「この絵のタイトルは、なに?」と聞いたら、
「Worksでいい。」と。
「いや、もっといいタイトルがあるハズだから、思いついた言う。」ということになっています。
この絵も下書きなしに描かれています。
ヒロクニさんは、筆圧が強いので、線を引くと消しゴムで消しても、必ず紙に線の痕が残ります。
その痕があまり見られないということは、一気に描いた絵になります。
形も楽しいが、形のせめぎあいの具合もここちよく、この絵のリズムがなんともいえない。
この形の中に、猫ちゃんもいるそうだが、どれだかわからないのであった。
ヒロクニさんに「私、この絵を見ていると、くつろぐわ。」と言うと、
「そうであるなら嬉しいね。」と言われました。
この絵だけではないのですが、ヒロクニさんの絵って「感覚タイプ」の人の絵だと、
よく思うことがあります。
時々で、理論が吹っ飛んでしまう人のことでしょうか?
日常生活でそれをやられると困りますが、絵の中でそうなるのはとても良い事に思えます。
感覚が先行するというか・・・・・。
なんでもメチャクチャがいいのか?という分けではなく、
その感覚というのは、当人なりの蓄積、感覚と呼ばれるものの蓄積があって、
スポンジが水(感覚)を吸収しているような状態。
何かの拍子に、それが唐突に出てくる。
そして、瞬間があるのだと思う。
その感覚が、出てくる瞬間を逃さないことが出来る人が感覚タイプだと。
夕食を終えたあとの会話で、絵を見ながら、ヒロクニさんは、
「知性を超えたものがいいわけで、
知性というのは、前後左右をみながらのものでしかないだろう。」と。
いきなり知性を否定していました。
この一言は、感覚タイプの重要な一面に通じるものがあると思う。
ヒロクニさんの場合は、そのベースになっているのは、普段のメモや毎日の絵を描く行為だと思います。
ヒロクニさんの机に向かう姿は、執念深いというか、粘り強い。
↑こちらは、上記の絵のあと、貼られているメモ。
メモのわりには大きい。
顔のようなものの下に並んでいる黒い形、線が、私にはたまらない。
こういうものが隣の部屋(アトリエ)には、山積み。
それと平行して、マッサージの時間が増えています。
「さほり、やって。」て、言って、すでに寝てらっしゃるの。
それでもって、「ここをしたら最後だから。」と言う。
その「ここをしたら最後だから。」のセリフが何回も続く。
私は、「ここをしたら最後って言ってたのに、延々伸びてるぅ!
嘘つきか・・。最後だからって言うから、どれだけ最後を期待してやっていると思ってるの!」と、言う。
「ああ、これで終わりだと期待しているのよぉ。」とも。
私も忍耐強くって、マッサージを45分ぐらいしてから、期待を持たせられるとイライラするのです。
しかし、84歳になっても、腕にお灸もせず、整体とかにも行かず、
まだ、腱鞘炎にもならず、腰痛もなく、やっているのでありがたいのかもしれない。
当人曰く、「若い時、野球をやって身体を鍛えていたのが良かったんだよ。」と言うが、
そんな中学生の頃のことが、今にまで効果が続いているとは、思えない。
子供の頃は、野球選手になるのが夢だったそうで、
中学時代は、放課後になってから野球をするのに学校行っていたという、不登校者。
精神も病んでないし、身体も健康なのに、登校するのに何の支障もないのに、
「席はあるが、見たことがない生徒」として、有名だったらしい。(同級生談)
昔は、不登校という言葉がないので、「ズル休み」を延々していた人なんでしょうね。
登校しないことに対して、まったく不安を感じない精神が凄い。
当たり前なのです。自然体なんでしょうね。
その代わりに、人の出会いがあるようで、そこで成長していっているみたいなんです。
面白いなぁ~と思いながら、横にいます。
話が、感覚の人からずれてきたので、話を戻します。
感覚タイプの人の特徴は、おしゃれな人が多く、
話が分かりにくい人という傾向があるらしく、
それは、ヒロクニさんそのものなんです。
話は、聞いていると船酔いをしているような気分になるし、分かりにくい上に長い。
だから、私はゆっくり話を聞くときは、眼の前で、奈良の大仏のように寝そべって、
「この体勢ならいくらでも聞くわよ~ん。Come on! カモ~ン!」と心の中で思い、手でジェスチャーする。
「何でも言ってよ~。」状態を作ります。
