硝子戸の外へ。

優しい世界になるようにと、のんびり書き綴っています。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  8

2013-07-16 09:18:02 | 日記
「じゃぁ、参りましょうか。」軽く微笑んで、親族の方にも声をかけ喫茶室へ向けて歩いてゆく。何とスマートな人なのだろうか。

喫茶室に入ると、大きなガラス窓の向こうに枯山水が見事な日本庭園が見え、喪服姿のお客さん数人が静かに話しこんでいた。温かな日差しの当たる窓辺の席の前で止まった登志子さんは皆を手招きして、私たちはそちらへ向かった。

「じゃあ、かけましょうか。」その言葉で皆が腰かけた。まるで魔法をかけられたようだ。そう思っていたら、天沢君が「雫も座ったら。」と言われて、我に返りあわてて腰かけた。

皆が揃ってコーヒーを頼むと、店員さんはカウンターに戻り、丁寧にコーヒーを入れ始めた。しばらくするとコーヒーの香ばしい香りが漂ってくるのが分かった。私は気を取り直して、初対面のご親族に自己紹介をした。すると西さんのお兄さんの奥さんも甥っこさんも私の事を知っていたようで、「あなたが雫さんでしたか。」とおっしゃってくださった。
その言葉にとても安心し、ようやく腰が落ち着いた。

「雫さん。さっきの続きだけれど、「地球屋」を営んでいる時のお父さんは、どんな人柄だったのかしら。」

登志子さんが私に質問すると、皆が一斉に私に注目した。これはきちんと答えなくてはと思い、今までの事を回想しながら私が見てきた18年という月日の中の西さんとの想い出を一生懸命に話した。

分かってはいたけれど、話せば話すほど西さんの存在が私にとってどれだけ大切であったかを改めて思い知らされてしまった。そしてもっと西さんの話にも耳を傾けておくべきだったと後悔した。

一息ついて顔を上げると、皆は「うん。うん。」と頷き、話に聞き入ってくれていたみたいだった。

恥ずかしくなってしまって思わず下を向いたら、横にいた天沢くんが「大丈夫だよ。雫。」と声を掛けてくれた。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  7

2013-07-15 16:15:01 | 日記
堰を切ったように話してしまった。すると感情も高ぶってしまいまた涙が出てきた。泣き虫なのは自覚してはいるけれど、ここまで泣けるかなと思うほど今日は泣けてしまう。でも、仕方がないとあきらめる。
その様子を横で見ていた天沢君が黙ってハンカチを差し出してくれた。その優しさにまた泣けてしまう。嫌だな私・・・。

すると、天沢君のお父さんの後ろから「あらあら。」と、優しくて柔らかい声が聞こえてきた。

「なに、あなた。また、若いお嬢さんを泣かせてしまったの。仕方のない人ねぇ。」

「またって・・・。嫌だなぁ。登志子さん。そんな言い方じゃぁ僕が悪人のようではないか。」

「あら、悪人ではなくて。」

「ひどいよ母さん。それは言いすぎなんじゃない。」

「じゃあ、罪深い人たちね。」

「ええっ。僕も含まれちゃうの!」

いい大人の男性が狼狽している。その姿を見て、ついさっきまで泣いていたくせに、くすっと笑ってしまった。
彼らを手玉に取る女性は、ロマンスグレーの髪を結い、背筋もピンと伸び、喪服姿すらも美しい。そして歯に衣着せぬ物言いといい、感動に近いものを感じた。

登志子さんは私の前に来ると軽く会釈をした後、

「はじめまして。雫さんでしたね。私、聖司の母、登志子と申します。聖司が中学生の時には随分とお世話になったそうですね。そして父の話し相手にもなって頂いてくれていたそうで。二人の間にそんな方がいらっしゃるのかと、とても嬉しく思っていました。それがあなただったのですね。本来ならもっと早くご挨拶するべきところなのに本当にごめんなさい。」

その挨拶に圧倒され、私は「はい、はい」と答えるだけで精いっぱいだった。

「そうだ、ここで立ち話もなんだから、時間までそこの喫茶室でお茶などどうですか。親族と言っても、私たちと父の妻と甥っ子夫婦だけなんだから遠慮しなくてよろしくてよ。」

これには弱った。さっき断ったばかりなのに、とても丁寧に挨拶された上で、断らなければならないのが心苦しくてしようがなかった。それを察してか、私の横にいた天沢君が

「そうだよ。遠慮しなくていいよ。御爺ちゃんだってそう思ってるはずだよ。もしかしたら、御爺ちゃんが地球屋を始めてから一番話したのは雫かもしれないしね。」

「うん。そうだよ。遠慮しなくていいよ。無理に西の事を話さなくてもいいから。」

一度お断りしたのに、お父さんも快く同意してくれている様子を見てとても安心した。すると登志子さんが

「お父さんこと? どうしてまた。」と、お父さんに問いかけた。その問いにしどろもどろしながら応えている。それを見た天沢君は「また始まった」という感じで苦笑いをしていた。その言い訳を一通り聞いた登志子さんは私の方を向いて、

