快気分析

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仕組みとアプローチ -  避難所の課題 ノロウィルスの感染リスクと対策

2024-01-20 16:19:28 | 避難所
 今回は記事のカテゴリーを新たに設定して「避難所」としました。
 避難所での問題として感染リスクが有り、能登半島地震についてもノロウィルスの感染拡大が有ったそうです。
 確かにトイレが共用で手洗いも水不足でろくにできないとかなら有りえる事象かと思えます。
 これに対する対策なんですが、自身がこうした被災地域で避難生活した事はないものの、野山で野良仕事をしていて習得したノウハウの観点から書きますと、「ビニール手袋を使いこなせ」と考えています。
 野山での草刈りやその他の野良仕事では手洗いするような水は限られています。
 それで例えば排尿する時とかに手を洗わないと、尿道からばい菌が入り込んで炎症やその他の状況となるので、手を洗わずにどうやって排尿するのかと言えば、それは予めビニール手袋とかを持って行って排尿する時にはそれ専用のビニール手袋だけを使うのです。
 これだと手洗いはしなくて良い上、衛生上も問題無い。
 これは避難所でも適用できるケースが有ると思ったので今回記事にします。
 結論からズバリ書きますと、「避難所でもビニール手袋を多数用意しておいた方が良い」。
 特にノロウィルスの場合は消毒用アルコールでは死滅しないとの事で、消毒用の塩素(キッチンハイターとか)でないとダメらしいので、それで消毒する必要が出て来ます。
 しかし消毒用の塩素(キッチンハイターとか)は手などの肌を消毒する為のものではなく、これで消毒すると肌にダメージが大きくやってはいけない事です。
 なので仕方なく消毒用アルコールだけで消毒しようとすると、これではノロウィルスは死滅しない。
 と言うワケでそれならばビニール手袋を使い分けしながら感染防止して、使ったビニール手袋は次亜塩素酸ナトリウム系の消毒剤でまとめて消毒し、再使用可能なものは使う、と言う手法に行きつくはずなのです。
 ですが避難時に持つべきものに何故かビニール手袋(或いはゴム手袋)やキッチンハイターなどの次亜塩素酸系消毒剤がリストされていない事が多いようです。
 使い捨てのビニール手袋とか言っても丁寧に使えば消毒後に再度つかえるケースも少なくありません。
 これって避難所では結構重要なノウハウかと個人的には思っていますがどうでしょう。
 今後の避難時に持ち出すものや避難所の運営に少しでも役立ててもらえればと思い、今回の記事にしました。

仕組みとアプローチ -  日本海側で発生する津波は太平洋側のものよりも到達までの時間が「いつも早い」のはホント?

2024-01-20 15:45:27 | 火山 地震 津波 
 主旨はサブタイトルの通りで、日本海側で発生する津波は太平洋側よりも到達までの時間が「早い」のはいつもホントなのかどうか。
 結論から書きますと確かに確率的にはそう言う傾向が有るのかも知れませんが、しかし太平洋側だって津波到達までの時間がかなり「早い」ケースだって有るはずです。
 理由は単純。
 海底の地滑りや崖崩れ、海底陥没などによる津波の存在です。
 これらが発生し得るような可能性のある傾斜や地盤状況の海底は太平洋側で結構有るはずなのですが、それらの条件となる状況は現状で調査しきれていません。
 なので海底地すべりや海底崖崩れ、海底陥没などを想定すれば太平洋側でも津波到達時間が短いような事象が今後発生し得る事は当然考えられるはずです。

仕組みとアプローチ -  海底隆起を伴う地震でも地震や津波被害が殆ど無かった例

2024-01-20 08:38:06 | 火山 地震 津波 
 海底隆起を伴う地震の例は多くあるのですが、その中でも例えば1590年の安房での地震のように地震被害が殆ど無かったケースも有るようです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#16%E4%B8%96%E7%B4%80

1586年
1月16日(天正13年11月27日) 飛騨で地震 - M7.0 ± 0.2、天正地震に先だち発生。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。
1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と7クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の地震の同日発生の可能性がある。養老断層(愛知県)の活動の可能性が高い。阿寺断層(岐阜県)が活動したとする説もあるが[86]、史料の詳細検討による震度分布から否定される[85]。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントで地震が同日に3つ以上発生した可能性もある[注 12]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2メートルの隆起あり。潮が引いて3キロメートルの干潟が形成された。
1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震) - M7.0、寺社倒壊など。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。ただし次の豊後地震と同一の可能性もある。
9月1日又は9月4日(文禄5年閏7月9日又は閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだと伝わる。大分県を走る別府-万年山断層帯での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7+1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯での地震と考えられている。


引用終了

 このような隆起を伴う地震なら通常は地震や津波で多大な被害が出る事が多いのですが、この時はスロースリップに近いような地震だったようで関東移封されたにも拘わらず家康が強運に恵まれた事がわかる典型ではないでしょうか。
 一方で秀吉の勢力圏では大地震とそれに伴う被害が多発しました。
 家康とその重臣らの緻密な計算による面は有りますが、歴史は自然災害により決まる面が大きい、と言うのは確かなようです。