心の準備が出来てない時は、座っている身体がユラユラしてきて、
ヒロクニさんの顔のある反対方向のカレンダーを見つめてしまう。
カレンダーを眺めていると、何故か心が落ち着くのでした。
それでも、話続けるヒロクニさん。
話の用語が難しく、「バカにでもわかるように説明して!!」と、言うこともある。
(話の内容が分かるときは、聞いています。)
おしゃれという特徴は、定評がある。
服とかも貰いものが多く、たまにしか買わないのですが、小物をうまく使う。
冬は、マフラーの多いこと。いろんな色を持っていて服装にあわせてしています。
帽子は、外出の時には必ず被る。
(家では、股引姿で、穴の空いた綿のシャツが定番になりますが・・・。)
そして、もう1つの「感覚タイプ」の最大の特徴があります。
あと、自由を重んじる性向。
これも、先ほどの不登校のことで実証済み。
究極のマイペース。
私は、違うと思うのですが、私も話が分かりにくいことがあるらしく、
ちょっとだけ感覚タイプみたいな要素があるらしい。
自分を知るというのは、難しいようで、人のことの方がよくわかるというのも皮肉なことです。
私が知っている自分のことをあげるとしたら、
強情であること。
好き嫌いがはっきりしていること。
面白いと感じたことに関しては、しつこく探究する。
時々、悪趣味な冗談を連発すること。悪いかも?と思ってもしつこく、言うこと。
(過去に「鼻くそ食べたことがありますか?という質問をやたらしていたことがあります。
ヒロクニさんから、「いいかげんにしなさい!」と言われたことあり)
まじめ。
時々、興奮しやすい。
自分の特徴を思いつくのはこれくらいでしょうか?
あなたは、ヒロクニさんタイプ?
あなたは、私に似ているタイプ?
しかし、自分のことは、分かりにくいものですね。
庭のビオラ達を紹介します。
咲き始めです。
↑地植えしたもの。これは、昨年植えた「食べれるスミレ」の種を採取して育てたもの。
小さいですが、花を付けています。
↑こちらは、濃い赤茶色と黄色の花のビオラの種を採取し、育てたもの。
2種類のビオラに分かれてしまいました。
↑後ろのビオラをアップで撮ったもの。
元の花は、紫色はまったくしていなくて、濃い赤色の花が元の花なのですが、
紫色が出てきています。
花屋さんに教えてもらったのですが、掛け合わせて作った花は、
最所は、その両親の遺伝子が出てきて、その次は、祖父母の遺伝子が出てくるそうで、
掛け合わせたものが順番に出てくるのだそう。
先祖帰りをしていくそうです。
このビオラの元は、フリルが入ったパンジーのようなビオラで、赤を主体に色身が混ざったものだった。
次に黄色と茶色のビオラと赤茶と黄色のビオラに分かれたのです。
私は、黄色と茶色が少しかかる花色のビオラが、クラッシックで好きになっていたのですが、
今年は、紫色を多く見ることになりそうです。
あのクラッシックな古典的な雰囲気が好きで、モノねだりしていたので、ちょっとがっかりしています。
それでも、このビオラの種を採取して、次の祖祖父母の代のビオラを見てみようかな?と思っている。
しかし、残念。無念。
↑こちらは、白色に紫の縁があったビオラの種から。
紫色の部分が多く出て、やはり元の花と違う。
↑こちらは、部屋に入れて楽しむムスカリ。
やっはり、花が咲くのは3月頃になるかな?と思い眺めています。
春が待ちどうしい。
そんな冬の日の我家の夕食。
↑具沢山のみそ汁。
大根とにんじんを茹でたものを豚肉で巻いたもの。
棒だらの甘辛煮の身をほぐした押し寿司。
かつおのたたき。それに、たまねぎのスライスとねぎの野菜を添えて。
あと、つけもの。(蓋付きの入れ物に入っています。)
↑この押し寿司は、ご飯の間に昆布の佃煮が挟んであって、
上に棒だらのほぐし身とでんぶ、錦糸卵、さやいんげんの塩茹でを刻んだもので作ってあります。
押し寿司の道具を買ったので、挑戦しています。
具材さえ揃えば、おにぎりより簡単みたい。
一気にできあがるところが気に入っています。
味は、普通でした。
猫を頑張って探しましたが、わかりませんでした。
形がわかるモチーフではなく感覚でとらえて感じるのが、ヒロクニ先生の描く作品なのかなと私は思っているので、猫を思いながらこの作品を何度も鑑賞します。
さほりんが、ブログという形式で紹介してくださっているので、何度も見返し、考えることができます。
