最後の火花 75
願いが叶った量と叶わなかった量とを比べて考えてみる。だが、正確な答えなどない。いまのあるべき自分を基準にして正解を述べれば、すべてはいまのわたしになるべく訪れた事柄であり、手に入らなかったものはそもそも手に入らないようにできていたのだ。わたしは執着が足りないのかもしれない。どうしても欲しかったものなど何もないような気もした。
彼の家の狭いキッチンで料理をしている。専用の器具というものには不足して、あるものだけで代用しなければならない。だが、大体のことは何とかなるのだ。わたしは野菜を茹でてドレッシングをかけ魚を煮た。スパークリング・ワインを開けて、これまた狭いテーブルに並べた。彼の収入も家賃も知らないが、もうすこし広めの部屋には住めるはずだ。これも親許から離れない自分の勝手な言い分だ。
わたしはおしゃべりが尽きない。彼は黙って食べている。食卓とか団欒ということに恵まれなかった所為かもしれない。しかし、すこしずつ改善されてきた。これも、わたしからの観点での改善だが、世間のお行儀的には改悪かもしれない。
「いちばん好きな本は?」わたしが必ずしてしまう質問。
「ゴーリキーの母」
「プロパガンダの母」
「まあ、そういう見方もあるよ。光子は?」
「わたしは、いつも、いま読んでいる本にしている」
「なんだか、ずるくない」
「ずるくないよ、こころを込めて読んでいるんだから。いまが好きなんだから」
「じゃあ、いまは?」
「巴里に死す、を読んでいる。日本の小説」
「どんな内容?」
「ご飯を食べ終わってから、ゆっくりと話す」
しばらくして外を散歩している。コーヒーを買って川沿いのベンチに腰かけている。
「ここをセーヌ河だと思って」
「行ったことあるの?」
「うん、家族で」わたしたちは年に一度は海外旅行に行った。暑いところ、寒いところ。青空のきれいなところ、雪がたくさん積もっているところ。辛い料理。甘い味。わたしはいくつかの料理を味覚を頼りに再現できるようになった。「そうだ、本の内容だけど、ある女性が結婚して、むかしの恋人に軽い嫉妬を覚えたり、夫に合わせようと健気に努力したり、最後には悲しいことに病気に見舞われ、命を落としてしまう」
「悲しいトーンだね」
「子どももいて、お母さんがのこしたノートを読む」
「どういう感想をもつの?」
「簡単にいえばジェネレーション・ギャップ。わたしも自分のお母さんの過去の日記を読んだら、旧式な考え方だなと思うかもしれない」
「日記でも、のこっていれば充分だよ」彼はベンチを立ち、水の上に浮かぶ鴨を見た。
彼のお母さんも亡くなっている。病気ではないことも教えてもらった。いればいたでお節介で、迷惑な存在だと思った時期もあったが、いまはすこしでも長生きしてほしいと思っている。母も父も後半生を楽しんでほしい。さらに旅行をして、悠々自適に暮らしてもらいたかった。
「読みたくなった?」
「うん。読み終わったら、置いておいて」と彼は背中越しに言う。
わたしの口はコーヒーのにおいがする。彼のも同じにおいがする。わたしは近付ける。その瞬間、鴨が飛び立った。川面に目を向けると、水紋がひろがっていた。痕跡。だが、しばらくすると止んでいる。世界が物事を記録するというのは不可能なのだ。瞬時になだらかな状態にもどる。わたしたちの行為も記録から外れる。個々の記憶の時間も限界があり、最後には塵と化す。だから、日記を書いて、たまには映像をのこす。わたしはエッフェル塔の前に並ぶ姉妹のことを思い起こす。あれはむかしのわたしと妹。お手伝いの加藤さんに、あの塔の小さなレプリカを買ってきたはずだが、いまになって考えれば、もっと有用なものがあったのになと思う。しかし、子どもは子どもっぽい行動を取るから宝でもあるのだ。わたしは英雄となら、どこに行きたいかいくつかの候補を頭のなかで並べた。
「どこにでも行けるとしたら、どこに行きたい?」
「海外といえば、ハワイという気がする。行ったことある?」
「三度か四度」
「すごいな。どこにでも行ってるんだな」
「そこそこ、お金があったんだと思う」
わたしは、なぜだかお金があることが恥ずかしかった。カナダの滝。ロッキー山脈。ベルリンの壁。赤の広場。しかし、それらの写真のアルバムは確かに倉庫に眠っているのだ。
「お金、ためていろいろなところに行こうよ、これから。むかしの恋人とはこんなところに行ったんだよといつか自慢できるように」
「本気?」
「仮説、仮説。嫉妬に苦しむのが女性の性分だから」
「反対だと思うよ」
わたしは焦る。自分の無計画な歩み方で、たくさんの男性を知ってしまっている。彼は継続しているものがあると疑っている。悲観ということでもなく、かすかなあきらめのような表情もする。わたしは英雄と会ってから、すっぱりと辞めたのだ。だが、ある種の中毒患者のようにまた手を出すと誤解されている。こうなったのもわたしの行動が原因だった。それで得られた量と失った量を計測機にかける。そんな機械はもともと壊れているか、信憑性のない数字をはじき出すに過ぎない。わたしは否定する。こころを入れ替えて生きるのだ、という無言の宣言をこころの法廷で声高らかに叫んでいた。
