tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

庭の花壇の主役は「ユリの時間」へ、そして今日「父の日」。

2023年06月18日 | がーディニング・園芸

花壇の主役はにぎわっていたビロード草等でしたが、

「スカシユリ」が咲きだして主役の交代のようです、

 

 

 

 

 

 

 

 

「スカシユリ」の後は小ぶりの「いろいろなユリ」

そして「鬼百合」から「高砂百合」へと変わっていきます。

10年前、真っ白な「鉄砲ユリ」が花壇大半を占めていたのですが、

化成肥料のやりすぎで、

白い花びらが痘痕?を付けたようになり、全滅になりました。

今は、強い「スカシユリ」、

除草と施肥だけで花開いています。

 

ここ5年、掘り起こしていませんが、

体調の良い時一度掘り起こして分球などしてみたいと思っています、

そのうち、掘り起こす予定の「今年のチュウリップ」は、

網などに入れ日陰で秋を待ちますが、

「ユリ類」はそうはいきません、掘り起こしたら

すぐ植え替えをしなければならないので、

時間がかかりそうです。

急に伸びだした「グラジオラスの茎」

もう蕾が色を見せ始めました、

拙速でしたが手を作り、転倒防止策です。

 

 

そして今日は「父の日」、

子供か2人いますが、それぞれ50代、2人ずつの子持ち、

爺さんより、「家族で楽しみなさい」と、

かねがね言っているのですが、今年も届きました。

花より団子と、

「鶴屋八幡の銘菓」、今一人は「ホタテのグラタン」

イロイロと考えてくれたのでしょう。

この後、いつもお礼と「誕生日や今回のように節目」

に、気遣い不要というのですが・・・・・。

それでも御馳走様、有難うです。

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6月、「早朝坐禅会」に参加。

2023年06月18日 | 坐禅会

 

すがすがしい6月の早朝、5時起床は苦でない。

午前6時、着座、すでに、女性(尼僧職)1名。

わげさ(肩衣)をつけての参禅

坊守氏の撞かれる、6時の梵鐘が始まると同時に

小鐘3つ、正式のスタートです。

 

今朝は、いつもの老師のお話が始まらない?、(無音の坐禅は長く感ずるひと刻)

小鳥のさえずり、カラスの語り声、まだ続く梵鐘の音。

静寂の禅堂、静かな中に凛とした雰囲気はいつもの様子、

夏でもあり、いつもは閉まっている間仕切りが開かれ、

正面に時計が目に入る、

時間は小鐘3つからもう39分。(あれっ、何時もなら1炷40分で終わるのに・・・)

 

 そして、ここから老師の語りが始まりました。

「小鳥の声、鐘の音、これらの音はどこから来てどこへ行くのでしょう。

私達は、今座っていますが、この命どこから来てどこへ行くのでしょう。

その回(答)を求めて、80年の人生を歩まれたのが「お釈迦様」です。

 

人間という姿を頂き、そのうち消えていく、何のためなのでしょう。

回(答)を求め、どんな理由で、消えていくのかは何のため、

その生き様の模範を示されたのが、おしゃか様でした。

大師はいわゆる、「教え、教示など何も残されていません」。

あるのは生き様だけでした。

自分の人生に、回を求められたお釈迦様、

その足跡は、ただ起こりうる事実、それを生き抜き、命を終えていかれた、

その姿だけが、学びの事柄として残されたのです。

大師は「すべてを捨て、放棄された」このことが人生の最終であることを示された。

生きていくことの苦しみから逃れる解脱への道、

私達は、そのことに気ずくか気ずかないか

気ずきへの道が「坐禅」だと。

 

決められた姿勢・整える呼吸・思いを掌の中へ、など、

それぞれ座ることの目的は異なる中での坐禅、

私なりに何かを見極め気ずいていく。

人生の一刻一刻は、繰り返しのきかないひと時です、

「大師の歩まれた道をお互い歩いて行きましょう」。

と老師は結ばれた。

坐後のお茶会、話題は境内の「沙羅の花」満開。

 

大樹「タイサンボクの花盛り」、

 

 

なぜか今年の花達の開花か多いらしい。

 

 

 

寺院にふさわしい季節のお花達のお話でした。

 

 

 

 

コメント (2)
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