「ねえ。雫さん。よかったら、私にも聴かせてくださいませんか。それに父と仲が良かったのなら、父が地球屋を営むまでの事を知りたいでしょ。父は口が堅い人でしたから、自身の過去の事はあまり口にしなかったはず。」

ああそうだ。私、いっぱい西さんと話したのに、西さんの事ほとんど知らないまま来てしまったんだ。そう思ったら、西さんの事を知りたくなって、「はい。では、よろしくお願いします。」と自分でもびっくりするような返事が口から飛び出していた。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  6

2013-07-14 08:13:17 | 日記
柔らかな光に包まれている大理石で施された静寂な空間に入り、棺に眠る西さんに最後の別れを告げる。斎場の職員さんが火葬炉の扉を開けゆっくりと棺を納めてゆく。

人はいつか死ぬ。そんな事は分かっているけれど、実際に身近な誰かが亡くなって、その身体が焼却されてゆく場面を見ていると、故人と会えない悲しみよりも、誰でもいつかはそこへ行きつくんだ。私も、そして天沢君も、と思った。

収骨までに少し時間が空いた。私は改めて西さんのご親族に挨拶をすると、「生前は御世話になりました。雫さんがここまで来てくださったのだから西もきっと大変喜んでいると思いますよ。本当にありがとう」と言われた。でも、御世話になったのは私の方であるので、恐縮してしまった。
ご親族とは、地球屋で何度かお会いした事があった。軽い会話しかしなかったけれど、覚えていてくれていたようである。

「そうだ。雫さんもご一緒に御茶などいかがですか。聖司。どうだろうか。」

「う~ん。そうだね。雫。どうする。」

斎場まで附き合わせて頂いただけでも十分なのに、改めて西さんのご親族一同が集う場所に部外者の私がいるのはすこし気が引ける。そう思ったから、

「お誘いいただいてとてもうれしいのですが、気持ちがあまり落ち着かないから、収骨まで隣の公園で散歩しようと思います。本当にごめんなさい。」と、御断りをした。

「そうか。それは残念だね。雫さんしか知らない西の事を聞きたかったんだけれどね・・・。西は自身に対しても僕に対しても厳しい人だったけれど、聖司や雫さんにはとても優しかったと聞いていたんでね・・・。本人ともっと会話すればよかったのだけれど、疎遠になってしまってね・・・。で、突然のことだったでしょう。だから、晩年はどんな人柄であったのだろうかとね。」

天沢君のお父さんはそう言って深いため息をついた。その様子を見て西さんと天沢君のお父さんとの間に何かがあったのだろうと察した。だから、私が思っている事を話しておこうと思った。

「本当にごめんなさい・・・。私、 西さんにはとても助けられました。事あるごとに地球屋に行って、何を買うわけでもなく愚痴や泣き言を溢しに行ってました。そんな時、西さんは何も言わずに聴いてくれて、そして少しだけアドバイスをくれるんです。それがいつも路頭に迷いそうになっている私に射す一筋の光でした。だから・・・。私・・・。こうやって今もきちんと生きていられているんだと思います。感謝しなければならないのは私の方なのです・・・。本当にありがとございました。」


耳をすませば。 彼と彼女のその後  5

2013-07-13 07:58:19 | 日記
「本当だよねぇ。まさかここまで一流になるとは思わなかったよ。しかもイタリア国籍でしょう。なんか、かっこいいよねぇ。」

平静を装い、なるべく今の気持ちが悟られないように普通に、普通に話をしようと努めた。
そして、明るく振舞おうと。でも、彼の反応は意外なものであった。

「そうかなぁ。俺は普通だと思うけどね・・・。イタリアやオーストリアでは普通の弦楽器屋のおやじだよ。映画俳優みたいな人がゴロゴロいるし、バイオリンを作るのだってアトリエを持ったことは奇跡だと思うし、手を抜けばあっという間に人が去ってゆく。とてもシビアな世界だよ。でも、そこで頑張っていられる事は嬉しいけれどね。」

そういって指示器を出し左へハンドルを切る姿をじっと見て、この人は本当に素敵な人になったんだなと感じた。

「またぁ。謙遜しちゃってぇ。それが普通なら、私ってなんなんだろって思ってしまうよ。」

「なんなんだろって・・・。雫だって作家になったんだろ。俺、すごく尊敬しているよ。じつは雫には内緒で御爺ちゃんが雫の本を送ってくれて読んだんだ。それでさ、良い物語だったから翻訳できる友人に頼んでイタリア語に翻訳して作家志望の友人に読んでもらったら、イタリアでもいい物語だって誉めてたよ。」

