この大河ドラマも、「麒麟がくる」の駒(門脇麦)や伊呂波太夫(尾野真千子)同様、中村獅童演じる、捨助という架空のキャラクターを重要な役で登場させていた。三谷幸喜は、後の「真田丸」(16)でも、長澤まさみ演じるきりというキャラクターを創作している。
「新選組!」「友の死」(2004.8.22.)
勝ち組、負け組、新選組
大河ドラマ「新選組!」。今回は、山南敬助の切腹を描いた「友の死」だった。新選組物では、芹沢鴨の暗殺、池田屋事件、そして山南切腹というのが、前半から中盤にかけての山場となるところだ。ところで、今回、山南を演じた堺雅人が、いつも笑みを浮かべているのが気になっていた。
で、某誌のインタビュー記事を立ち読みしたら、堺本人が「あの笑みは、最初はインテリの自分に比して無知な同士に対する冷笑だったのものが、やがて同感や達観、そしてあきらめへと変化したものだ」と答えていた。ふむふむ、なかなか面白い役者だ。
さて、今はやりの“勝ち組、負け組”という言葉を借りれば、新選組は明らかに負け組だ。侍になりたかった豪農のせがれが、崩壊寸前の徳川幕府に取り立てられ、その気になって、必死に頑張ったけれど、結局は賊軍となって滅んでいく…、という姿は、後の歴史を知るわれわれから見ると、悲劇である反面、滑稽にすら映る。
では、何故“負け組”の彼らが、こうして後世に語り継がれるのか? 一つは、彼らの生き方が、不器用ではあるが、一生懸命で、一途で、一種の潔さを感じさせること。もう一つは、人生、みんなが“勝ち組”にはなれないわけだから、負けたものの言い分や、負けっぷりの良さに、共感や憧れを憶えるからではないか。加えて、様々な、個性的な面々が集う面白さもある。
後は、男とは、所詮やせ我慢と見栄が服を着ているような悲しい馬鹿者であり、新選組はその象徴で、同じく日本人が大好きな忠臣蔵=赤穂浪士たちの系譜にも連なる。聞けば、新選組は赤穂浪士に憧れていたという。ということは、彼らは最初から自分たちが滅びる運命を予感していたのかもしれない、とも思える。