前回はひどい画質と音のDVDで見たせいか、思いのほか感動が湧かなかったのだが、今回はきれいな画質といい音で見られたので、改めていい映画だと思えた。つまり、映画の評価とは、見た時の環境や自分の精神状態によって、微妙に変化するものなのだ。
ビデオ通話で西部劇談議『赤い河』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/88012a5e9189c61bf81b80fdb5beb427
『赤い河』ホークスとデューク
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/11c723ee218e6abefb5ddb9371396b25
今回のお題は『白昼の決闘』(47)(1974.6.26.水曜ロードショー)
南北戦争終結後のテキサス。インディアンの母を殺した白人の父スコット(ハーバート・マーシャル)が刑死し、孤児となったパール(ジェニファー・ジョーンズ)は、大牧場主マキャンレス夫妻(ライオネル・バリモア、リリアン・ギッシュ)に引き取られる。
パールをめぐる、マキャンレス家の兄ジェシー(ジョセフ・コットン)と弟ルート(グレゴリー・ペック)の愛と確執、鉄道の利権をめぐる争い、親子の対立を、雄大な西部の風景をバックに描く。
ほかに、ウォルター・ヒューストン、チャールズ・ビックフォード、ハリー・ケリー、ジョアン・テッツェル、バタフライ・マックィーン、オットー・クルーガーらが出演。ちなみにペックとビックフォードは後に『大いなる西部』(58)でも共演している。
製作当時、『風と共に去りぬ』(39)『レベッカ』(40)などで、ハリウッドを代表する敏腕プロデューサーの一人とされた、デビッド・O・セルズニックが製作と脚本を担当し、妻のジョーンズを使って、第二の『風と共に去りぬ』を目指したとされる。
監督は、ウィリアム・ディターレ、シドニー・フランクリン、ジョセフ・フォン・スタンバーグら、6人が入れ代わり立ち代わりし、最後はベテランのキング・ビダーがまとめた(『風と共に去りぬ』のビクター・フレミング的な役割か)。脚本はノンクレジットも含めるとベン・ヘクトら4人、撮影もリー・ガームス、レイ・レナハン、ハロルド・ロッスンと、3人の名前がクレジットされている。音楽はディミトリ・ティオムキン。このあたりはセルズニックの意向が反映された結果なのだろうが、これではうまくまとまるはずがない。
というわけで、馬や地形を生かした素晴らしいシーンもあるのだが、ここまでスタッフがごちゃごちゃしていると、それは一体誰が撮ったシーンなのか、あるいは、一貫性のないストーリー展開もそのせいなのかと考えさせられる。
この映画をテレビで初めて見たのは中学生の頃。ちょうど『子鹿物語』(46)を見たばかりだったので、それとはあまりにも違うペックの姿を見せられて、困惑した覚えがある。
というか、偏執狂的な登場人物による家族劇とヒロインの女の性(さが)を描き込んだこの映画は、西部劇としては甚だ異色だ。何より、ヒロイン・パールの支離滅裂ぶりに付いていけないし、ジョーンズが、やたらと目を動かしたりして、ひどく無理をして演じているようにも見える。この映画の最大の弱点は、彼女のミスキャストにあるのではないかと思うのだ。
同じセルズニック製作、ジョーンズ主演作では、『ジェニイの肖像』(47)や『終着駅』(53)のような正統派メロドラマの方が、彼女の魅力が引き出されている気がする。
『ジェニイの肖像』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/1838c657d445ad2ec0035da4681bd152
WOWOWと米HBO Maxの共同制作オリジナルドラマ「TOKYO VICE」のWOWOW独占放送が、4月24日からスタートする。物語の舞台は1990年代の東京。日本の大手新聞社に就職したアメリカ人青年ジェイクが、特ダネを追い掛けるうちに、危険な闇社会へと入り込んでいく様子が描かれる。ジェイク役のアンセル・エルゴートに話を聞いた。役柄同様、日本語が主体で時折英語が混ざるスタイルでの受け答えに驚かされた。
「実際に日本に住んだことが、この役のためにとても役立ちました」
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1325473
共同通信エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
家族や結婚について考えてみる
『カモン カモン』『マリー・ミー』
