『善人サム』(48)(1996.5.23.)
フランク・キャプラの
『素晴らしき哉、人生!』(46)の主人公ジョージ・ベイリー(ジェームズ・スチュワート)に遅れること2年、
『我が道を往く』(44)のレオ・マッケリーが、ゲーリー・クーパー演じる同種の主人公サム・クレイトンを登場させ、人間の善意の裏表を描いた映画。
ところが、思いの他楽しめず、後味もあまり良くなかった。釈然としないまま、双葉十三郎さんの
『僕の採点表』を読んでみたら、「監督のマッケリーが善意、善意といい気になり過ぎている」とか「主人公が善意を示した相手の図々しさが見苦しい」「全体の雰囲気が馬鹿らしく、空々しく感じられる」などと書かれていた。
『アメリカ映画作品全集』の南部圭之助さんも「さぞかし優れた作品だろうと思ったら、大間違いのひどいズレかた」とこちらも散々。向こうの
『MOVIE GUIDE』でも「不発」「生活ズレしたコメディ」と酷評されていた。
まあ、そこまで酷評しなくても…とも思ったが、リアルタイムでこの映画を見た人は、マッケリーへの信頼を裏切られた思いがして、後追いのオレがこの映画に対して抱いた不満以上のものを感じたのだろう。確かに、あまりにも善意を押し付けられると、逆に反発やしらけが生じる。そのあたりのバランスが、こうした映画の成否を握っているとも言えるだろうし、そのさじ加減がとても難しい。
思えば、この映画は『素晴らしき哉、人生!』という先駆があったために、損をしているところもある。例えば、両作に共通するラストの、失意の主人公に訪れるクリスマスの奇跡を見比べてみると、この映画の、そこに至るまでの持っていき方の弱さが露呈するからだ。
そんな、この映画の収穫は、主人公サムの妻を演じたアン・シェリダン。オレたちにとっては“幻の女優”の一人だが、思わず「いょ、姐御!」と一声掛けたくなるような、何ともいい雰囲気の、年増女の色っぽさを見せてくれた。ちょっと彼女について調べてみたら、この映画に出演した時の彼女は、今のオレ(35歳)よりも年下だった。昔の女優は今よりも成熟していたということか。それともこれは映画の持つ魔力故なのか。
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