いかにもヒロクニさんらしい作品です。
記号のように描かれている街の絵。
左上に歯ブラシのようなものが描かれているのが、摩訶不思議。
歯ブラシのコレクションをしていた時もあり、ドイツ製のゴムで出来たものを思い出します。
「令和」という新しい年号が始まりました。
万葉集を図書館で借りて、読んでいる最中だったので、「あらら!」と思い驚きました。
ヒロクニさんは、テレビで万葉集のことが特集を組まれていると、「さほり、やってるぞ!」と親切に読んでくれます。
この句の原文は、『万葉集』の巻五に、「梅花の歌三十二首〔并せて序〕」(815〜846)の部分です。
原文は、『于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香』
《書き下し文》では、ここでの読みは文語とする。 時ときに、初春しよしゆんの令月れいげつにして、
気き淑よく風かぜ和やはらぎ、梅うめは鏡前きやうぜんの粉こを披ひらき、蘭らんは珮後はいごの香かうを薫かをらす。
と、あります。
この原文は、漢字で書かれていますが、万葉集自体は、すでに大和言葉なんです。
漢字の意味とうまく日本独特の当て字をしていてるので、現代人がおぼろげに(私の事ですが・・・)読んでもわかるようになっています。
鎌倉時代に、漢字の原文を仙覚という天台宗の学問僧が、万葉集の研究として、
尚書禅門真観本、基長中納言本、六條家本、忠定御本、左京兆本などを入手し、万葉集の校合・校本作成にさらにいそしみ、
この前後より万葉集についての体系的な注釈作業を開始したのが、文永3年(1266年)から文永6年(1269年)にかけて
『萬葉集註釈』(萬葉集抄、仙覚抄)を完成させている。
現在私たちが読んでいるのは、この万葉集になります。
万葉集の前書きに、説明が書いてありました。
闘病という程大げさではないが、体調が悪かった時に、『ねずさんの目からウロコの日本の歴史』を、YouTubeで見てしまいました。
具合でも悪くならない限り、見ることはなかったと思います。
特に縄文時代のことが面白かった。縄文時代というのは、遺跡などの様子から争ったり、殺人などが全く無かった時代だったそうで
面白い解説でした。また、文字がなかったそうです。もしかしたら記号のようなもので表現していたかもしれないと思いました。
チンギス・ハーンが築いたモンゴルの遊牧民にも文字がない文化であったことも考えあわせたりして、
文字だけが文明を作るのではないのかもと妄想したりして、体調が悪かったが途中楽しく過ごしていました。
万葉集を読みながらで、その頃の様子、自然のありようも違うだろうし、高い建物もひしめいていない時代、
テレビや娯楽もなく、素朴で今の現代人とは感覚が違うであろうなぁ~と思いつつ、共感できる感情の流れなどを
感じながら、日本って面白いと思っています。
古代から、日本の続いている感が面白い感覚なんです。古典を読む楽しみはこれにつきるのでは?と。
ヒロクニさんには、「私が万葉集を好んで読んでいる」ということがインプットされているようで、
「さほり、やってるよ」。と、令和の和歌の解説のたびに呼んでくれます。
「体調悪い時は、食事は俺が作る」。とインプットして欲しいのだが、それは無理なようです。
「さほりは、自分で作る料理が好きだよねぇ」。と言われたことがあり、
「サホリは、自分で作る料理が好き」。と、インプットされているのでしょうね。
確かに、健康な時は、「サホリは、自分で作る料理が好き」。なんですが・・・・・。
だけど、ヒロクニさんは優しくなった。
以前は、体調が悪くても受け入れてくれなかったのだけど、買い物を行ってくれるようになったもの。
それも自発的に。ちょっと甘えれた感じがして嬉しかったわ。
体調もだいぶ良くなってきて、ホッとしています。
令和の時代、よい時代になって欲しいですね。
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お茶目なピー。
座布団の角で、遊びます。目が丸くなるといっそう可愛いヤツ。
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