『オードリー・ヘプバーン』(2022.4.18.オンライン試写)
オードリー・ヘップバーンの軌跡を描いたドキュメンタリー。監督はヘレナ・コーン。息子のショーンの証言を中心に、友人たちや、『ニューヨークの恋人たち』(81)を監督したピーター・ボグダノビッチ、『オールウェイズ』(89)で共演したリチャード・ドレイファスらも証言する。
登場する主な映画は、端役時代の何本か、そしてアカデミー主演女優賞を受賞した、ウィリアム・ワイラー監督の『ローマの休日』(53)、ファッションデザイナーのジバンシイと出会った、ビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』(54)、そのファッションをさらに発展させた、ブレーク・エドワーズ監督の『ティファニーで朝食を』(61)、フレッド・アステアとダンス共演した、スタンリー・ドーネン監督の『パリの恋人』(57)、歌を吹き替えられた、ジョージ・キューカー監督の『マイ・フェア・レディ』(64)、最初の引退作となった、テレンス・ヤング監督の『暗くなるまで待って』(67)…。
オードリーは一種のファッションアイコンでもあったが、その点、彼女の「役作りの助けは衣装。その役の姿が分かるとやりやすかった」という言葉は象徴的だと思った。
一方、俳優のメル・ファーラー、精神科医のアンドレア・ドッティとの結婚に破れたオードリーについて、父親に捨てられた過去やコンプレックス、男運のなさが浮き彫りにされると、人間は全てを手に入れられるわけではない、という当たり前の事実に改めて気付かされる。
孫が「世界一愛された人が愛に飢えていた」と語るオードリーが、晩年、ユニセフ親善大使としての自分に価値を見いだしていくのは、ある意味、必然だったのかもしれないとも思えた。
なかなか興味深いドキュメンタリーではあったが、時折、イメージとして挿入されるバレエのシーンはちょっと邪魔な気がした。
「ちゃんと観たことありますか?」オードリー・ヘプバーン
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/f64acdf38588e036985f3da44701ca89
「麗しのオードリー・ヘプバーン」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/d120f704d16e0673264381b1346bcca2
『ベルイマン島にて』(2022.4.18.オンライン試写)
アメリカ人の脚本家カップル、トニー(ティム・ロス)とクリス(ビッキー・クリープス)は、新作のインスピレーションを得るため、イングマール・ベルイマン監督ゆかりの地である、スウェーデン・フォーレ島に滞在する。
トニーの執筆は順調だが、クリスはなかなか作業が進まない。思いあまったクリスは、アドバイスを求めるため、自分が書いた脚本をトニーに説明するが…。
風光明媚なフォーレ島を舞台に、監督カップルの現実と、ミア・ワシコウスカ主演の劇中映画『ホワイトドレス』、そして現実と映画の狭間が交錯する。ミア・ハンセン・ラブ監督が、かつてパートナーだった、オリビエ・アサイアス監督との関係を投影させて描いたのだという。
面白かったのはベルイマン映画への言及だ。例えば、『ある結婚の風景』(73)は「あれを見て離婚する人が続出した」、『叫びとささやき』(72)は「カタルシスを得られないホラー映画」といった具合。
タイトルが出てくるのは、『不良少女モニカ』(53)『第七の封印』(57)『処女の泉』(60)『鏡の中にある如く』(61)『冬の光』(62)『沈黙』(63)『仮面/ペルソナ』(67)『狼の時刻』(68)『恥』(68)『ファニーとアレクサンデル』(82)『リハーサルの後で』(84)『サラバンド』(03)…。
さらにその作風については、「ベルイマンは人生も作品も残酷だ」「楽しい作品なんてない」「彼は明るさなんかに興味がなかった。暗さの追求が楽しかったんだろう」「どんなに悲しくてつらい映画を見ても、結局はためになるけど、彼の作品は傷つくだけ」など、ある意味ボロクソである。ただし、こうも言う。「でも、なぜか分からないけど、彼の映画が好きだ」と。
そうしたセリフを聞きながら、この監督は本当にベルイマンの映画が好きなのか? と少々疑問に感じたが、自らの体験を反映にさせた映画に、ベルイマンに対する思いを乗せたこの映画は、究極の“私映画”のようなものだとも思った。ベルイマンを知らなかったり、興味がない人の目には一体どう映るのだろうか。
まるで聖地巡礼のような、ベルイマンゆかりの場所をバスでめぐる“ベルイマンサファリ”があるとは驚いた。