名勝・錦帯橋から歩いて7分ほどのところに「岩国学校教育資料館」がある。1969(昭和44)年、「明治初年の学校建築の中で、様式の特異性において他に例を見ない」として山口県の指定文化財となり、修復して1972年から教育資料館として開館した。
この建物は岩国学校と称された。明治3年12月、岩国藩知事(旧岩国藩主)吉川経建(きっかわつねたけ)が岩国藩学校条例を制定した。公の小中学校や語学校、女学校などを設置する、武士の子弟ばかりでなく町・農民の子弟も受け入れるなどが含まれていたという。明治政府の学校制度の近代化を図る学制改革は同5年というから岩国は進んでいたことが分かる。
明治4年1月、再び学制が改められ、対象年齢の引き下げられるなどし、同年2月「岩国学校」が開校した。翌年、英国語学所を設置し、英国人教師を招き英語、算術、代数など教え、明治前半期の多くの人材を輩出させる教育をおこなった。
開校当初は二階建て、2階を教員詰所、1階を中学生の教室とした。翌年の明治5年6月、3階部分の塔屋が増築された。それはアーチ窓やよろい戸など洋風の雰囲気を持ち、和洋折衷の外観となった。岩国では当時流行した作りだという。
ここからは多くの人材が輩出された。おって紹介していこう。小学校のころ、1階にはいまでいう保健室、定かではないが当時は養護室があり、2階で音楽を習った記憶がある。久しぶり岩国学校へ立ち寄った。入り口に入館を拒むような2階への急階段、懐かしい。