
子どものころ住んでいた家の側を小さな川が流れていた。清水の流れる川と言われ、水道施設のない当時は家庭用水としてどの家も利用していた。だだ、台風などでは洪水になり、決壊の記憶もある。
小学校3、4年のころと思うが、上流へ行ってみようと挑んだことがある。山や畑が遊び場のころ、多少の冒険心があったのか深く考えないまま1人で出発した。途中までは遊びなれた山道を苦もなく進む。
3つ目くらいの堰堤を過ぎるころから険しさはまし、背丈ほどの小木や雑草が先を遮りだす。山の頂上を真上に見上げたときなぜか「怖い」と感じ手すくいで飲んだ水が冷たかったのをよく覚えている。すぐに引き返した。
源流を見たいと思った冒険のことは誰も知らない。旅行記で放映される源流の映像を見ると、川沿いに登った斜面を思い出し、食い入るように見る自分に気づくことがある。
ドライブの途中で立派な「錦川源流の碑」の前に出た。偶然出あった碑を見つめながら子どものころ挑んだ源流探しを久しぶりに思い出した。この碑は、平成の錦帯橋架け替えのとき解体した木材を使用して作成されたとある。源流の姿をいつまでもと願いながらシャッターを押した。
(写真:錦帯橋の解体材で作られた碑)