最後の火花 79
わたしは大事なことばを待っている。ことば以外にも実際に、この空間で彼の存在を待っている。
駅のそばで紅茶を飲んで、本を読んでいる。きっかけができた場所。ひざには高慢と偏見が置かれている。わたしはぼんやりして遠いむかしの最初の恋のことを考えていた。すると彼が入ってくる。わたしの時間の感覚は変になり、誰を待っていたのか分からなくなっていた。
「こころ、ここにあらず、という顔をしてたよ」
彼はひとの表情を読み取ることに長けている。わたしのよろこびも、怒りも悲しみにも敏感だ。わたしはその面では鈍感だ。ひとが怒っていることに気付かない場合もあった。
彼はコーヒーを飲む。ミシェル・ルグランの音楽が流れている。今日という完璧な一日。
ふたりで夜の町を歩く。さわやかな風が吹いている。むかしのテレビのコマーシャルを思い出していた。老夫婦が楽しそうに町を飛び跳ねるように歩いている。わたしもああなりたいと英雄に言ってみた。
「そうなるのには随分と時間がかかるよ」
「いや?」
「いやじゃないけど」
「いやじゃないけど?」
「もっと現在を楽しみたい」彼はこちらを向く。「奪われたものも多かったので」
「うん」わたしは納得する。
ひとはいつ、このひとと決めるのだろう。自分と相手の両方がそう思う必要がある。シーソーのバランスは丁度でふたりとも宙に浮く。相手がいなくなれば落下してお尻に衝撃がくる。それが失恋でもあり、離別でもあった。そうならないように願っている。
もうウソもつきたくないし、過剰に自分を高めて良く見せるようなこともしたくない。努力を怠るということではなく、等身大の自分にぴったりの衣服を見つけるようなものだ。良さも悪さも、高貴さも醜さも考慮しない自分という存在。そのままを愛されているという満足感。わたしはそうなるのだ。
高いビルの上階にあるレストランに行く。となりでは誕生日のパーティーなのか、とてもにぎやかだ。キャンドルの炎を吹き消すという行為を客観的に見ると、とても不思議なことに思えた。疑うこともせずに幼児のころから何度もしてきたのに。
「楽しかった思い出ある?」わたしは小さく見えないようにとなりのテーブルを指差した。
「子どものころは、どうだったろう。途中からは、もうないよ」私はすぐに彼の過ごしてきた環境を忘れた。「光子は?」
「たくさんあったな」しかし、どれかひとつを選んで取り出すことはできなかった。総じての誕生日というイベントから。「はじめて学校のお友だちをたくさん呼んだときかな、それでも」
「どんなものを用意するの?」
「加藤さんというお手伝いさんがいて、いっぱい料理をつくってくれた。お手製のケーキも」
「そのひとから習ったの?」彼は段々とわたしの料理に洗脳されてきている。
「別のひと。中学のときの友人のお母さん。そうか、まだあのお店やってるのかな。今度いってみる?」
「うん、行ってみよう」
約束というのは未来だから成立する。わたしは過去に交わして果たせなかった約束について思い出そうとした。結果はなにひとつ出てこない。わたしは忘れっぽいのだ。それでも、数々の記憶は生きている間に少しずつストックされていく。料理のレシピも増えていく。わたしは今後、どれほどの品々を食べてもらえるか考えてみる。冷やし中華も作って、温かいスープのバリエーションも披露しなければいけない。
前菜の小さなチーズの切れ端を食べる。においも味もダメなひともいる。
「豆腐ようって、食べたことある?」
「あるよ。一丁ぐらい」彼はまじめな顔をして冗談を言う。わたしは吹き出しそうになる。
「好き?」
「とくべつにでもないけど、キライでもない」
普通の料理の日もあって、誕生日を祝うための日もあった。珍味を口にする機会もあって、どうしようもなくアイスを食べたくなるときもある。定番が流行となってしまい、陳腐なものになってしまう場合もあった。
テーブルには白身魚のグリルが運ばれる。白いワインも注がれる。お酒をまったく飲めないひとだったら、どうなっていただろうかと考える。十代のときに付き合った恋人たちは、それ以降、お酒を飲んだのだろうか。彼らとの約束ものこっていない。
ヒレの肉がテーブルに載った。誰がこういう順序を発明したのだろう。好きなものから食べるという単純さにあこがれる。すると子どもたちはデザートからはじめる不作法をくりかえすかもしれない。わたしはさっき選んでしまったデザートが交換できるか悩んでいた。
わたしたちもこういう段階を追いたいと思った。家を決めたり、赤ちゃんの洋服を買ったり、車を買い替えたり、子どもの入学式や卒業式に立ち会ったりして。最後にまたふたりになる。たくさん喧嘩をして、たくさん仲直りする。いっぱい笑って、ちょっと泣く。ふたりで思い出の土地へ旅する。未来だけが約束に値する土地なのだ。その未来が前方に開ける。誰も奪えないさわやかな予感。わたしだけに示されるであろう大切なことばが待っている。
