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最後の火花 74

2015年06月10日 | 最後の火花
最後の火花 74

 成績は順調に上がっていった。段々と進学とか志望校とかが念頭に置かれる。ここは競争社会なのである。訴訟と戦争とファイトの国のアメリカより劣るとしても、和が正しいと教えられるにせよ、教室も学校も無言の戦場だった。

 わたしは本に逃げ込む。「ジョニーは戦場へ行った」を探す。ひとりの夢ある青年が、ある意味で人間性を失う。また別の面では人間のままである。わたしはポテト・チップスをつまみながら読んでいる。最近、にきびも気になりだした。途中で鏡をのぞく。早く大人になりたかった。しかし大人になっても、最愛の男性や、ましてや自分の子どもが戦争という無意味なものに奪われたくもなかった。そして、誰も殺してほしくなかった。加害者と被害者の殺戮の歴史が、地球の成り立ちそのものだとしても。

 学校で父兄を交えた面談がある。見たこともないお母さんたちを目にする。瞬時に評価しようとするが、直ぐに思いから逃れ出してしまう。人間というのは同世代にしか目が向かないようにできているのだろうか。

 そのなかで、もっとも高級で派手な服を着ているのは、わたしの母だった。恥ずかしいと思いながらも、もう何度もその姿を見ているので、気にもならなくなってしまっている。鈍感というのは何より美しいのだ。

 わたしのことが大人のふたりの間で話し合われている。傍観者の気分を味わう。成績が上がったことは誉められ、ふと、授業中にぼんやりとする癖は、引きつづき注意される。先生は集中力ということを大切な要因だと力説した。彼にいわれなくても自分でも理解している。しかし、まったく空想しない人間など正しいのだろうか。値打ちがあるのだろうか、と表面はにこやかにしながらもこころのなかで考えていた。母も先生の意見に同意する。子どもには本を読んでもらう子になってほしいと願っていたが、その願いは叶い過ぎたと後悔しているとのこと。そう言いながらも本代は父にしかねだらない。

 成績の上昇の謎は、家庭教師がいるという事実を告げると先生は納得してくれた。理解を示したにせよ、不満ものこした顔になった。万能の教師などいない。また、教師という公務員もタイム・カードを押して帰れば、ひとりの人間だった。

 ぼんやりとして聞きそびれそうになったが、自分の頭脳をあらわす数字と、それに見合う学校の情報を提供される。いまの成績と力量の現状と、背伸びしたらたどり着くところと、万が一という場合の三校が母の手元の紙に書かれた。家に帰って父に相談され、わたしはもう一度、面談があるのだろう。面倒くさい世の中だ。わたしはスカウトに乗らないはずだったのに。

 ふたりで挨拶をして、部屋を後にする。夕焼けがきれいだった。

 わたしはその後、友だちの家に寄り、包丁をつかった。切れ味鋭く、キュウリやキャベツやトマトが薄く細切れになった。

「光子ちゃん、うちに就職すればいいのよ」と、おばさんは勝手に無謀なことを言う。この場で実地に学んだ能力は、大人になったときに家庭をもった時点でもきっと生かされるのだ。しかし、わたしは未来を見越して行っているのではない。この作業がただ純粋に楽しいのだ。なぜ、母はこの喜びを知らなかったのだろう。

 翌日には柴田さんが来る。わたしの料理を食べてもらう。

「上手なのね。わたしより断然、上手だよ」

 ほめられると嬉しいものだ。その証拠にお皿の上のものはきれいに平らげられた。わたしは三つの学校の名前を教える。彼女は評判やうわさを語った。さすがに生に近い情報だった。最後に、背伸びをしないと入れない学校を柴田さんは勧めた。

「いまから頑張れば、間に合うからね」

 わたしは覚える。誰かが誰かのためにつくった問題を解く。漢字をくりかえし書く。歴史の流れを把握しようと努力する。武田信玄の度胸を学び、徳川家康の慎重さを理解する。かえるの成長した絵を眺め、漁業の収穫高を暗記した。ソ連の農業のことも知る。わたしはぼんやりとする時間をもちたかった。

 柴田さんを送った後に、父とゆっくりと歩いている。ある学校の名前がわたしの目指す目標として掲げられてしまった。父は入学金と授業料を調べるのかもしれない。だが、そう痛手にもならないだろう。明日はゴルフだから早く眠るつもりだと言った。

「ここに、入ってみようっか? まだ、食べられるだろう」と言って黒い暖簾の寿司屋の戸を父は開けた。

 わたしは周りのおじさんたちの好奇な視線を浴びる。学校でも、部活動でも会わないひとびと。父はグラスにビールを注いだ。わたしは熱いお茶をすする。

 板前さんは手際よくお寿司を差し出した。わたしたちは一貫ずつ食べた。わさびが少し鼻に痛い。またお茶をすする。きれいな女将さんがいる。こういう役割に自分はぴったりと当てはまるだろうかと考えてみるが、わたしのシャイな一面が周りの常連さんをぎくしゃくさせてしまう不安がのこった。

 赤貝を食べる。とても新鮮だが、きれいに包丁で細工されている。わたしにもできるだろうか。そう思いながらもお腹はいっぱいになった。戦場よりずっと良いところがたくさんある。例えば、ゴルフ場とかもそういう類いのところだろう。ここもまさしくそうだった。

「内緒だぞ」と父は店の外でにこやかにささやいた。