「ええっ!そんな事したの。いやだぁ。地球の裏側で私の物語が読まれたなんて恥ずかしいよぉ。天沢君のいじわる。」

「いじわるって・・・。責められる意味が分かんないよ。雫の才能は本物だと思う。友人もそう言ってた。自身を持っていいと思うよ。」

「またぁ。上手い事言って! 何か下心あるんじゃない。ほんと、なにもでないよ!」

「何も期待してません。こうやってまた話ができるだけで十分だよ。」

笑顔で応えるこの人はなんて意地悪なんだろう。悔しいなと思いつつも離れていた時間を取り戻すように彼との会話に夢中になっていた。
森に囲まれた緩やかな坂道を上がってゆくとその先に火葬場が見えた。霊柩車はもう着いていて棺が係りの人の手によって運び出されようとしていた。私たちは我に返り、駐車場に車を止めて火葬場へと足早に向かった。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  4

2013-07-12 08:08:06 | 日記
「天沢君・・・。天沢さん。って呼んだ方がいいのかな。」

「えっ。天沢さんって、なんかよそよそしくない。聖司でいいよ。」

「せっ聖司って。いきなり呼び捨てでいいの。そんなのありなの。」

「ありも何も、そんな事気にしなくていいじゃん。」

そう言って私の左手をきゅっと握った。どきっとした。少し翻弄されている気がした。

「そうね・・・。そうかもね。でも、やっぱり天沢君がいい。その方が呼びやすいもの。」

そう言うと、彼は微笑んで、「雫って変わらないなぁ。」と、言った。
私はあの頃と同じなんだろうか。これまで幾度となくつらい経験をしてきたのに、成長していないのだろうか。

そんな風に思ったから、「私ってそんなに変わっていない?」と言ってみた。

「うん。あの頃のままだよ。でも・・・。本当に綺麗になったね。」

「どうして、そんな事を言うの。」と胸の中で呟いたけれど、気持ちとは裏腹にすごく嬉しかった。自分でもわけがわからなくなっていた。

車の助手席に身を沈めると、横には彼がいる。それがとても自然に感じられた。天沢君は静かに車をスタートさせ火葬場へ向かった。

日差しには温かさを感じるけれど、街路樹の枝は時頼吹いてくる北風に凍えるように揺れていた。まだ春は遠いなと思いながら運転する彼の姿を見て、ふっと思い出した。

「そういえば、天沢君が運転する自転車の後ろに乗せてもらったことあるよね。二人でどこかへ行くのってそれ以来だね。」

「ああっそうだ!よく覚えているね。あれはたしかイタリアに旅立つ前に秘密の場所に連れて言った時だね・・・。あの時のバイオリン職人になるって決意は今も変わらないけれど、今の自分は想像できなかったなぁ。まさかウイーンでアトリエを構え、一流のプレイヤー達の楽器を扱うようになって、著名なバイオリニストと結婚してしまうなんてさ。」

彼はあの頃のように話してくれているけれど、私の心はチクッと痛んだ。


耳をすませば。 彼と彼女のその後  3

2013-07-11 19:49:44 | 日記
私も花を一輪手に取り、安らかに眠る西さんの手元に置いて今迄ありがとうと呟いた。
感謝の気持ちでいっぱいなんだけれど、もう話を聞いてもらえないのかと思ったら、自然と涙があふれ出てきた。

「もう泣いてはいけないんだ。」と思い、涙を手で拭い教会の天井を見上げたけれど余計に涙が出てきてなかなか止まってくれない。

悲しくないのに涙が出るなんて今まで経験したことがないから、どうする事も出来なかった。

壇上を去る時、彼も私に気づいて目があった。涙でボロボロの姿を見られて気恥ずかしくなったから、無理に笑顔を作って軽く会釈し、何事もなかったように彼の横を通り過ぎ元の席に座った。

出棺が始まり私たち一般会葬者は教会の外に出た。北風が少し冷たいけれど、よく晴れた日で良かったと思う。

しばらくすると、棺を持った親族の人たちがゆっくりと教会から出てきた。その中に天沢君の姿を見つけた。
出来る事なら私も一緒に棺をもちたい。そんな気持ちを抱きながら西さんの最期の姿を見送った。

霊柩車の扉が閉じられ、あいさつの後に鳴らされた車のクラクションが初春の空に溶けていった。
その様子をぼんやりと眺めていたら親族の人たちも移動を始めた事に気づいた。

