快気分析

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仕組みとアプローチ -  その後にどのような大地震が発生したのか 1729年に発生した能登・佐渡地震

2024-01-17 09:06:41 | 火山 地震 津波 
 1729年に発生した能登・佐渡地震ですがその後にどのような地震が有ったのかについても気になりましたので見てみると次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M6.9(Mt8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M7.0 - 7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。

引用終了

 まあこのパターンで今後も同様な大地震が発生するのかどうか、と言うのは全くわからないのですが、気になるのはやはり、

1763年
1月29日(宝暦12年12月16日) 宝暦八戸沖地震 - M7.4 - 7.9、津波あり。三陸沖北部の固有地震[103]。
3月11日(宝暦13年1月27日) 八戸東方沖で地震 - M7.3、津波あり。宝暦八戸沖地震の最大余震[103]。
3月15日(宝暦13年2月1日) 青森県東方沖で地震 - M7.0。宝暦八戸沖地震の余震[103]。
1766年3月8日(明和3年1月28日) 津軽地震 - M6.9あるいはM7+1⁄4±1⁄4、弘前城損壊など。死者約1,500人。津波が千葉県の銚子に届いたとの記録あり。

あたりでしょうか。
 何しろ東日本大震災でプレートの歪が解消されたエリアの北側隣接域なわけなので。
 それと、

1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡沖地震 - M7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。

と言うのも気になります。
 更に、

1730年11月11日(享保15年10月2日) 常陸沖で地震 - M7.3、津波で船の流失あり。
1731年10月7日(享保16年9月7日) 宮城県南部で地震 - M6.5、死者数名、家屋が倒壊。

と言うのもまあ東日本大震災で危険な部分は対策済の所が多いとは言うもののやはり気になります。
 今後、どうなるでしょうか。
 それは今の技術では誰にもわかりません。

仕組みとアプローチ -  1729年に発生した能登・佐渡地震と令和6年能登半島地震を考える その2

2024-01-17 08:45:03 | 火山 地震 津波 
 1729年に発生した能登・佐渡地震ですがその前に発生した主な地震は次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#18%E4%B8%96%E7%B4%80

1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 - 信濃北西部で地震、M6+1⁄4、山崩れなど。死者56人。
1715年2月2日(正徳4年12月28日) 大垣・名古屋・福井で地震 - M6.5 - 7.0。
1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 - M7.5、陸前、陸中で津波や液状化により被害。
1718年8月22日(享保3年7月26日) 遠山地震 - M7.0、三河、伊那遠山谷で地震。遠山川の河道閉塞が後日決壊し、死者50人[119]。
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 - M6.5、肥後で潰家400、死者2人、筑後、豊後でも潰家。
1725年8月14日(享保10年7月7日) 高遠・諏訪で地震 - M6.0 - 6.5、諏訪高島城の石垣・塀・門壊れる。山崩れも、死者4人。
1729年8月1日(享保14年7月7日) 能登・佐渡地震- M6.6 - 7、死者少なくとも5人。
引用終了

 これを見るとすぐに気がつくのですが、

1714年4月28日(正徳4年3月15日) 信濃小谷地震 → 2007年の新潟県中越沖地震
1717年5月13日(享保2年4月3日) 宮城県沖で地震 → 2011年の東日本大震災
1723年12月19日(享保8年11月22日) 肥後・筑後で地震 → 2016年の熊本地震

と言う感じで似てる面が有るように思えるのですがどうでしょう。

仕組みとアプローチ -  1729年に発生した能登・佐渡地震と令和6年能登半島地震を考える その1

2024-01-17 07:27:03 | 火山 地震 津波 
 能登半島地震ですが、過去に似たような地震が有ったのかどうかを調べると簡単にわかります。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E7%99%BB%E3%83%BB%E4%BD%90%E6%B8%A1%E5%9C%B0%E9%9C%87

能登・佐渡地震(のと・さどじしん)は、1729年8月1日(享保14年7月7日)、能登国や佐渡国に被害をもたらした、マグニチュード6.6-7.0の地震である[1][2][4][5][3]。

能登半島の先端で被害が大きく、能登国珠洲郡・鳳至郡で死者5人[4]、家屋全壊・損壊791棟[2][5]。山崩れ1,731か所[5][3]。

輪島村では、総戸数593のうち、28軒潰れ、86軒半壊[5]。加賀国金沢では被害なし[5]。

佐渡国でも死者、家屋倒壊があった[2]。記録は未発見[6]。

能登半島北側沖を走る複数の海底活断層によって引き起こされたとの見方がある[7]

引用終了

 今回の令和6年能登半島地震よりもやや小さかった感じに見えますが、ただ異なる点は佐渡でも「死者、家屋倒壊があった」との事です。
 これが果たして能登地方の地震と同時に発生したものなのか、それとも連動して異なる時間で発生した地震によるものか、と言うのははっきりわかりません。
 なので今回も同じパターンで佐渡地方でも大地震が発生するのかどうか、と言うのもわかりません。
 今後どうなるでしょうか。