快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 裏切りでも「謀反」、「寝返り」、「約束の反故」など様々です

2020-01-16 12:24:13 | 明智光秀
 一般的に本能寺の変は表面上、明智光秀、斎藤利三らが主君である信長を討った「謀反」とされています。
 「謀反」とは主君、或いは時の為政者に背く事を言うようですが、それならば将軍、足利義昭を追放した信長は「謀反」を起こした事になります。
 また長曾我部氏との約束である「四国は切り取り次第」と言うのを後に「阿波南部と土佐に限る」と言い出したのは「裏切り」では有っても「謀反」ではなく「約束の反故」に該当します。
 斎藤利三が信長に「裏切者」と言ったのかどうかはわかりませんが、言ってしまったとしても何もおかしくは無いと思えます。
 主君であろうが、なかろうが裏切りと言う点では同じだからです。
 信長が約束を反故にする「裏切り」は上記だけはでなく、例えば城攻め際、敵方城内の者達を助命する事を条件に開城させ、開城直後に皆殺しにしたりとかも有ったようです。
 他にも信長による「裏切り」とも考えられなくもない行為がいくつか有りますが、確証までは行かないので現時点では「疑惑」という所でしょうか。 
 本能寺の変の後、朝廷が明智光秀を征夷大将軍の任命しただけでなく、明智勢に与する武将が近江衆など多少ともいたのは、それだけ「裏切りの連続だった信長なら裏切られて当然」と見ていた人達は結構多かったのではないでしょうか。