快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  家康の伊賀越え 護衛部隊の本質

2018-05-27 22:22:28 | 明智光秀
 家康の伊賀越えすが、本能寺の変の後から家康が伊賀忍者などの支援受けて脱出したと言う話が多いようです。
 個人的にですが、本能寺の変の後から、と言うのは有り得ない話だと考えています。
 家康が安土城で信長と会うために重臣を含む家臣数十名とだけ来たような話が通説のようですが、それは考えられません。
 それだけでは家康の護衛はできないはずなのです。
 そんな杜撰な態勢で家康がノコノコと安土に来る事はないわけで、実は商人や僧侶など様々な形に偽装して家康護衛団である伊賀衆、その他など忍者集団がかなりの人数で同行していたものと考えています。
 従って伊賀越えのサポートしていたのは本能寺の変の後から家康と会ったのではない、最初から三河から安土へ向かう家康を護衛していたグループだったと思われます。
 

仕組みとアプローチ -  長野県北部の地震 M5.1 と中越地震、そして福岡県筑後地方の地震

2018-05-27 07:29:48 | 地震 津波
 今月25日に発生した長野県北部の地震 M5.1 ですが、ここは2004年10月に発生した中越地震の震源域とやや近いようです。
 2004年と言うと、今月24日の記事で書いた中に有る通り、今月24日に記事にした福岡県筑後地方の地震 M4.0 の件が有ります。
 このエリアの地震でM4以上のものが発生したのは、2004年11月4日 M4.3 最大震度4 でした。
 順番は前後していますが、福岡県筑後地方でM4以上の地震が起きる時には、僅かな日数差で中越や長野県北部あたりで目立つ地震が置きやすい、と言う事が2度目となりましたが、これは果たして遠隔連動の傾向が有るのでしょうか。
 現時点では、たかだか2回のサンプルデータで傾向を言うまでには至らないと言う事になるのですが、これらの震源域は同じプレート上に有るのでこのプレートの動きが関係しているのかどうか、と言う仮説で今後の発生地震データなどから検証して行くのも悪くはないと思います。
 仮にですが2004年の中越地震レベルに至らなかった場合、「今月の福岡県筑後地方の地震 M4.0 は、2004年11月4日 M4.3 よりも小さかったので、それ相応に長野県北部の地震もそう大きくはならなかった」、と言う理論構築ができるのかどうか、と言う所ですが、長野県北部の地震が今後更に大きな地震になるのかどうかも含めて、実際にどうなるかと言うのはわかりません。
 できればより大きな地震にはならないで欲しいものです。