最後の火花 86
得意分野と不得意なこと。分岐点。子どもが成長するごとに段々と明瞭になった。運動する能力はあるのだが、水泳は苦手らしかった。このまま学校に上がっても同級生は二十人ほどしかいないだろう。過酷な競争、熾烈な戦いに巻き込まれる状況にはない。そのなかでトップにならなくても、ビリに落ちなくても半ばぐらいで充分だろう。大人になったらここではなく都会で住むことになるのだろうか。そこはライバルたちが大勢いて、大変な事態もあるかもしれない。そのようなときに親身になってくれる友人が作れるだろうか。優しい恋人を見つけているだろうか。ひとは愛される権利があるのだ。
わたしは誰もいない部屋で本を読んでいた。ある男性の悔恨のような文章だ。数人の女性はこの不甲斐ない自分、愛される価値の少ない人柄を本気で愛してくれたのに、その見返りに自分はいったい何を与えただろうか、と悔いていた。冷たい態度、連れない対応、素っ気なさ。その男性はお酒に酔うと、その亡霊が訪れるが、また飲まないわけにはいかないと書いた。
逃げた夫にはそうした類いの気持ちはないだろう。後悔があるだけまともなのだろうか。後悔するぐらいなら、はじめから優しくすべきなのだろうか。後悔や失敗があってこその人生だろうか。わたしは何も分からなくなる。
ひとはひとりになる時間も必要なのだと改めて思った。ラジオを聴き、図書館に行った。この町の財政のことなどまったく分からないが、新たに図書館が建った。山ほどの本があって、それを書いたたくさんのひとが世界中にいて、それを読む大勢のひともいる。わたしはキョロキョロと好奇心で辺りを見渡す。ひとは会話もするが、ひとりで根気よく本も読むのだ。不思議といえば不思議でもあり、なかなか不可解な性質だった。
帰り道の橋を渡ると下で遊んでいる英雄と山形がいた。彼らは本当の親子に見えた。そして、この場のわたしはまったくの他人のようだった。ふたりはふざけ合い、大声で笑っていた。わたしはしばらくぼんやりとしてその姿を眺めていた。夫はなぜあんなに簡単そうなことができなかったのだろう。彼も失敗したからこそ、新しいものを発見できたのだろうか。ひとは居ないひとのことも想像できる。本の主人公のように、いや、脇役ぐらいだろうか、わたしは客観的に、まったくの愛情も欠けたものとして、彼のことを思い浮かべていた。
英雄が橋のうえのわたしを見つける。手を振って、大きな声で呼ぶ。自分を知っているひとがいる。この日本に何人ぐらいいるのだろうか。わたしは悔いという感情がないのかもしれない。現在にも固執せず、薄ぼんやりとした未来に目を向けがちだった。
それから、親子三人のようにして連れ立って歩き出す。
「あの本、あった?」と山形が訊く。わたしは布の袋から頼まれていた本を取り出す。息子の分もある。合計三冊の重みが幸福の分量のようだった。
家に着くと、山形は薪を割った。都会には電気もガスも下水道も捨てるほどあるのだろう。英雄はそこの住人になってたまに誘ってくれるだろうか。いつまでも母親思いでいられるのだろうか。妻となるひとはわたしに冷たくあたるだろうか。勝手に愛情があることを理由に横取りするくせに。わたしは架空の嫉妬をしている。だが、いまはまだまだ早い。もっと成長を見守る機会があるのだ。
わたしはご飯の用意をする。日曜というのはあっという間に過ぎ去ってしまう。明日から彼はまた働く。お金を運んでくれる。そうした契約も義理もほんとうはないのかもしれない。わたしたちは生きなければいけないのだ。すすんで良い場所にここをしなければならない。
三人で食卓に向かう。彼は明日の仕事の話をした。お得意様に車でできあがった製品を配達するらしい。彼は自分のうわさに怯える一面があった。だが、そのマイナスを補うほどの解放感が、うるさい工場から逃れる魅力として溢れているそうだ。
「今度、乗せて!」と、無心に英雄が言う。
わたしは免許があることすら知らなかった。
「取り直したんだ」と引け目があるかのように語った。そして、英雄の方に向かって、「格好悪い三輪車だよ」と付け加えた。
英雄は困惑した顔をする。車に三輪車などあることを知らなかったのかしら。わたしは説明する。だが、百聞は一見に如かずらしく、彼は配達後、ここに寄ってくれるそうだった。
翌日、英雄は横にすわって彼の職場まで乗った。もう夕方だったので、そこからふたりで歩いてきた。社長がジュースをくれたということでとても喜んでいた。人間らしく振る舞えば、きちんと人間らしくなるということを社長さんは信じているらしい。疑おうと思えば、どこまでも疑える世の中だった。また反対に信頼しようと誓えば、どこまでも信頼できる世界だ。わたしも最初はそう願って結婚をした。信頼に値しないひともいるが、そう簡単に割り切ることも、捨て去ることもできない。わたしはこの小さな家のなかの日々を信頼している。完全でも偉大でもないけれど、一心に刻々と信頼していた。
