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片道2車線の橋の下を通り抜けるときなんとなく見上げた橋の裏側、橋脚の間を10本の桁が等間隔で伸びている。上を通りかかった大型貨物の音が聞こえる。桁がにぶく揺れるのを感じる。落下することはなかろうが、ちょっと不気味な気がする。
信号待ちなどで橋の上に停車しているとき、車体がにぶく上下に揺れる経験をしている。あの揺れにいい気持ちはしない。それを裏側から眺めても同じだった。
この橋脚や桁は橋上の諸々を安全に支えてくれるよう造られている、と信じるから安心して通れる。不安があれば橋を渡ることはもとより、その下も通らなくなる。
そんな橋げたを見上げながら「子ども笑うな来た道じゃ、年寄り笑うな行く道じゃ」と随分前に聞いた言葉をふと思い出した。よく考えればまことその通りだ。何かにつけて子どもに対しては驕りを、年寄りのしぐさに優越感を感じる人の心を戒めている。
支えられて子ども時代を通り過ぎ、周りに支えられて来て今日があり、これからは支えられて老いていく。ひとりでここまでは来れなかった、分かっているつもりでもつい忘れている。もし支えがなかったら、橋の揺れからそんな戒めを感じた。
(写真:欠けても傷ついてもいけない桁)