こんにちは。
先月の末にTwitter登録をしてから
少しづつフォローが増えてきました。
mixiとあわせてTwitter経由でも来場者が
増えてきましたので整理を兼ねて書いてみます。
◆竹村健一さんの予言から
2000年頃に出版された本の流行テーマは
「21世紀の予測」でした。
インターネットが世界を変える
ということは、いろいろな人が書いていました。
その中で秀逸だと思ったのが竹村健一さんの予測です。
私の記憶に残っている趣旨です。
↓
インターネットが世界を変えるということは
どういうことかといったら
人は「他人との細かな違い」を気にするようになるのだ。
◆寂しさが増すもの?
インターネットで世界中の人とつながるようになれば
無数の人間が発信する情報の中から
なんとしてでも自分を見つけてもらおうとして
どんなわずかな違いであっても
他人と異なる自分というものを
意識せざるおえなくなってくる。
リアルな人間関係では気にならない
「細かい」違いまで無意識に感じ取るだろう。
そうなると
インターネットが人々の心を繊細にするので
「さびしい人間」
がますます増えてくるのではないだろうか?
↑
◆つぶやきを聞いてもらいたい心理
「つぶやきを聞いてもらえて嬉しい」
という満足感では埋められないことが
次の段階に出てくると思います。
Twitterはもしかしたら
人々の「さびしさ」を加速するもの
なのかもしれないと思っています。
昨日私がブログで考えた、お金や薬と同様に
Twitterも使い方を間違えてしまえば
「さびしさ」の加速=「不安ウィルス」
の拡散に注意が必要ですね。
◆美術教師のつぶやきから
私の父親は美術教師でした。
美術教育ということで、絶対にゆずらなかった持論があります。
↓
美術的な感性というものは美的なものを見せることから
養われる。
醜悪なものを見せて
「この反対が美的なものであるから想像せよ」
といっても絶対に美的な感性は育たない。
特に「物事を比較してそこから類推する」
という論理的な力が育つ以前の子どもには
俗悪なものを見せてしまうことは危険なのだ。
↑
竹村健一さんの予測でいえば
インターネットが発達すると
「こころが繊細な人」が大量に発生するようです。
ある意味で、子ども以上に成人のほうが
「こころが繊細な人」になっていくのでは、と思います。
そう考えていくと
インターネット上の「俗悪なもの」は人間から
美的な感性を失わせてしまう危険性があります。
◆感じやすい人々への影響力
学歴・職歴・国籍・性別を問わず、インターネット上では
人間の心が少なくとも10倍は「感じやすく」なっていく
ものなのかもしれません。
実際の生活で「つぶやく」よりも10倍の威力
があるのが
Twitterの「つぶやき」なのだとしたら
そのことは常に意識しておくべきでしょうね。
できるだけ世の中には良い影響力を発信したいものです。
ではまた![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0001.gif)
先月の末にTwitter登録をしてから
少しづつフォローが増えてきました。
mixiとあわせてTwitter経由でも来場者が
増えてきましたので整理を兼ねて書いてみます。
◆竹村健一さんの予言から
2000年頃に出版された本の流行テーマは
「21世紀の予測」でした。
インターネットが世界を変える
ということは、いろいろな人が書いていました。
その中で秀逸だと思ったのが竹村健一さんの予測です。
私の記憶に残っている趣旨です。
↓
インターネットが世界を変えるということは
どういうことかといったら
人は「他人との細かな違い」を気にするようになるのだ。
◆寂しさが増すもの?
インターネットで世界中の人とつながるようになれば
無数の人間が発信する情報の中から
なんとしてでも自分を見つけてもらおうとして
どんなわずかな違いであっても
他人と異なる自分というものを
意識せざるおえなくなってくる。
リアルな人間関係では気にならない
「細かい」違いまで無意識に感じ取るだろう。
そうなると
インターネットが人々の心を繊細にするので
「さびしい人間」
がますます増えてくるのではないだろうか?
↑
◆つぶやきを聞いてもらいたい心理
「つぶやきを聞いてもらえて嬉しい」
という満足感では埋められないことが
次の段階に出てくると思います。
Twitterはもしかしたら
人々の「さびしさ」を加速するもの
なのかもしれないと思っています。
昨日私がブログで考えた、お金や薬と同様に
Twitterも使い方を間違えてしまえば
「さびしさ」の加速=「不安ウィルス」
の拡散に注意が必要ですね。
◆美術教師のつぶやきから
私の父親は美術教師でした。
美術教育ということで、絶対にゆずらなかった持論があります。
↓
美術的な感性というものは美的なものを見せることから
養われる。
醜悪なものを見せて
「この反対が美的なものであるから想像せよ」
といっても絶対に美的な感性は育たない。
特に「物事を比較してそこから類推する」
という論理的な力が育つ以前の子どもには
俗悪なものを見せてしまうことは危険なのだ。
↑
竹村健一さんの予測でいえば
インターネットが発達すると
「こころが繊細な人」が大量に発生するようです。
ある意味で、子ども以上に成人のほうが
「こころが繊細な人」になっていくのでは、と思います。
そう考えていくと
インターネット上の「俗悪なもの」は人間から
美的な感性を失わせてしまう危険性があります。
◆感じやすい人々への影響力
学歴・職歴・国籍・性別を問わず、インターネット上では
人間の心が少なくとも10倍は「感じやすく」なっていく
ものなのかもしれません。
実際の生活で「つぶやく」よりも10倍の威力
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0154.gif)
Twitterの「つぶやき」なのだとしたら
そのことは常に意識しておくべきでしょうね。
できるだけ世の中には良い影響力を発信したいものです。
ではまた
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0001.gif)