば北条氏、上杉氏、長宗我部、雑賀衆、高野衆など反織田勢となりうる勢力が同調しながら蜂起し出して織田方には手がつけられない状況になった可能性は少なくなかったはずで、その時になってから毛利氏は秀吉との和睦を反故にして反織田勢に同調して一斉蜂起に加担しても遅くは無くリスクも低いわけです。
実際には秀吉が速攻で政権を取ったのですが、毛利氏は秀吉との協定を反故にしなかった実績で最悪の事態は免れる事になりました。
リスク管理も好例かも知れません。
今月23日の記事で毛利氏のリスク管理について記事にしましたが、ここまで詳細に落とし込まずとも、大きな流れで考えればやは静観が妥当だったと考えられます。
結論から書きますと、要は織田方の内紛が当然想定される事、特に柴田勝家と秀吉の不仲を知っていたのならそれは必至、更に織田信長と信忠が討たれたのであれば、当然の如く織田信雄と織田信孝の跡目争いの様相、そしてそれに関連した家臣達の勢力争いが激化して内紛状態になる可能性が高い、と想定するのが正しく、現実としてそうなりました。
このような内紛が発生した場合、それらを観察しながら何処を裏切り、何処に加担するかを後から決めれば良い訳で何も本能寺の変直後十数日内に急いで結論など出す必要などないのです。
つまり毛利氏は何も急いで秀吉との和睦を反故にするリスクを負う必要はないわけで、反故にするなら秀吉を含む織田勢全体が崩壊する時、或いは秀吉勢が崩壊する時であれば良い、と言う事になります。
本能寺の変の後、有る程度の時間が経てば北条氏、上杉氏、長宗我部、雑賀衆、高野衆など反織田勢となりうる勢力が同調しながら蜂起し出して織田方には手がつけられない状況になった可能性は少なくなかったはずで、その時になってから毛利氏は秀吉との和睦を反故にして反織田勢に同調して一斉蜂起に加担しても遅くは無くリスクも低いわけです。
実際には秀吉が速攻で政権を取ったのですが、毛利氏は秀吉との協定を反故にしなかった実績で最悪の事態は免れる事になりました。
リスク管理も好例かも知れません。