この絵が、朝の絵だというのが分かるのは長きにわたり暮らしてきた賜物です。
右上には、黒い線で歯ブラシが描かれています。
歯ブラシというのは、武内にとって、朝の象徴のようなモチーフで、
コップと歯ブラシのスケッチなどもあります。
これが転じて「歯ブラシ女王」というものを考え出し、
歯ブラシがたくさん登場する絵を描いていた時期もあった。
歯ブラシでサーフィン、またはスケートボードのように駒がついているものに、
一つ目の四角い人物像が立っている様子が、個人的に好きでした。
それはさておき、朝の珈琲を愛する武内の心情が現れていて、
今日も元気でやってみよー!という意気込みが感じられます。
今日も爆発するゾ!そんな予感。
いや、しかし最近は老体に鞭打っているようで・・・、苦しい日があるみたい・・・。
画材は、鉛筆とクレヨンになります。
そろそろ夏バテするか?と思いながら過ごしていましたが、
思ったとおり、暑さに疲れております。
さすがのわたしも、料理をする前に躊躇します。
食欲はあるのですが、作るとなると「今日は休みたいな・・・」と思うわけです。
そんなときに、弟の訃報が入って、21日はお葬式にいっていました。
あまりにも突然だったので、信じられませんでした。
実は、4年ぐらい前に妹を亡くしていたので、4人兄弟だったのが、半分になって2人だけに。
弟は優しい人柄。
わたしたち兄弟は、家のものが皆働いていた為、
幼い頃、兄弟4人で過ごすことが多く、4人で濃密な子どもの時間を送っていました。
わたしは長女なので、一番下の弟のお世話は、よくしたと記憶しています。
せざるを得なかったということもありますが、一番下の弟は小さくて可愛かった。
弟をおんぶしていて、そのおぶい紐で弟をくくり、兄弟揃って写っている写真を見ると、
いつの時代の貧民か?という様子です。
亡くなった弟は、上の弟で、小さいながらそっとわたしを手伝ってくれるようなところがあり、
子ども心に、そういう優しさを感じさせるような弟だったのです。
下の弟達は、兄弟げんかをしたりしながら、とても仲が良かった。
下の弟は、母が「孤児院にいれてやる!」(このしかり方、いつの時代?)と怒鳴ると、
「僕、お兄ちゃんとならどこでも行く」と答え、ぜんぜん悪びれる様子がなく、
「そんなにお兄ちゃんが好きだとは・・」と残りの家族一同で呆れた。
また、親が許してくれない要望などは、兄弟で話し合ってから一致団結して、嘆願したものだ。
だから、子ども議会なるものがあって、親が家にいない時によくやった。
不愉快なことも議会で話し合われ、何故それが嫌なのかという理由と共に、
止めて欲しいと嘆願するのです。
だから、お互いが何に対して、どういうふうに嫌かということを知る機会にもなり、
結束力がますます高まる。
だだ、親との話は、かみ合わなかったり、通じなかったりといろいろで、
難航し、お互い感情的になったりすると、一番下の弟が、
「お姉ちゃんもお母さんも皆、やめてよ!」と大声を上げ止めるのです。
意外な横やりに、皆驚き、弟を見つめるその他一同。
言い争いは終わる。
わたしは、「家族が争ってあんなふうだと、弟は気持ちが荒れるんだ」と思い、納得した。
そんなふうに、祖母、母、兄弟姉妹の人間模様があって、
とても楽しいく、笑った日々が思い出され、子どもの頃の時間がオバーラップされる。
そんな私達も大人になり、それぞれの家庭を持ち、時々顔を合わせることも減ったが、
会えば冗談をいい、わたしは、よくからかわれた。
競馬を楽しんでいる弟に、
「よくそんなことやるは。賭けても負けることがあるじゃない。そんなものは嫌よ。」と言うと、
「僕らは、サラリーマンだからね。ハラハラすることってないし、そこがいいんよ。」と言った後、
笑いながら、「お姉ちゃんとこみたいに、人生が賭けじゃないからね」と言われ、言葉につまりぐぬぬ・・となる。
そんなふうに思っているのか・・ということや、
「人生が賭けねぇ~」上手いこと言うと思ったが、
自分のことを考えるとトホホ・・となりながらも面白いのです。
お葬式の最中、奥さんと話す機会があり、
「お姉さんが作ってくれたと言って、そうめんを焼く料理をよく作ってくれたんです」と。
「あの焼きそうめん?錦糸卵やらハム、きゅうり、もみ海苔を乗せているやつ?」と聞くと、
そうだと。
「それは、祖母がよく作ってくれた料理で、美味しかったから今でも作るけど・・」と言いながら、
記憶を手繰り寄せる。
作った記憶ははっきりしないけれど、あれやこれやと弟に何か作っていたことはある。
なんたって、母の料理のことで、同じ意見だった上の弟と、今日の料理の怖さを語り合ったものだ。
そんな記憶と共に、そんなことを言いながら奥さんに“焼きそうめん”を作ってあげていたと知ると、
可愛い弟だという思いがこみ上げる。
その“焼きそうめん”は、油そうめんと言われるものと違い、見かけは冷麺のようなのです。
茹でたそうめんをバターで炒め、軽く塩こしょうをして、お醤油を垂らすのです。
醤油の風味加減で塩こしょうを調整したらいいというもの。
その上に、先ほど書いた通り、錦糸卵、ハムの千切り、きゅうりの千切りをのせ、
もみ海苔をふりかける。