もう終わったのかなと思って一緒に見送っていた人に尋ねると、帰宅すると言ったので、私も帰宅しようと歩きだした。

すると懐かしい声が私の名前を呼んだ。

「雫!」

ドキドキしながら振り向くと、彼は手を振りながら私に近づいてきて、少しはにかみながらゆっくりと言葉を切り出した。

「雫・・・。あっ。今から火葬場に行くけれど、雫も一緒に来てくれないか。」

私はその言葉を待っていたように思った。それと同時に一瞬であのころに戻ったような気がした。

「うん。私も西さんを最後まで見送りたい。」

「じゃあ、あっちに車を止めてあるから、乗って行けよ。」

そう言って差し出した彼の右手を私は握った。

「うん。ありがとう。」

私は何も躊躇わなかった。

耳をすませば。 彼と彼女のその後  2

2013-07-10 15:24:24 | 日記
重い扉をゆっくり開くと、故人の働きを讃えている牧師の声が静かな教会に響いていた。

慌てて買った喪服にぎこちなさを感じながら最後尾の列に座り、これは悪い冗談なのではないかと思いながら、十字架に架けられたイエスの像を見上げた。

悲しみはもうない。生前、西さんの前でいっぱい泣いて、いっぱい話を聞いてもらったのに、ここへきてまた泣きごとを言ったら、また西さんに心配かけてしまい天国へいけなくなってしまうと思ったからだ。

そして、これまでの出来事を思い出してみた。猫を追いかけ、初めて「地球屋」を訪れた時の事。無理を言って初めて書いた物語を読んでもらった時の事。高校生活の愚痴。大学での苦悩。就職活動が上手くいかず泣きついた事。そして失恋。そして新しい恋の始まりと結婚の相談。振りかえってみたら、西さんはさぞかし迷惑だったのではないかと思い、恥ずかしくなって下を向いた。

その時、また教会の扉が静かに開いた。誰だろうと顔を上げ振り返ると、西さんと出会った頃の面影を残した男性が茫然とした様子で立っていた。

その姿を見たら、失恋した時と同じように心が締め付けられとても苦しい気持ちになった。

彼は背がぐんと伸び、とてもハンサムになっていたが、表情は悲しみで満ちていた。私は声をかけようと思ったけれど、喉元で何かが引っかかっていて声が出なかった。

すると、誰かが静かに手招きし、その方へ足早に歩いてゆき腰を下ろした。

西さんの葬儀なのに、鼓動が速くなり顔も少し火照っているのが自分でも判った。そんな自分が少し嫌だった。

牧師の声かけと共に皆が起立し賛美歌を合唱した。私も知っている曲であったので前列の背のポケットあった讃美歌の歌詞を手に取り大声で歌った。歌声は西さんが天国に行けるように神様に届いただろうか。私の救い主でもあった西さんが天国に行けなかったら私が神様に掛け合ってやろうというくらいの意気込みで賛美したのだからきっと届いただろう。

でも、そんな風に思いながらも、彼の後姿が気になって仕方がなかった。

黙祷をささげる。瞳を閉じて故人にお礼を言うはずだったけれど、私は内なる神に問いかけてしまった。「私はどうしたいの」と。そして、「これは愚問だ!」とすぐに自身を否定した。

喪主の挨拶が済み、献花が始まった。皆、西さんとの最後の別れを惜しんでいた。彼もまた悲痛な面持ちで涙をぬぐいながら花を一輪、棺の中に納めていた。

もし西さんがいなければ、リウターイオとしての彼は存在していなかったかもしれない。でも、彼がイタリアに行かなければ、私の初恋は成就出来たかもしれない。そんな気持ちが私の中で振り子のように止め処なく動いていた。

耳をすませば。 彼と彼女のその後。

2013-07-08 23:18:48 | 日記
あの二人がその後どうなっていったのかを僕なりに妄想してみました。

天沢聖司君

1995年 渡伊。彼の持っている技術はクレモナにある伯父の知り合いが営む工房に住み込みで修業を積むことを許されたが、言語の壁などが原因でホームシックに陥る。

しかし、雫との約束を思い出し努力を重ね3年後には工房で働く人たちと冗談を言い合えるほどの語学力を習得し良好な関係を築いた。それに伴いバイオリンの製作技術も上達していたが、店主の勧めで国立弦楽器制作学校へ入学し工房で働きながら学術的に学ぶ。その間、雫とは手紙のやり取りで気持ちを伝えあっていたが、学業や仕事、クレモナで出来た友人たちとの交流が増していくと共に減っていった。

学校を卒業後、工房での生活を送りつつ下積みを続けていたある日、彼に思わぬ転機が訪れる。

工房のお得意様であったジュセッペ・ヴェルディ音楽院に通う女学生サンベレッツが大切なコンテストの前日に不運ともいうべきアクシデントでバイオリンを傷つけてしまう。損傷がひどくすぐには治せないほどであったので店主のモラッシーは天沢が数日前に作成したバイオリンが良い出来であったことを思い出し、天沢の名を伏せて無償で貸し出す。

