玖西盆地の山裾で窯を設える陶芸家がおられる。創作に至る粘土の練りから作品を焼く薪作りまで、ブログで紹介されている。勿論、創作の様子、新たな試み、創作の狙いなども伺えるが、その深い意味は理解できないが、勝手な空想を働かせ面白く読んでいる。陶芸教室も開かれているようで、生徒さんの後ろ姿と作品の一部が紹介されている。
ここ何カ月間か「蹲シリーズの作品展」へ向けての創作の様子が紹介されていた。「蹲」が分からず調べると「うずくまる」と読む。蹲は花入に転用された壺で、古信楽や古伊賀のものがつとに有名だが、備前や唐津にも蹲の小壺が伝世する。名の由来は人が膝をかかえてうずくまるような姿からきている。もともとは穀物の種壺や油壺として使われた雑器を、茶人が花入に見立てたものという。文献によれば江戸時代に入ると蹲という呼称が定着したという。
粗削りな外観、そこに野の花、紅葉やロウバイ、赤の山茶花にさんきらいなどが活けてある。華の心得の無いゆえ無造作に活けてあるように思うが、細かい心配りされた配置なのだろう。作品は手に取って観賞できる。見掛けはごつい粗削りだが、どの作品も手になじむところが不思議だと感じる。
蹲は掛花入れの一種という説明もある。展示場の柱や壁に掛けられた花入れの形は細長くは共通しているが、丸から四角まで様々、小品だが観て面白さを感じる。花器中心の、静かな環境での展示場を独り占めし、展示品への勝手な想像と思うままの解釈を楽しんだ。それは、俗事から解放され屈託のない心境、としておこう。
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