得意分野と不得意なこと。分岐点。子どもが成長するごとに段々と明瞭になった。運動する能力はあるのだが、水泳は苦手らしかった。このまま学校に上がっても同級生は二十人ほどしかいないだろう。過酷な競争、熾烈な戦いに巻き込まれる状況にはない。そのなかでトップにならなくても、ビリに落ちなくても半ばぐらいで充分だろう。大人になったらここではなく都会で住むことになるのだろうか。そこはライバルたちが大勢いて、大変な事態もあるかもしれない。そのようなときに親身になってくれる友人が作れるだろうか。優しい恋人を見つけているだろうか。ひとは愛される権利があるのだ。
わたしは誰もいない部屋で本を読んでいた。ある男性の悔恨のような文章だ。数人の女性はこの不甲斐ない自分、愛される価値の少ない人柄を本気で愛してくれたのに、その見返りに自分はいったい何を与えただろうか、と悔いていた。冷たい態度、連れない対応、素っ気なさ。その男性はお酒に酔うと、その亡霊が訪れるが、また飲まないわけにはいかないと書いた。
逃げた夫にはそうした類いの気持ちはないだろう。後悔があるだけまともなのだろうか。後悔するぐらいなら、はじめから優しくすべきなのだろうか。後悔や失敗があってこその人生だろうか。わたしは何も分からなくなる。
ひとはひとりになる時間も必要なのだと改めて思った。ラジオを聴き、図書館に行った。この町の財政のことなどまったく分からないが、新たに図書館が建った。山ほどの本があって、それを書いたたくさんのひとが世界中にいて、それを読む大勢のひともいる。わたしはキョロキョロと好奇心で辺りを見渡す。ひとは会話もするが、ひとりで根気よく本も読むのだ。不思議といえば不思議でもあり、なかなか不可解な性質だった。
帰り道の橋を渡ると下で遊んでいる英雄と山形がいた。彼らは本当の親子に見えた。そして、この場のわたしはまったくの他人のようだった。ふたりはふざけ合い、大声で笑っていた。わたしはしばらくぼんやりとしてその姿を眺めていた。夫はなぜあんなに簡単そうなことができなかったのだろう。彼も失敗したからこそ、新しいものを発見できたのだろうか。ひとは居ないひとのことも想像できる。本の主人公のように、いや、脇役ぐらいだろうか、わたしは客観的に、まったくの愛情も欠けたものとして、彼のことを思い浮かべていた。
英雄が橋のうえのわたしを見つける。手を振って、大きな声で呼ぶ。自分を知っているひとがいる。この日本に何人ぐらいいるのだろうか。わたしは悔いという感情がないのかもしれない。現在にも固執せず、薄ぼんやりとした未来に目を向けがちだった。
それから、親子三人のようにして連れ立って歩き出す。
「あの本、あった?」と山形が訊く。わたしは布の袋から頼まれていた本を取り出す。息子の分もある。合計三冊の重みが幸福の分量のようだった。
家に着くと、山形は薪を割った。都会には電気もガスも下水道も捨てるほどあるのだろう。英雄はそこの住人になってたまに誘ってくれるだろうか。いつまでも母親思いでいられるのだろうか。妻となるひとはわたしに冷たくあたるだろうか。勝手に愛情があることを理由に横取りするくせに。わたしは架空の嫉妬をしている。だが、いまはまだまだ早い。もっと成長を見守る機会があるのだ。
わたしはご飯の用意をする。日曜というのはあっという間に過ぎ去ってしまう。明日から彼はまた働く。お金を運んでくれる。そうした契約も義理もほんとうはないのかもしれない。わたしたちは生きなければいけないのだ。すすんで良い場所にここをしなければならない。
三人で食卓に向かう。彼は明日の仕事の話をした。お得意様に車でできあがった製品を配達するらしい。彼は自分のうわさに怯える一面があった。だが、そのマイナスを補うほどの解放感が、うるさい工場から逃れる魅力として溢れているそうだ。
「今度、乗せて!」と、無心に英雄が言う。
わたしは免許があることすら知らなかった。
「取り直したんだ」と引け目があるかのように語った。そして、英雄の方に向かって、「格好悪い三輪車だよ」と付け加えた。
英雄は困惑した顔をする。車に三輪車などあることを知らなかったのかしら。わたしは説明する。だが、百聞は一見に如かずらしく、彼は配達後、ここに寄ってくれるそうだった。
翌日、英雄は横にすわって彼の職場まで乗った。もう夕方だったので、そこからふたりで歩いてきた。社長がジュースをくれたということでとても喜んでいた。人間らしく振る舞えば、きちんと人間らしくなるということを社長さんは信じているらしい。疑おうと思えば、どこまでも疑える世の中だった。また反対に信頼しようと誓えば、どこまでも信頼できる世界だ。わたしも最初はそう願って結婚をした。信頼に値しないひともいるが、そう簡単に割り切ることも、捨て去ることもできない。わたしはこの小さな家のなかの日々を信頼している。完全でも偉大でもないけれど、一心に刻々と信頼していた。