サンベレッツは戸惑いながらもモラッシーの言葉を信じて天沢のバイオリンでコンテストに挑んだ。結果は優勝を逃したものの彼女の技術は評価は高く、会場にいた人々も彼女の演奏に聞き入っていた。もちろんそのバイオリンの音色が良かったことも誰もが認め、演奏者であるサンベレッツも同じであった。

結果をモラッシーに報告すると、そのバイオリン製作者が天沢であることを伝える。
天沢とサンベレッツは工房で時々顔を合わせ挨拶するだけの中であったが、そのことがきっかけで個人的に天沢にバイオリンの修理を依頼するようになり、モラッシーも天沢の成長を喜んだ。

サンベレッツは、エレミア・ロマーナ州でd・o・c・gワインの酒造会社の社長令嬢であったが、天沢の技術と人柄に次第に魅かれゆき、天沢を実家に招待するほどになった。天沢も臆することなく彼女の家族と接し信頼を得ていった。

サンベレッツは音楽院を卒業後、ウイーンに活動拠点を移すこととなり、彼女の強い希望で天沢を連れていけないかと工房の店主であるモラッシーに相談すると、ウイーンで工房を開いている友人ハインリヒに連絡する。

モラッシーの勧めならばとハインリヒも快く承諾。彼女と共にウイーンに移住し2年ほど同棲した後、自然の流れで結婚。
サンベレッツの活躍もあり交響楽団内で天沢の名が知れ渡り、その後サンベレッツの父の援助を受け独立。32歳にてウイーンに工房を構える。

月島雫との連絡はサンベレッツの交際後絶えてしまい、次に出したのは結婚報告の葉書であった。


月島雫さん

地元の公立高校に進学。天沢の手紙を待ちつつ文学の道を志す。高校時代にも物語を作っては投稿してみるが道は開かれず。その度に「地球屋」の西司朗に意見を乞うていた。
可愛いルックスから同級生の男子から告白されるも、天沢との約束を信じてかたくなに断っていた。

高校を卒業後、駒沢女子大人文学科に入学。華やかなキャンパスライフも顧みず天沢の手紙を何度も読み返し勉学と創作活動に励む。友人は沢山でき、合コンも幾度となく誘われるが、参加してみたものの天沢の事が気になり行かなくなってしまう。

どうしてなのか疑問に思った友人達は雫に問うと、もじもじしながら今までの経過を吐露した。それを聞いた友人たちは感動し誘う事を止め彼女の恋を応援した。

大学を卒業後、なんとか小さな出版会社に就職し仕事と創作活動とを両立させていたが、この頃から天沢の手紙が減って雫の気持ちを不安定させた。その度に「地球屋」にいって西に話を聞いてもらって気持ちが沈んでいかないようにしていた。

しかし、ある日天沢がウイーンに移る理由を認めた手紙が届く。その内容に愕然とした雫は一週間ほど寝込んでしまう。その後、仕事にも創作にも気が入らない空虚な日々が時々彼女を襲いその度に寝込んだが、地球屋に足を運び、西に話を聞いてもらいながらゆっくりと自分を取り戻していった。

その悲しみの失意から創作されたのが「猫の恩返し」であった。この物語は、とある出版社に認められ書籍と言う形となった。自身の手元に最初に届いた本は報告と共に西にプレゼントした。それを受け取った西はとても喜んで「原石から宝石へと生まれ変わろうとしているね」と言って雫の今までの苦労をねぎらった。

雫はこの作品を機に児童文学の作者へと進んでゆくことになる。

30歳の時、雫の出版会社に広告の依頼で訪れた中学時代の同級生、杉村と偶然再会する。
仕事の話もそこそこに、これまでの経過を互いに語り合い二人の時間を埋めていった。杉村は本気で野球選手を目指していたが、高校生活の三年間、連続で地区大会止まりという結果に終わり夢をあきらめたようである。しかし雫の事は心のどこかで想い続けていたようであるらしい。

この頃、天沢からの結婚報告を受けていた雫は気持ちを切り替えようとしていた時期であった。時頼不意に口ずさむ自らが和訳した「カントリーロード」が彼女の後を押したようで、杉村とプライベートでも会うようになってゆき、次第に杉村の人柄と強い押しにひかれ、自身の心が氷解してゆくのを感じ結婚を決めた。そして、杉村の勧めで専業主婦をする傍ら創作活動に専念。ようやく訪れたささやかな幸せであった。

