この絵が出来上がった時、「ちょっと見て」。と、アトリエに呼ばれる。
「どう思う?」と聞かれる。
妻の心得として、作品に対して聞かれた時のみ「いいとか、よくない」とか言う事にしている。
普段は、あまりなにも言わない。
「どう思う?」と言われた時に限って、私にとっては非常に難しい作品だったりする。
思うことを急にまとめて言葉にするのは大変なのだ。おぼろげな思いを言ってみた。
「なんか枯れた感じがして、そこがいいかなぁ?」と答える。
そこから、ヒロクニさんの朗読が・・・始まる。(いや、解説)
急にフランスの小説家、フローベルの話や、マルセル・プルーストの話が続き、
「ランルの姿」と言う言葉が飛び出したかと思うと、急に日本の画家、村山槐多や青木繁、
長谷川利行に続き、熊谷守一さんが、「長谷川利行のような絵はいい」と言っていた話になる。
話の流れから「ランルの姿」の「ランル」というのは、フランス語で「ランル」という言葉があるのか?と、
思っていたが、後で調べて見ると、ランルは、襤褸という日本語だったのです。
襤褸(らんる=読み方)の意味は、ぼろ。つづれ。
襤褸(ぼろ=読み方)の意味は、 使い古して役に立たなくなった布。ぼろぎれ。つづれ。
多くは他の名詞の上に付けて 比喩的に、質が劣るもの。
つぎはぎの(きたならしい)衣服。
みっともない欠点・失敗
とあり、ボロをまとった姿という風に取れます。
ヒロクニさんは、風狂な人物像のことを言っていたのだと後で分かりました。
12月6日(火)晴れ やや暖かい日
昨日の「襤褸の姿」の話の続きをあれこれと考えていました。
「襤褸の姿」で一番思い当たるのが、私の中では一休禅師であります。
一休禅師は、姿のおいては生涯、ボロをまとい、骸骨の付いた杖を突いていたそうです。
ボロをまとうその姿は、贅沢をしないという仏教の教えであり、
「侘び」「寂び」を実践した人であったということが思い浮かび、
ヒロクニさんが描いた絵もそういう要素があるのだろうか?
そんな事を考えていた。
また、一休禅師は、千利休に影響を与え、茶道に影響を与えた人でもあります。
ということは、茶道は禅宗から派生した文化であるともいえるのではないか?
こんなことが浮かびました。
茶道は、高校生の時に茶道部だのですが、「和菓子」を食べるためだけに入ったので、
茶道のことはあまり知らない。、お茶をされている方は、いろいろ知っているのかなぁ~と、
思い、知らないことってたくさんあるのだなぁ~と痛感します。
茶道を習っているお友達がいるので、聞いてみようと思います。
そんなことを考えて過ごした一日でした。
「襤褸(らんる)」という言葉を知った日でもありました。
そんな日の夕食。
アジの干物と絹さやと豆腐の炒め物。添えているのは、白菜の糠漬け。
きゅうりは、もろみと共に。
絹さやと豆腐の炒め物は、向田邦子さんの料理の本から。
とても簡単で美味しいですよ。
豆腐は、ふきん(もしくはキッチンタオル)で巻いて、水分を抜いておきます。
絹さやは、筋をとって洗っておく。
まず、フライパンにゴマ油を入れ熱します。そこへ豆腐をそのまま入れ、混ぜながら小さくしていく。
豆腐からの水分がフライパンに出てきてから、絹さやをいれます。(茹でないで)
そこへ、醤油、砂糖小さじ1杯を入れ、炒めます。水分がなくなってきたら出来上がり。
絹さやの香りがとても爽やかな一品です。
ヒロクニさんは、「意外と美味しい」と言っていました。
秋は、菊の花が美しい季節です。
ご近所の方がいつも菊を満開にさせているのです。
あまりに美しく、見事なので写真を撮らせてもらいました。
ふかふかな感じがなんともいえません。
そろそろ菊も終わりになってきている時に、一際美しくさいています。
「枕草子」にも菊はよく登場します。
雨が降ったあとの、菊の様子や、宮中での祭事、
重陽の節句・菊の被綿(菊の上に綿をのせて菊の香りを移つして、香りと菊を楽しむ祭事)などの様子が書かれています。
そんなことも思いながら、菊を愛でています。
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