願いが叶った量と叶わなかった量とを比べて考えてみる。だが、正確な答えなどない。いまのあるべき自分を基準にして正解を述べれば、すべてはいまのわたしになるべく訪れた事柄であり、手に入らなかったものはそもそも手に入らないようにできていたのだ。わたしは執着が足りないのかもしれない。どうしても欲しかったものなど何もないような気もした。
彼の家の狭いキッチンで料理をしている。専用の器具というものには不足して、あるものだけで代用しなければならない。だが、大体のことは何とかなるのだ。わたしは野菜を茹でてドレッシングをかけ魚を煮た。スパークリング・ワインを開けて、これまた狭いテーブルに並べた。彼の収入も家賃も知らないが、もうすこし広めの部屋には住めるはずだ。これも親許から離れない自分の勝手な言い分だ。
わたしはおしゃべりが尽きない。彼は黙って食べている。食卓とか団欒ということに恵まれなかった所為かもしれない。しかし、すこしずつ改善されてきた。これも、わたしからの観点での改善だが、世間のお行儀的には改悪かもしれない。
「いちばん好きな本は?」わたしが必ずしてしまう質問。
「ゴーリキーの母」
「プロパガンダの母」
「まあ、そういう見方もあるよ。光子は?」
「わたしは、いつも、いま読んでいる本にしている」
「なんだか、ずるくない」
「ずるくないよ、こころを込めて読んでいるんだから。いまが好きなんだから」
「じゃあ、いまは?」
「巴里に死す、を読んでいる。日本の小説」
「どんな内容?」
「ご飯を食べ終わってから、ゆっくりと話す」
しばらくして外を散歩している。コーヒーを買って川沿いのベンチに腰かけている。
「ここをセーヌ河だと思って」
「行ったことあるの?」
「うん、家族で」わたしたちは年に一度は海外旅行に行った。暑いところ、寒いところ。青空のきれいなところ、雪がたくさん積もっているところ。辛い料理。甘い味。わたしはいくつかの料理を味覚を頼りに再現できるようになった。「そうだ、本の内容だけど、ある女性が結婚して、むかしの恋人に軽い嫉妬を覚えたり、夫に合わせようと健気に努力したり、最後には悲しいことに病気に見舞われ、命を落としてしまう」
「悲しいトーンだね」
「子どももいて、お母さんがのこしたノートを読む」
「どういう感想をもつの?」
「簡単にいえばジェネレーション・ギャップ。わたしも自分のお母さんの過去の日記を読んだら、旧式な考え方だなと思うかもしれない」
「日記でも、のこっていれば充分だよ」彼はベンチを立ち、水の上に浮かぶ鴨を見た。
彼のお母さんも亡くなっている。病気ではないことも教えてもらった。いればいたでお節介で、迷惑な存在だと思った時期もあったが、いまはすこしでも長生きしてほしいと思っている。母も父も後半生を楽しんでほしい。さらに旅行をして、悠々自適に暮らしてもらいたかった。
「読みたくなった?」
「うん。読み終わったら、置いておいて」と彼は背中越しに言う。
わたしの口はコーヒーのにおいがする。彼のも同じにおいがする。わたしは近付ける。その瞬間、鴨が飛び立った。川面に目を向けると、水紋がひろがっていた。痕跡。だが、しばらくすると止んでいる。世界が物事を記録するというのは不可能なのだ。瞬時になだらかな状態にもどる。わたしたちの行為も記録から外れる。個々の記憶の時間も限界があり、最後には塵と化す。だから、日記を書いて、たまには映像をのこす。わたしはエッフェル塔の前に並ぶ姉妹のことを思い起こす。あれはむかしのわたしと妹。お手伝いの加藤さんに、あの塔の小さなレプリカを買ってきたはずだが、いまになって考えれば、もっと有用なものがあったのになと思う。しかし、子どもは子どもっぽい行動を取るから宝でもあるのだ。わたしは英雄となら、どこに行きたいかいくつかの候補を頭のなかで並べた。
「どこにでも行けるとしたら、どこに行きたい?」
「海外といえば、ハワイという気がする。行ったことある?」
「三度か四度」
「すごいな。どこにでも行ってるんだな」
「そこそこ、お金があったんだと思う」
わたしは、なぜだかお金があることが恥ずかしかった。カナダの滝。ロッキー山脈。ベルリンの壁。赤の広場。しかし、それらの写真のアルバムは確かに倉庫に眠っているのだ。
「お金、ためていろいろなところに行こうよ、これから。むかしの恋人とはこんなところに行ったんだよといつか自慢できるように」
「本気?」
「仮説、仮説。嫉妬に苦しむのが女性の性分だから」
「反対だと思うよ」
わたしは焦る。自分の無計画な歩み方で、たくさんの男性を知ってしまっている。彼は継続しているものがあると疑っている。悲観ということでもなく、かすかなあきらめのような表情もする。わたしは英雄と会ってから、すっぱりと辞めたのだ。だが、ある種の中毒患者のようにまた手を出すと誤解されている。こうなったのもわたしの行動が原因だった。それで得られた量と失った量を計測機にかける。そんな機械はもともと壊れているか、信憑性のない数字をはじき出すに過ぎない。わたしは否定する。こころを入れ替えて生きるのだ、という無言の宣言をこころの法廷で声高らかに叫んでいた。