そして、2013年 初春。

天沢と雫に訃報が届く。地球屋の主人西司朗が死去した知らせであった。

彼と彼女が18年ぶりに再会したのは葬儀が執り行われている教会であった。

耳をすませば

2013-07-06 10:16:42 | 日記
昨晩ちらりと観た。この作品は映画館で観てVHSでも観てDVDも観たほど好きである。

1995年に上映されたものであるけれど、今見てもいいなぁと思ってしまうほど甘酸っぱい物語である。

アマサワくんは中学生とは思えぬほど大人びていて、それに必死で追いつこうとしている月島さんは本当に愛おしい。

僕にはなかった世界観であったから、とても憧れていました。こんな恋がしたいなぁと。

でも、今回ちらりと観てすこし想いが変わっていた。それはこの作品の監督である近藤善文さんがこの作品を生み出すためにかなり精神を削っていたという事実を知ったからである。宮崎駿さんとの衝突が何度もあったという。そして生まれたのがこの作品であった。(宮崎駿 「折り返し点」で知った時は愕然としてしまった。)

でもそれがプロの仕事なのであろう。

そう考える自身に少し淋しい気もした。

作品は時間がそこで止まっており、色褪せる事はないけれど僕たちの時間は留まることなく、また色褪せてゆく。

いや、彼らもまた成長しているはずである。この作品を見直すごとに抱いていた「現在の彼ら」を再び妄想してみようかなと思う。

その物語はまた次回と言う事で・・・。



永遠の0を読んでみた。

2013-07-03 20:26:56 | 日記
小説にはほどんど手が伸びない僕がこの本を読んでみようと思ったのは、「よかったですよぉ」といって勧められたからである。

「よかったですよぉ」と言う言葉を信じて書店で購入。早速扉を開いてみると読みやすく面白い。と思ったのは最初だけであった。

内容はご存知の方が多いので省略するとして、どうしてそう思ったのかと言うと、僕も戦時中の話を聴いてはブログに残してゆこうと試みていた時期があり、そして体験談から戦争というものを考えたからであった。また、母方の祖父も戦死しており、物語は少し前の自身のようでもあったからである。しかし、いつの間にかそういった個人的な活動も忘れていたので、この本を読みながら、手をつけてはならない本だったのかもしれないと後悔しつつ一気に読んでしまった。

熱を帯びた戦闘シーンの描写は少し難解であるが、僕は松本零士さんの「戦場マンガシリーズ」や新谷かおるさんの「エリヤ88」宮崎駿さんの「飛行艇時代」や押井守さんの「スカイクロラ」等のビジュアルの下地があったので想像しやすくて助かった。

また、主人公の健太郎君と姉の慶子さんの話が要所要所で挟まれていたので気持ちが滅入る前に一息つけた処が救いでもあった。

しかし、僕がこの物語でもっとも関心を寄せたのが「宮部久蔵」と言う人物である。

彼はある人からは罵られ、またある人からは尊敬されるという人物であった。どこに配属されてもそのような印象を他者に与えたのかそこが大変興味深い処であった。

それは彼が人格者であった事、人格者であったが故に蔑まされ理不尽な処遇を受けてしまうのである。それを不器用な男だと表現しても間違いではないと思うが、その反面、実直であったからこそ他者から信頼され尊敬されたのであろう。

人の評価と言うものが如何に評価する者の立場によって変わるのかが物語を通して表わされているようにも思った。

そしてもう一つ大切な事がある。宮部久蔵はいかにして宮部久蔵になったのかと言う処である。

彼の天賦と言う部分も必要であるが、それだけでは宮部久蔵にはなれなかったのではないかと思う。

彼がどうして人格者としての宮部久蔵になりえたのか、物語は少しだけその部分に触れている。

まず、彼の祖父が徳川の御家人であった事。そして中学生で囲碁の師匠がいた事である。このような人物によって人格が形成されていったのである。武士道や棋士の教えを幼い頃から受けたことにより心が鍛えられ、その後の苦難を乗り越え驚異的な精神的成長を成し遂げたのであろう。

そのように思うと人格は、生まれもったものもさることながら、置かれた環境によっても変わってくると言う事でもあり、また、師をもつ事、教えを受ける事も大切なのであろうと思った。

そう考えながら「永遠の0」という物語を振り返ってみると、先の戦争とは何であったかを物語を通して百田氏なりの言葉で表現しつつも、実は人の成長は他者の影響抜きでは成し得ることはできないというメッセージが込められているのではないかと僕自身は感じたのです。

