「夏のオンナ」というタイトルが付いています。
最近のヒロクニさんは、絵のスタイルが以前とは随分違う。
この変化に、私はついていけず、言葉をもう失っている。
随分陳腐な解説のような、解説でないような駄文を書いてきたが、
以前のスタイルを完全にぶっ壊しつつある最近の作品は、
もう、私の思考力では太刀打ちできないような感じです。
私は、占いはあまり信用する方ではない。
しかし、たまたま占い師が言った言葉が思いだされる。
その占い師は、良人の絵をみたこともないが、生年月日を見て言うには、
「感覚が早くて最先端を行くから、理解されるのはずっと後になる」と言われたのを
この絵を見て、思いだしました。
言われた私は、内心で思ったことは「良人が生きているうちにでないと困るわ」でした。
そういう分けで、現在78歳で最先端を行く良人は、まだまだ長生きしてもらう予定です。
画家として踏み出してから、58年わが道を行くヒロクニさん。
一本の道だけがあるのみである。
毎日制作に励むヒロクニさんの横で、着物に目覚めつつある妻。
着物は、すべて実家から頂いてきました。
母は、「ある着物全部持っていって!もう着物着ないから・・・」とサバサバとした返事。
着物の量は、そんなに多くないが、祖母が持っていた着物にめずらしいものがあって驚いた。
どうも、祖母が着ていた着物でもなくもっと古い生地の着物も出てくる。
その着物の色柄が美しい。そそくさと持って帰り着付の練習をしています。
ネットで「1人で着る着物」の動画を見つつ練習するが、なかなか帯を結ぶのが難しい。
画像の音声を聞きながらやっていると、ヒロクニさんから「その音なんとかしてくれ」と言われ、
ヘッドホーンをはずしたり、したりとしながらの「1人着付け教室」はなんだかせわしい。
帯を結ぶのが難航しています。
「着物を着て、古典を読む」ために、着付けに汗を流しながらとりくむ姿は、
我ながら風流ではないなぁ~と思い、「あさましき姿なり」という感じ。
着物の練習をしていたら、ヒロクニさんは急に「竹久夢二」の画集を持ってきました。
画集の中の2枚を画集から切り離し、壁に飾った。
テレビの後ろの壁に貼られている。
ヒロクニさんは「竹久夢二」は、好きな画家の1人なんです。
私が「竹久夢二の描く女性像はあまり興味ない。女性がマスコットのように描かれているようで」と言うと、
ヒロクニさんは、「夢二はイラストレイターの先駆けの人であり、そのことが分からないようじゃ、しょうがないねぇ。」と。
「人物がちょっとへし折られているような描き方とか、そのデフォルメの美しさがわからないの?」とも言われた。
それから、ちょっとちょっと機会があるごとに、竹久夢二を見る量を増やしていきました。
ビアズレーなどのアールヌーボーの作風の美意識を発展させ、竹久夢二の絵はスタイルを作っていく過程を
見るにつけ、だんだん竹久夢二の良さがわかって来た。
今は、即物的な感心が強く、描かれた絵の着物の柄に感心がある。
絵って、やっぱり面白いと思った瞬間でした。
↑実家から持ってきた着物を着ると、ヒロクニさんが写真を撮ってくれました。
ちょっとイラついたのは、「50のおばさんを下から見上げるように撮らないでくれ!!!」と
何度も言ったのに、聞いてくれなかったことだ。
練習疲れぎみのわたくし・・・・・。
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妻は別のブログも書いています。
「さほりさんの自虐史観からの脱却」というブログです。
左側のブックマークに貼っています。
今は、フーバー大統領回顧録「日米戦争を起こしたのは誰か」を紹介しています。
ついでに、私が良く見るブログも貼ってあります。
よろしく。
ヒロクニさんは、この絵をすごく気に入っています。賛美の言葉、読んで貰っています。
着方も組み合わせもメチャクチャなのに・・・・。
でも、自信を持ったわ!
それは氏の絵のなかに類まれなる色感とカタチのハーモニーが成就され尽くしているのに象徴てき要素が全くの機能不全に陥っているからだ。
氏は例え象徴をテーマに画業に取り組めば取り組むほど神話の世界が紙のうえのヨゴレにすぎないのだと告げて神を審問する者だ。
僕もそう思った(笑)
サホリさんの ライトブルーにイエローの着物姿は
何と リオ の小百合さん の感じ(^O^)、マリオに勝ったかも(^O^)
着物を着た女性を観ていて男がホッとするのはなんでかな〜
ヒロクニさんにも着物を着せちゃえば、、、
ばとんがくちくなったびんぼはれどぅすぅまるだしでぶべるに凭れかかりあふわするから、
どうせならびんぼのれどぅすぅをぴんちしちゃえってなるんだ。
それに、
てうらうでしゅしゅをるしぇるしぇすると、
しゅしゅのひぃぶるがどいつもこいつもことんしんてちくで縫われているんだもの、
ふぃうゅはもむが痒くなっちゃうからてうらうのぼせせうるにまてぃぇるなてゅれるで縫われたしゅしゅはないですかと訊ねると、
すると、
こんなのは如何ですかとぼせせうるが奥からびばんてなわとわうとをひっ張りだしてきて、
わとわうとのすうふをいすばぁで撫で撫ぜしながらしきりに勧めるからふぃうゅが試しにわとわうとのすうふを頬ばると、
とてもべうと臭いんだ。
それというのも、
わとわうとはせいぜいぱらぷりゅいばっとのはり替え用だったからなのだけど、
でも、
わとわうとのすうふで縫われたしゅしゅって面白いかもしれないわねって畳みかせると、
いくらなんでもそれはないだろとわとわうとは、
ぼせせうるの手を振り払いふぃうゅに打ちかかるからふぃうゅは履いていたれどぅすぅが脱げちゃうんだ。
だけどそれって、
らりゅでびんぼからぴんちしたれどぅすぅだったからなんだけど、
ふぃうゅには緩すぎるんだ。