『獅子の時代』最終回(1980.12.21.)
「なじょする」
快作だった。「花神」(77)「黄金の日日」(78)と、良作が続いたNHK大河ドラマも、去年の「草燃える」(79)はちょっといただけなかったが、この「獅子の時代」でまた盛り返してくれた。とにかく山田太一の脚本が素晴らしかった。
明治維新が、必ずしも万民のためのものではなく、そこにはさまざまな悲劇があり、それぞれの階級なりの悩みがあり、希望があり、といった、本当の意味での維新を問い直しながら、そこに生きた人々の群像を描いている。
元会津藩士のアウトロー平沼銑次(菅原文太)と元薩摩藩士の苅谷嘉顕(加藤剛)という架空の人物を主人公とし、出だしは何とパリの現地ロケで始まり、今までの大河ドラマの狭苦しさを一気に解消していた。加えて、音楽をダウンタウンブギウギバンドが担当し、ここにも大河ドラマの変革が感じられた。
そして、文太の形容しがたいほどの素晴らしい演技によって、アウトサイダーの目から見た維新を描きながら、庶民の側からすれば、決して維新ではなかったのではないか、という疑問を投げ掛ける。これは岡本喜八の『赤毛』(69)の「葵が錦に変わっただけじゃねえか」というセリフにも通じるものだ。
これまでの明治維新物は、歴史上の人物から見た維新=正義のように描かれたものがほとんどだった。ところが、このドラマはそうではなかった。だから、現在、維新の後を受け継いで生きているわれわれにも迫ってくるものがあったのだ。最終回のラストには、『明日に向って撃て!』(69)を思い起こさせられた。