物語自身もとても善いもので「よかったですよぉ」という言葉にも納得できましたが、映画は観に行かないと思う。

なぜなら読後感の心の疲労から考えると、大変疲れてしまいそうだからです。




上京雑記。

2013-07-02 08:28:30 | 日記
東京駅から山手線に乗り換え大塚駅で下車する。階段を下り改札を出ると東京駅とは打って変わり下町情緒を感じせた。駅を出ると美容院の店員さんがチラシを配っていたので、関わらぬよう足早に避けて都電荒川線大塚駅へと向かうと小さなクリーム色に緑の線が施してある電車が止まっているのが見えた。

家を出る前に気休め程度に調べていたが、気持ちが少し舞い上がっており行き先を確認せずに乗ったものだから目的地とは反対方向であったことが分からなかった。乗客が前から乗車するようであったので、そのあとに続く。料金が前払いであったのであわてて財布を出し160円を入れる。車内を見渡すとご老人が多い事から地域の人々によって支えられていることが分かる。

車掌さんの左後ろで進行方向の景色が良く見える席が開いていたので腰かける。駅を出て程よくいくと電車は家と家の間を縫うようにゆっくりと走ってゆくが、停車場の区間距離短いのか少し走るとすぐに停まることに驚く。しかも15分後には次の電車がやってくるのである。2時間に一本しか市バスが走らない僕の住む田舎とは大違いである。また環状道路を横切る時は信号に従っているというのも不思議であったが、以前「もやもやさま~ず」で紹介されていたことを思い出して、これがそうかなのかと納得するも雑司ヶ谷までこんなに停車場があっただろうかと不安になった。

車内の路線図を観て確認すると早稲田方面ではないことに気づく。飛鳥山駅で下車し反対側の停車場で次の電車を待つ。停車場に面した所にクリーニング屋があった。こんな場所にと思ったが需要もありそうだなと考えるも、飛鳥山公園の脇を通る行動をみて現在の人の流れの支流はあちらであることを考えると、ここでは商売は難しいのかもとも思った。などとつまらぬことを考えているうちに早稲田方面へ向かう電車がやってきたので乗り込む。
来た道を遡ってゆくと風景も変わって些か楽しい心持がした。
大塚駅から早稲田方面へと走ってゆくと信じられないくらいのS字カーブが訪れる。ぐらりと揺れながらもとてもゆっくりであったので安心する。線路は緩やかに上りである。東京と言うと平坦というイメージがあるが、上野を過ぎたあたりから左側が崖であることからかなり起伏のある土地であることに気づく。電車は坂を登りきると今度は緩やかに下ってゆく。

遠くに高層ビルが見える。雑司ヶ谷のアナウンスが聞こえたので停車ボタンを押す。下車したのは僕だけであった。左手に雑司ヶ谷霊園が見えた。プラットホームを降り左へ折れると交番があった。駐在さんが二人いて何やら話している。その横をすぎると昔ながらの花屋があった。花でも買って行ったほうがよいだろうか。と考えたが、現在お世話をしている方に迷惑かもしれないと思い止めておいた。霊園内では造園業の人たちが伸びすぎた木の枝や道に落ちた葉などの清掃に汗していた。お墓参りをしている人はあまりいないようである。
事前に調べておいたルートを思い出しながら霊園内の道を歩く。都心ではお墓の規模も違うことに驚きつつも、見慣れぬ名字のお墓に関心がゆく。立派なお墓であると生前はどんな立派な方だったのだろうかどんな家柄なのであろうかと想像する。キリスト教者の墓石を目にすると宗教とは本来こうあるべきではないだろうか等と考えた。死という事実をまじめに考えてはいるが、田舎のお墓は小さく、また檀家の集まりであり、他宗教が混在する事はないので純粋に不思議に思うのである。

曲がり角を左折し左側に注意しながら歩いてゆくと木の陰の裏に他の墓石よりも幾分背高い墓石の後ろ姿を見つけた。横を通り過ぎ振り返り墓石を観る。菅寅雄が何度も書き直したという達筆な文字。先生のお墓である。小さな石段を上がり墓石の前に立つ。夏目家のお墓にはきれいなゆりの花と小さな様々な花が活けてあった。誰かがお参りにきてから日が浅いようである。
目を閉じ心静かにし合掌する。読書や勉強が好きになれず、社会の底辺を歩きつづけている僕が、様々な経験を通して今こうして先生のお墓の前にいることが不思議でならない。しかし、これも縁であったのかもしれない。

雑司ヶ谷霊園には銀杏の木はあるものの苗畑はなかった。当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。もと来た道を戻ってゆき再び電車に乗る。15分毎に通る電車は本当に便利である。採算は取れるのであろうか。そのような心配もしてみたがそれでも沿線住民の足としてこれからも活躍するであろう。いや、あってほしいと思った。

