報道番組では為替と物価にかかわる内容を途切れなく伝えている。そのどれもが国の政治に責任はないように聞こえる。しかし、為替で円の値打ちが大きく低下した原因は、国民一人一人の行為ではないように思う。言葉は悪いかもしれないが、垂れ流しの金融政策にその因があると指摘されている。
まあ、過去に国民が選んだ政府の政策だから国民にも一抹の責任があることは否定できない。そこで、日々の生活のため庶民は知恵を働かせ、家計出費の削減を図っている。折り込み広告を丁寧に検索し、安い店めぐりがその典型だろうか。妻は会員登録しているスーパーの値引き品にチェックを入れ1品50円くらい安く買っている。積み重ねれば馬鹿にはならないか、とみている。
売る方も策を練っている。一夜にして冷凍品の陳列が変わった。従来は解放型の棚に商品が並んでいたが、これが冷凍型の綺麗なボックスに変わった。商品が美し見え、選びやすくなった。ボックスなので放熱ロスが減り電気の使用量も削減されるだろう。売る方も買う方もよくなった。
そんな小さな一例は多くあるだろう。ただ今朝の日曜討論を聞いていても、物価や生活苦への対策項目は出るが、支援や助成など即効的な内容ばかりだ。与党から「この対策を実行すれば生活は安定する。ついては、いついつまで苦しさを我慢して欲しい」、こんな政策が発されることを期待するが無理か。しばらくは我慢我慢だろうか。
(今日の575) 陳列の見事さに負けもういっ品