わたしは大事なことばを待っている。ことば以外にも実際に、この空間で彼の存在を待っている。
駅のそばで紅茶を飲んで、本を読んでいる。きっかけができた場所。ひざには高慢と偏見が置かれている。わたしはぼんやりして遠いむかしの最初の恋のことを考えていた。すると彼が入ってくる。わたしの時間の感覚は変になり、誰を待っていたのか分からなくなっていた。
「こころ、ここにあらず、という顔をしてたよ」
彼はひとの表情を読み取ることに長けている。わたしのよろこびも、怒りも悲しみにも敏感だ。わたしはその面では鈍感だ。ひとが怒っていることに気付かない場合もあった。
彼はコーヒーを飲む。ミシェル・ルグランの音楽が流れている。今日という完璧な一日。
ふたりで夜の町を歩く。さわやかな風が吹いている。むかしのテレビのコマーシャルを思い出していた。老夫婦が楽しそうに町を飛び跳ねるように歩いている。わたしもああなりたいと英雄に言ってみた。
「そうなるのには随分と時間がかかるよ」
「いや?」
「いやじゃないけど」
「いやじゃないけど?」
「もっと現在を楽しみたい」彼はこちらを向く。「奪われたものも多かったので」
「うん」わたしは納得する。
ひとはいつ、このひとと決めるのだろう。自分と相手の両方がそう思う必要がある。シーソーのバランスは丁度でふたりとも宙に浮く。相手がいなくなれば落下してお尻に衝撃がくる。それが失恋でもあり、離別でもあった。そうならないように願っている。
もうウソもつきたくないし、過剰に自分を高めて良く見せるようなこともしたくない。努力を怠るということではなく、等身大の自分にぴったりの衣服を見つけるようなものだ。良さも悪さも、高貴さも醜さも考慮しない自分という存在。そのままを愛されているという満足感。わたしはそうなるのだ。
高いビルの上階にあるレストランに行く。となりでは誕生日のパーティーなのか、とてもにぎやかだ。キャンドルの炎を吹き消すという行為を客観的に見ると、とても不思議なことに思えた。疑うこともせずに幼児のころから何度もしてきたのに。
「楽しかった思い出ある?」わたしは小さく見えないようにとなりのテーブルを指差した。
「子どものころは、どうだったろう。途中からは、もうないよ」私はすぐに彼の過ごしてきた環境を忘れた。「光子は?」
「たくさんあったな」しかし、どれかひとつを選んで取り出すことはできなかった。総じての誕生日というイベントから。「はじめて学校のお友だちをたくさん呼んだときかな、それでも」
「どんなものを用意するの?」
「加藤さんというお手伝いさんがいて、いっぱい料理をつくってくれた。お手製のケーキも」
「そのひとから習ったの?」彼は段々とわたしの料理に洗脳されてきている。
「別のひと。中学のときの友人のお母さん。そうか、まだあのお店やってるのかな。今度いってみる?」
「うん、行ってみよう」
約束というのは未来だから成立する。わたしは過去に交わして果たせなかった約束について思い出そうとした。結果はなにひとつ出てこない。わたしは忘れっぽいのだ。それでも、数々の記憶は生きている間に少しずつストックされていく。料理のレシピも増えていく。わたしは今後、どれほどの品々を食べてもらえるか考えてみる。冷やし中華も作って、温かいスープのバリエーションも披露しなければいけない。
前菜の小さなチーズの切れ端を食べる。においも味もダメなひともいる。
「豆腐ようって、食べたことある?」
「あるよ。一丁ぐらい」彼はまじめな顔をして冗談を言う。わたしは吹き出しそうになる。
「好き?」
「とくべつにでもないけど、キライでもない」
普通の料理の日もあって、誕生日を祝うための日もあった。珍味を口にする機会もあって、どうしようもなくアイスを食べたくなるときもある。定番が流行となってしまい、陳腐なものになってしまう場合もあった。
テーブルには白身魚のグリルが運ばれる。白いワインも注がれる。お酒をまったく飲めないひとだったら、どうなっていただろうかと考える。十代のときに付き合った恋人たちは、それ以降、お酒を飲んだのだろうか。彼らとの約束ものこっていない。
ヒレの肉がテーブルに載った。誰がこういう順序を発明したのだろう。好きなものから食べるという単純さにあこがれる。すると子どもたちはデザートからはじめる不作法をくりかえすかもしれない。わたしはさっき選んでしまったデザートが交換できるか悩んでいた。
わたしたちもこういう段階を追いたいと思った。家を決めたり、赤ちゃんの洋服を買ったり、車を買い替えたり、子どもの入学式や卒業式に立ち会ったりして。最後にまたふたりになる。たくさん喧嘩をして、たくさん仲直りする。いっぱい笑って、ちょっと泣く。ふたりで思い出の土地へ旅する。未来だけが約束に値する土地なのだ。その未来が前方に開ける。誰も奪えないさわやかな予感。わたしだけに示されるであろう大切なことばが待っている。