信長が誰かを使って家康らを消してしまおうと考えていたのかも知れない、とも解釈できるかもしれない記録が他にも有るように思っています。
それは明智光秀が徳川家康の饗応役として任務にあたっていた時の出来事とされている、あの有名な話です。
江戸時代以前の史料によれば内容は家康饗応の準備をしていた時に信長が光秀邸にやって来たのですが、その時に魚の腐ったような臭いがしたので怒って光秀を饗応役から解任した、と言う旨のものです。
「川角太閤記」や「常山紀談」にはこの旨の事が書かれているものの、「信長公記」には書かれておらず実際に有った出来事なのかはわかりません。
ただもしかするとですが、それに近い出来事が或いは有った可能性はゼロではないと考えています。
理由はこのような出来事が有ってそれを多くの人達が知る所となる状況だったのであれば、それはあたかも「明智光秀が饗応役だった事で家康ら一行は食中毒になっていたかも知れない」と言う事も連想させる為、「信長はそう言った危機を見抜いて寸前に止めた」と言う印象を受けるからです。
これが何を意味するのかと言うとこれが単に「信長が家康ら一行の身の安全に気を配っているという印象効果を狙っただけ」なのか、それとも「信長が家康ら一行を抹殺しようと考えていて、それを隠すアリバイ工作の為にさもあたかも信長が家康ら一行の身の安全に気を配っているという印象効果を必要以上に演出した」のか、果たしてどちらだったのでしょう。
少なくとも言える事は「信長が(仮にですが)仮に家康ら一行を襲撃、或いは毒殺する事を考えていたのなら、信長はアリバイ事前工作の為、そして犯人が明智光秀だったように印象操作を実行したのではないか」という事と考えています。
個人的にはこう考えています。
「本当に魚の腐った臭いがして食中毒の可能性が想定されるレベルの事を信長が察知したのなら、信長自身も自分に疑惑がかからぬように派手には怒らず、当事者以外にはわからないように内々で処理していたはず」。
最近の記事でも書きましたが、斎藤利三が5月30日に信長から切腹命令を受けたのも、何かこれに近い「印象操作の臭い」が漂っているような気がするのですが果たして真相はどうだったのでしょう。
それは明智光秀が徳川家康の饗応役として任務にあたっていた時の出来事とされている、あの有名な話です。
江戸時代以前の史料によれば内容は家康饗応の準備をしていた時に信長が光秀邸にやって来たのですが、その時に魚の腐ったような臭いがしたので怒って光秀を饗応役から解任した、と言う旨のものです。
「川角太閤記」や「常山紀談」にはこの旨の事が書かれているものの、「信長公記」には書かれておらず実際に有った出来事なのかはわかりません。
ただもしかするとですが、それに近い出来事が或いは有った可能性はゼロではないと考えています。
理由はこのような出来事が有ってそれを多くの人達が知る所となる状況だったのであれば、それはあたかも「明智光秀が饗応役だった事で家康ら一行は食中毒になっていたかも知れない」と言う事も連想させる為、「信長はそう言った危機を見抜いて寸前に止めた」と言う印象を受けるからです。
これが何を意味するのかと言うとこれが単に「信長が家康ら一行の身の安全に気を配っているという印象効果を狙っただけ」なのか、それとも「信長が家康ら一行を抹殺しようと考えていて、それを隠すアリバイ工作の為にさもあたかも信長が家康ら一行の身の安全に気を配っているという印象効果を必要以上に演出した」のか、果たしてどちらだったのでしょう。
少なくとも言える事は「信長が(仮にですが)仮に家康ら一行を襲撃、或いは毒殺する事を考えていたのなら、信長はアリバイ事前工作の為、そして犯人が明智光秀だったように印象操作を実行したのではないか」という事と考えています。
個人的にはこう考えています。
「本当に魚の腐った臭いがして食中毒の可能性が想定されるレベルの事を信長が察知したのなら、信長自身も自分に疑惑がかからぬように派手には怒らず、当事者以外にはわからないように内々で処理していたはず」。
最近の記事でも書きましたが、斎藤利三が5月30日に信長から切腹命令を受けたのも、何かこれに近い「印象操作の臭い」が漂っているような気がするのですが果たして真相はどうだったのでしょう。