「知性を超えたもの」の領域に入るには超えるための知性がないといけないわけで、自分が習得したものを否定するというのはなかなか難しいです。
マッサージの話に驚きです。45分も!なんて忍耐強いのでしょう。
45分もやって、「これで最後……」と言われ続けたら、それはイライラします。
奈良の大仏に爆笑です。なんでも聞いちゃう感があふれています。その体勢で長時間話を聞いていると、睡魔に襲われてしまうのでは、とちょっと心配です。
感覚タイプの方は、全方向的、それは360度とかそういう数字で測れる方向ではなくて、五感プラスそれ以外の感覚すべてで感じたことが行動につながるのかな、と思いました。
私は違いそうです。おしゃれは好きで、話もわかりづらいかなと自分で思うこともありますが、理論が吹っ飛び、何かが唐突に出ることはないなあ、と。
感覚で考えるより、数字や論理が立つ考え方や行動が好きです。そして、神経質で偏屈です。
「鼻くそ食べたことありますか?」と聞かれたら、なんて答えるか困ってしまいますね(笑)
正直に答えるか、笑いをとるか……。
ビオラの先祖返り、何回読んでも不思議です。なぜなのでしょう?遺伝学に明るければ、わかるのでしょうね。その論理を紐解いてみたいです。
以前、花屋さんで買ってきたビオラの苗の種を取って2~3年続けて育てましたが、年々花が小さくなってきて、やっぱりちゃんと種取りの専門家じゃないと難しいのかなと思いました。
ムスカリ、四角い鉢にちんまりとぴっちり入っていて、すてきです。真似してみたいなあと思いました。
押し寿司が立派です。簡単と書かれていますが、簡単に見えません。そして、見た目はもちろんですが、棒だらとさやいんげんが食欲を刺激します。
前回のお返事でいただいたラブ、謹んで頂戴しました(笑)。ありがとうございました。
「ヒロクニさんの絵を巡るふたりの女の往復書簡」が気に入ってしまいました。いいですねえ。
私はヒロクニ先生を「巡る」などととても言えませんが、さほりんの一端でちょこっと巡らせていただけたらすてきです。
まず、何から答えようかな?
この絵の中にいる猫ちゃんのこと、聞きました。中央のすぐ下の黒い丸の形の左上と右上の形、2つが猫らしい。はっきり言っていました。猫より人の形に見えるのですが・・・、私には。でも、猫なんだそうです。
感覚タイプの強烈な人が、身近にいると分かり易いのですが・・・・。実は、強烈な感覚タイプの友人が、最近、目の前に現れて、再認識したので、こういう内容を書きました。
私は、感覚というもの自体は、フィーリングに近しいもので、ひらめきや、即興性に富むものではないかな?と捉えていますが、どうでしょうか?
私も感覚タイプに近しいところもあるようだけれど、理論も大切と思うタイプで、また現実が大切という所があって、極端にはならない、なれないと思うのです。ともりんもココに近いのでは?言う意見がコロッと変わったりしないタイプだと思うのです。
しかし、ヒロクニさんは、コロッと変わることがあるのです。瞬間、瞬間で、判断が違うようなんです。えーなんですけど・・・・。移り変わりが速い。感覚タイプってこんな感じだと思いますが、想像出来るかな?
「鼻くそ食べたことありますか?」は、長くやっていました。(恥)反応を見るのは、非常に楽しかったですね。そんなことを聞かれると思っていないから、皆アクションの様子が・・・。ちなみに、圧倒的に、子供の頃食べたという人が多かったです。私も、そうでした。答える前に「それって、食べ物じゃないでしょ。」と言った人がいて、すごく印象に残りました。
ビオラの先祖帰りは、花屋さんが「学校で、遺伝子の授業で法則のこと習わなかった?」と聞かれました。法則があるのだなぁ~と思った次第です。ビオラは、確かに花が小さくなってきています。そうでないもの稀にあります。不揃いな感じになっています。
大仏になっていると、身体にゆとりがあるせいか聞けるのです。座っている方が、眠たくなります。座っていると、身体が動いてしまって、「ちょっと。」と言って席を立つと、「ほれほれ、すぐそうなる。」「やっぱり君はだめだな。」と言われます。「だめじゃないわよ!」と発奮させようとしているのかもしれませんが、だめで結構よ。という感じになります。やっぱり、大仏がいいのです。(笑)
いつも、語りかけるようなコメントを下さって、ありがとう!