
散歩、行先は玄関を出たところの小さな辻に立ってから決まる。そのルールはなく気の向くままに歩き出す。大きな音が聞こえる、鳥が飛んで行った、子どもらのおおきな声が聞こえる、工事用車両が向かった、そんな事で決まることもある。まあ気ままな歩き出しは間違いない。
毎日ではないが軒下に並べた野菜、一つ100円の表示の傍に料金入れの空き缶が置かれているが、監視する人はいつもいない。膝ほど伸びた雑草の茂る中に自転車が立っているが誰の忘れ物だろう。昔は活躍したであろう手押しポンプが休耕畑の中に残っている。水が汲みあがるか押してみたいが茂った草の中には入りずらい。なかなか売れないのか売地の看板が変わったが売れるかな。
いつも玄関付近を飾る家もある。壷型の陶器製の大きな甕に蝋梅の枝が活けてあるうち。出窓に近づいた雛飾りが何十体も飾ったうち。最近目を引くのは、見事な蓮のドライフラワーの束、10本余りが束にされ下向きにさげてある。当市は蓮の産地ではあるがこれほどの物はいけばな展でも見た記憶がない。先日はスマホで撮る若い人を見かけた。
いつ通ってもシャッターが降りたうち。閉じたシャッターに商いの案内が貼ってある店。昔は大店を忍ばせる広い間口の木製の戸が何枚も開いているうち。軒先まで商品を積み重ねた老舗の店主が何かチェックされている。20年経つと散歩路も大きく変わった。それを見歩く自分も同じに。
(今日の575) わが髪膚街と同じく変わりゆく