大塚駅に着き下車する。山手線大塚駅へ向かうと駅前で行商の御婆さんが野菜を並べて、同じ年配の人と楽しそうに会話していた。行商を行うその姿を観るのは初めてである。僕の田舎では野菜は畑で育っていたのでそれを採ってくるか、スーパーで買ってくるかの二つである。都会ならではのスタイルであるけれど、野菜の行商が紡ぐ人との和はまた違った意味を持っているのかもしれない。

上野まで切符を買い改札を抜け階段を上ると外回りの電車が入ってきた。この素晴らしさを噛みしめつつ乗り込む。今回上野へ行く目的は東京藝術大学大学美術館で行われている「夏目漱石の美術世界展」である。

上野駅を出ると上野公園前にはたくさんの人が行き来していた。僕自身もこの人の多さにも少しずつ慣れてきた気がした。いつの間にか太陽が真上に上り日差しが一層きつくなっていた。

日陰で信号待ちをし、横断歩道を渡る。文化会館と西洋美術館の間を抜け、表示に従い歩いてゆくと広い通りに出た。そこでは所どころ人だかりが出来ていて、時頼拍手と歓声が上がっていた。なにやらパフォーマンスをしているようであった。

スタバの前を行き過ぎポートワン博士像を左に見ながら森の中を歩いてゆくと旧東京音楽学校奏楽堂がみえた。今は閉館しているようであった。更に進み通りに出て道沿いを歩いてゆく。目指してゆく方角に歩いてゆく若者が多い。これは皆美術館に行く人なのかと一瞬思ったが、東京藝大内であるのだから学生さんであることにすぐさま気づく。そして、この人たちは藝術を専門的に学びどんな職業に辿り着くのであろうかと変なことを考えだすが、あまりにも愚問であるので止めた。

美術館に辿り着くとどんな作品に出合えるのだろうかと胸が高鳴った。
チケットを購入し進む方向を確認していると、カバンをロッカーに入れる事を係りの方に進められる。素直に従い係りの方に礼を言って目的場所へと足を進める。鑑賞する人々は年配の方が多いようだ。

エレベータに乗り扉が開くと、まず『吾輩が見た漱石と美術』というテーマからの展示であった。そこには橋口五葉が手掛けた装丁が展示されていた。
本当に美しいデザインで思わず見とれてしまった。一昔前の僕なら目にも留まらなかったであろう。その後、先生の文学を通しての美術が展示されており、その絵を観ながら「嗚呼あの場所はこの絵の事であったのか!」と感心しきりであった。

じっくりと鑑賞してゆくと、先生の好きな画家ウオーターハウスの「人魚」に辿り着いた。その絵の前には髪が背中ほどまできれいにまっすぐ伸びた清楚で美しい女性がじっとその絵を観ていた。
僕は息の飲み、その女性越しにしばらく「人魚」を観ていた。そして、その女性はたしかに生きていて、きちんとした名と職が有る誰かの娘さんであるに違いない。しかし、僕にとってどちらも「絵」なのではないだろうか等と考えもした。

この企画展では主役である先生が自ら描かれた絵も展示している。これを鑑賞するのも楽しみの一つであった。実際に観てみると「山上有山図」等の掛け軸は正直、上手いか下手なのかよくわからない。このような事を云うと先生はひどく機嫌を悪くされると思うが、先生もかなり辛口の批評家であったようである。

先生の軌跡をたどりつつ楽しく拝観してゆくと展示物の最後には先生のデスマスク石膏原型があった。これは美術や藝術なのかなと思いつつもじっと見つめていると不思議とそのような心持が胸から消えていった。そして先生はよく鼾をかかれたのではとか、目覚めた後に気分がすっきりとする日が少なかったのではないか等と考えた。さらに、つい先ほど墓石の前で手を合わせた僕はこの人のお墓参りに行ってきたのだなと改めて思い感慨にひたった。

美術館を出て来た道を遡る。森の向こうに旧因州池田屋敷表門黒門が見える。その森の木の下で多くの人が座り込んでいた。何をしているのだろうかと良く見ていると。テントが張ってあり数名の人たちがなにやら準備を始めていた。
テントにはキリスト教系の名前が見て取れた。どうやら炊き出しの準備のであった。
多くの人が老年に差しかかる男性であったが、中には20代とも見て取れる青年の姿も見えた。家がなく職がなく家族もなく東京という町で知らぬ同士が今日の糧を与えてもらいに集っている。そして生きる事とは何であろうかと考えだした。

見つかるわけがないこの問答をしていると、向こうから修学旅行生の集団が炎天下の中を元気よく走ってきた。先生の注意にも軽く返事しながらも夢中で友達と話していた。彼らはまさしく今を謳歌していた。これを明暗というのだろうか。とも思った。

お腹が空いてきた。次の目的地で食事を採ろう。いらぬことは考えず、今を楽しもう。そう自身に言い聞かせ上野を後にした。