2012年03月12日 中国新聞「広場」掲載
大阪万博。その開会式で日本原子力発電(原電)敦賀1号機から送られた電気で会場の灯がともった。原子力の灯に、当時の日本人の多くが明るい大きな未来を夢見た。
あれから40年余り、日本では初めて経験する原発事故が起き、電気エネルギー政策が大きく見直されている。電力の逼迫を解決し、日本再生のためにも結論が急がれる。
電気の原点は水力発電。水の落下エネルギーを電気に変えていた「水車・発電機」が、山口・広島県境の小瀬川上流の湖面を見下ろす吹きさらしの建屋に置かれている。
弥栄ダム建設に伴う発電所廃止を記念したという。
子どものころ、家庭の電気使用量が超過するとヒューズが飛んで節電を強制された。いつのころからか、電気が思いのままに使える時世に変わった。
ヒューズの時代へは戻れないが、いま節電社会が求められている。「それをいつも心掛けよう」。発電機を通り抜ける冷たい風がささやく。
大阪万博。その開会式で日本原子力発電(原電)敦賀1号機から送られた電気で会場の灯がともった。原子力の灯に、当時の日本人の多くが明るい大きな未来を夢見た。
あれから40年余り、日本では初めて経験する原発事故が起き、電気エネルギー政策が大きく見直されている。電力の逼迫を解決し、日本再生のためにも結論が急がれる。
電気の原点は水力発電。水の落下エネルギーを電気に変えていた「水車・発電機」が、山口・広島県境の小瀬川上流の湖面を見下ろす吹きさらしの建屋に置かれている。
弥栄ダム建設に伴う発電所廃止を記念したという。
子どものころ、家庭の電気使用量が超過するとヒューズが飛んで節電を強制された。いつのころからか、電気が思いのままに使える時世に変わった。
ヒューズの時代へは戻れないが、いま節電社会が求められている。「それをいつも心掛けよう」。発電機を通り抜ける冷たい風がささやく。