2月6日に発生した台湾南部地震については、犠牲者が最も多く出たマンション以外でも倒壊、或いは傾倒、傾きが発生した建物がありますが、その全容が把握できていません。
一部については確認出来たので引用します。
引用開始(一部抜粋)
http://news.searchina.net/id/1601871?page=1
帰仁区大仁街では7階建ての幸福大楼の1、2階部分が押しつぶされた。1階部分は商店などが入居しており、3階以上は住宅だった。一時は34人が閉じもめられたが、全員が救出された。1人は病院に搬送された。 新化区中山路では、京城銀行ビルの1階部分が押しつぶされ、建物全体が大きく傾いた。その影響で、周囲の住宅用建物2、3棟にも被害が出た。 東区大智菜市場では、地上4階、地下1階の住宅や商店の雑居ビルが部分的に倒壊した。70世帯が閉じ込められたが、警察は56人を避難させることに成功した。 中西区民権炉では、市の古跡に指定されている神廟が大きな被害を受けた。 その他にも、市内各地で被害が出た。少なくとも8棟が倒壊したという。また、ガス管の破裂などで強いガス臭が立ち込める場所もあり、警察と消防はガス爆発など2次災害を警戒しがら、救助作業を急いでいるという。(編集担当:如月隼人)
引用終了
これらの損壊した建物ですが、仮に地震発生が銀行や店舗などが営業している時間内であれば、どれだけ更に犠牲者が出たのか、冷や汗ものだったのかも知れません。
今後、損壊や傾いた原因も分析されるのでしょうが、現状に於いてわかる事は、どうも画像に映っている限りだと、住宅等、小規模な建物で軽量屋根〈要するに古いものはトタン屋根)のものは、殆ど損壊がなかった、或いは犠牲者は出なかったようです。
「どんな建物で被害が出たか」も重要ですが、「どんな建物で被害が出なかったか」も重要かと思います。
倒壊したマンションのすぐ近くに建っている、結構古そうなトタン屋根と見える建物は損傷しているようには見えませんでした。
トタン屋根が登場したのは明治時代からですが、大正時代でもまだ瓦屋根の比率は多く、多くの建物が倒壊しただけでなく、更に当時は不燃材、難燃材などが使われておらず、漆喰塗りなども都市部では少なかった為、火災で焼けたものが多かったようです。
では火災を除外したとして、トタン屋根の二階建てまでを対象にした場合、どれだけの建物が倒壊しなかったか? 或いは倒壊しても(ケガはしても)犠牲者が出なかったか? その割合はどの位だったのか?と言うデータが有りません。
江戸時代以前でも、倒壊したのは町の瓦屋根の建物であって、犠牲となったのは商人や士族であって、小作農の藁葺き屋根とかが果たしてどの程度倒壊したのか?は疑問で更に倒壊して下敷きになっても死亡に至る確率は少なかったのではないか?と思われますがそれを証明するデータは有りません。
「被害がない、あるいは被害の確率が少ない、と言うデータは存在しないかそれに近いから」です。
しかし現実として、耐震基準改正後の様な耐震構造が十分な建物はともかく、そのような構造が昔は殆ど存在しなかった為、屋根が重い建物は倒壊する確率、倒壊して犠牲になる確率は結構高く、軽量屋根なら損壊を免れるか、或いは損壊しても犠牲にならずに済む確率は比較的高かったものと考えられます。
現在ではトタンに代わり、ガルバリウム鋼板やステンレス、アルミ、FRP、などで見栄えも良いものが様々あり、仮にその建物の耐震構造が不確かな場合は耐久性は瓦には及ばないですが、耐震対策としては屋根の軽量化が有効な場合が多いと思われます。
一部については確認出来たので引用します。
引用開始(一部抜粋)
http://news.searchina.net/id/1601871?page=1
帰仁区大仁街では7階建ての幸福大楼の1、2階部分が押しつぶされた。1階部分は商店などが入居しており、3階以上は住宅だった。一時は34人が閉じもめられたが、全員が救出された。1人は病院に搬送された。 新化区中山路では、京城銀行ビルの1階部分が押しつぶされ、建物全体が大きく傾いた。その影響で、周囲の住宅用建物2、3棟にも被害が出た。 東区大智菜市場では、地上4階、地下1階の住宅や商店の雑居ビルが部分的に倒壊した。70世帯が閉じ込められたが、警察は56人を避難させることに成功した。 中西区民権炉では、市の古跡に指定されている神廟が大きな被害を受けた。 その他にも、市内各地で被害が出た。少なくとも8棟が倒壊したという。また、ガス管の破裂などで強いガス臭が立ち込める場所もあり、警察と消防はガス爆発など2次災害を警戒しがら、救助作業を急いでいるという。(編集担当:如月隼人)
引用終了
これらの損壊した建物ですが、仮に地震発生が銀行や店舗などが営業している時間内であれば、どれだけ更に犠牲者が出たのか、冷や汗ものだったのかも知れません。
今後、損壊や傾いた原因も分析されるのでしょうが、現状に於いてわかる事は、どうも画像に映っている限りだと、住宅等、小規模な建物で軽量屋根〈要するに古いものはトタン屋根)のものは、殆ど損壊がなかった、或いは犠牲者は出なかったようです。
「どんな建物で被害が出たか」も重要ですが、「どんな建物で被害が出なかったか」も重要かと思います。
倒壊したマンションのすぐ近くに建っている、結構古そうなトタン屋根と見える建物は損傷しているようには見えませんでした。
トタン屋根が登場したのは明治時代からですが、大正時代でもまだ瓦屋根の比率は多く、多くの建物が倒壊しただけでなく、更に当時は不燃材、難燃材などが使われておらず、漆喰塗りなども都市部では少なかった為、火災で焼けたものが多かったようです。
では火災を除外したとして、トタン屋根の二階建てまでを対象にした場合、どれだけの建物が倒壊しなかったか? 或いは倒壊しても(ケガはしても)犠牲者が出なかったか? その割合はどの位だったのか?と言うデータが有りません。
江戸時代以前でも、倒壊したのは町の瓦屋根の建物であって、犠牲となったのは商人や士族であって、小作農の藁葺き屋根とかが果たしてどの程度倒壊したのか?は疑問で更に倒壊して下敷きになっても死亡に至る確率は少なかったのではないか?と思われますがそれを証明するデータは有りません。
「被害がない、あるいは被害の確率が少ない、と言うデータは存在しないかそれに近いから」です。
しかし現実として、耐震基準改正後の様な耐震構造が十分な建物はともかく、そのような構造が昔は殆ど存在しなかった為、屋根が重い建物は倒壊する確率、倒壊して犠牲になる確率は結構高く、軽量屋根なら損壊を免れるか、或いは損壊しても犠牲にならずに済む確率は比較的高かったものと考えられます。
現在ではトタンに代わり、ガルバリウム鋼板やステンレス、アルミ、FRP、などで見栄えも良いものが様々あり、仮にその建物の耐震構造が不確かな場合は耐久性は瓦には及ばないですが、耐震対策としては屋根の軽量化が有効な場合が多いと思われます。