混ぜながら食べるとバターの香りとよく合います。
ヒロクニさんも美味しいそうで、たまに作ってと言われます。
私たち4人は当時、一般的に見たら可哀そうな兄弟にも見えていたと思いますが、
そういう状況だったからか、お互いに思いやり、そして子供らしく笑い、子どもらしく何かに熱中し、
冗談や親しみをこめたからかいで、ある意味濃い兄弟でした。
1人かけ、2人かけ、寂しく思いましたが、
この寂しさというのは、ことわりなのかもしれないと思い、
楽しい思い出はそのままにしながら、自分の人生をまっとうしなくてはいけないのだろうと。
気弱にならず、生きていかねばなりません。
何やかやと、最終的に食べ物の話に流れていくのが、わたしなのでしょうかと思いつつ、
今日はこの辺にしたいと思います。
個人的な話し、それもわたしの個人的な心情オンリーの話でしたが、
お読み頂いた方ありがとうございます。
実家に帰る道のりで、撮った写真を。
今の神戸の家は、夏は植物にとって厳しすぎるのか、
トマトの苗も枯れてしまいました。
宝塚市は、ヒロクニさんの言う通り、花の多いところなのだと実感しています。
5月に。宝塚にて。
この絵は、ハチャメチャでありながら、どこか清々しいと思うのです。朝を感じて頂き嬉しく思います。
「冷えたトマトジュースを朝食前に飲む」とあり、実は、私もトマトジュース(食塩あり)を夜に飲むので、親近感が湧きました。飲むと寝つきがよくなるような気がして飲んでいますが。トマトジュースの話題で、パッと赤い色を思い浮かべ、とても新鮮でした。この絵に赤い色が使われている部分を見返しました。トマトジュースって、嫌いな人も多いので、ともりんは、やっぱり仲間ね!と思ってしまいました。美味しいですよね。
「きれいな言葉を」のくだり、お気持ちよく分かります。私自身もそう思う質なので。もう、それだけで親身になって下さっているのだな、と。いつも優しい姿勢と声かけ、ありがたく思っております。
感傷的になっていましたが、人って不思議なもので、日常が立て直してくれるようで、今は普通になってきています。この度も、ともりんの配慮、ありがとうございます。嬉しく思いました。
今年の夏は、酷い暑さで参りました。今は秋の気配もあるけれど、日中、湿気があって暑いですよね。
こちらでは、夏場は、植物にとって辛い日差しのようで、花はあきらめました。秋にトライ。
ともりんのお庭の様子を浮かべながら植物のことを思い浮かべています。バラにとっては、この夏大変だったのですね。古い枝にとあり、自然界は不思議な現象をもたらしますね。同感です。
マツバギクに根が付いたとあり、これから楽しみですね。年数が経つとだんだんと広がって、花をたくさんつけますよね。そう、植物(花とか)が大きくなって成長していくさまは、何故か人を元気にさせてくれます。生命の不思議さ。
最後に「強く生きること」が良いことなのかはわかりませんが、とあり、大きい疑問だと思いました。人は、弱くなったり、強くなれる時など、変化があります。
だた、疲れている時は休まないといけないと思います。お互いに上手く休息や活動をしましょうね。
ヒロクニさんこそ、それを発揮して欲しいのですが、絵を描きすぎては、「疲れた。みじめだ。」と言い出すので、「休息を取ってくださいよ。」が声掛けになっています。
この暑さのせいで、疲れている人多いと思います。
いつも見守ってくれているような感じもするコメント、ありがとうね!
朝の珈琲はとても尊いです。体にしみわたり、しみじみと「美味しい」とお腹の底から思えます。同じように、朝食の前に飲む、冷えたトマトジュース(無塩)ものどを通るたびに「この世で一番美味しい」と思うのでした。
弟さんのこと、驚きました。月並みで申し訳ありませんが、お悔みを申し上げさせてください。書いていただいた文章を何度も読み返しました。きれいな言葉を並べることは簡単ですが、私の中ではこれ以上の言葉を出すことが出ませんでした。申し訳ありません。
子供議会のこと、そして親御さんとのやり取り、おばあ様の焼きそうめん、その光景を想像しながら拝読しました。さほりんの想いを、書いていただいた言葉と文章そのまま、私の中で感じさせていただきながら拝読しました。
今年の夏は暑すぎます。庭のバラのシュートと呼ばれる新しい枝も次々と枯れています。体力のあまりない古い枝も枯れてしまいました。
その中で、本筋ではない枝(栄養がまわっていない不良枝、本来は剪定する枝)が青々とした葉を茂らせていて驚きました。ヒトの画一的な判断は自然には及ばないと思い知らされました。
暑さがつらいです。暑さもですが、湿度がつらいです。バテバテです。気力が出ません。強い台風も次々と発生して、日々の暮らしを守ることが以前より厳しくなっているように思います。
この暑さの中、今年の6月に挿し芽をした、近所の方からいただいたマツバギクの枝が無事に発根し、ぐんぐん葉を伸ばしています。暑さで気持ちが弱っている中、その強い姿は気持ちを上向きにしてくれています。
「強く生きること」が良いことなのかはわかりませんが、この自然の中でゆらゆらと状況に対応しながら頑張りすぎずに生活をしていきたいです。