日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

蝋梅

2008年02月19日 | 自然 季節


今日は24節季の1つ雨水。雨水の肌に与える冷たさが和らぎ草木が芽ぐみ始める時分を表現する、とある。空から降ってくるものが雪から雨に変わる、陽気が地上に発し雪氷がとけて水となる説明もある。みんな春はそこまでを表す。啓蟄までが雨水の期間だ。
今朝も最低気温はマイナス3度以下と冷え込んだが日中は穏やかな日より。こんな陽気だと草木も芽吹きたくなるだろう。

向かいの空き地に小さいが蝋細工のような光沢ある黄色い花、蝋梅が1本咲いている。通りがかりの人が花に顔をよせ匂いを嗅いだり、小さな一枝を失敬されることもある。どちらも花が好きな人なのだろう。

前に住んでいた庭に高さ3㍍ほどの蝋梅が1本あった。花の少ない季節に咲く鮮やかな黄色は目を楽しませる。生け花にと求められるたこともある。同級生が営む花屋の店先に並んだこともある。あれから10数年、蝋梅を見るたび今どんなに咲いているだろうと思う。

蝋梅の落葉するころこれを掃き集める苦労は大変だ。葉は大形でその数は少々ではない。風の強い日は集めたそばから飛散する。燃えるゴミの持ち出しも多かった。といっても結婚するまでは母、それからは家内のする家事の1つだった。向かいから舞いながら飛んでくる葉を見ながら思い出す。

同じかな読みで「老梅」がある。これは年を経た梅の木、梅の老木などとある。梅は数百年を経ても凛として咲く。龍が臥したような見事な枝ぶりから臥龍梅と呼ばれる名木が各地にある。臥龍にはなれないが老木で静かに枯れていくのも悪くない気がする。

(写真:青空と蝋梅)
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春はもう少し

2008年02月18日 | 自然 季節


菜の花の便りを目にしたのでいつも菜の花を撮る箇所の1つへ少し回り道をし探春と洒落た。

南向きの川土手は冬の日で温かそうだ。土手沿いの遊歩道は散策とウオーキングの人が幾組も通り過ぎる。日は差しても川風は冷たい、皆さん厚着姿だ。

中州の枯れススキは所在なさそうに揺れている。そんな中州に巣があるのか幾種類もの小鳥が忙しそうに飛び出したり降りたりしている。雛がいるのかと思わせる鳴き声も聞こえる。

やっと咲き始めた菜の花の数本が日を浴びていた。このあたりでは桜の咲くころ菜の花は生き生きと咲き、ここでは川土手一面を黄金色に染める。周りの菜の花も「もうすぐ咲きます」というように揺れている。

遊歩道側の畑に切り落とされた大根の葉が放置されている。このところの霜に負けたか萎れている。一株残された白菜も大根葉に似ている。大根葉は我家の大切な食材の1つだが。

前期高齢者以上の方に見える30人ほどの人が元気な声を掛けながらグランドゴルフのプレー中。カチィーンという音で転がり始める玉はかなりの速さだ。プレーする人には春の姿があった。

遊歩道の春はもう少し先のようだ。

(写真:咲き始めた菜の花)
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はぐれ子狸

2008年02月17日 | 自然 季節


朝刊配達の人とすれ違ったり追い越されしながらのウオーキング。この数日は最低気温はマイナス3℃前後の冷え込み。錦川を跨ぐ橋の鉄製欄干は霜がこびり付いているよう。風は冷たい。

いつも家からおよそ3㌔の三叉路で折り返す。そこから先はしばらく民家が途絶え竹林のトンネルになる。その三叉路には大きな街路灯があり一帯は場違いな明るさが広がっている。

三叉路の真ん中で動く何かがいる。このあたりには捨てられたネコが多い。「随分太ったネコだ」と思いながら近づいた。足音に気づいたか見上げた顔は子狸だった。

近づいても恐れる様子もなく餌を探す仕草を続ける。薄っすらと雪化粧したアスファルトの道に餌は見当たらない。狸は家族連れということを思い出したが周りにそれらしき姿はない。親狸とはぐれたのだろうか。

そうだ写真を撮らなくては、いつも持ち歩くデジカメの電源を入れた。この邪心に気づいたか、くるりと向きを変えそばの獣道を上っていった。カメラを構えたときに姿は見えなかった。獣道へ向かってシャッターを押した。撮れた雑草は空しそうだった。

これまで猪、いたち、ムササビは見かけたが狸は初めてだった。猪を初めて見たのは公園の菖蒲が咲く少し前だった。突然の水音に菖蒲池を見ると黒い塊が駆け抜けていた。猪と分かったときこれが猪突猛進かと思った。それからすぐに「猪に注意」の立札が立ち今も立っている。このときはカメラを持っていなかった。

小鳥や虫をはじめ四季の出会いは沢山ある。狸のように思わぬ出会いがあるから早朝ウオーキングは止められないかもしれない。

(写真:我家に10数年住む狸家族)
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番号

2008年02月16日 | 生活・ニュース


口座、年金、保健証、暗証、出席、電話等々、毎日の生活の中で区別や確認するため番号のお世話になっている。やらされている方が正確かも知れない。その番号は順番だったり無作為だったりする。アイウエオだったりアルファベットのこともある。

品質管理などのため生産や出荷のグループにつけられたロット番号がある。種類・形状・色など品質に関わるデータが瞬時に検索できる。人の情報も同じように何処かに収められているだろう。時に悪用されるから困る。

錦帯橋周辺は桜の名所としても知られている。およそ3千本もの染井吉野が咲きその見ごろには多勢の人で賑わう。錦帯橋を渡りながら城山を屏風に見る桜は絶景。テレビ中継も1度や2度ではない。最近は川舟に乗っての桜見物も始まった。まもなく蕾の季節がくる。

その桜1本1本にアルファベットと数字を組み合わせた番号札がついている。一昨年の台風で大きな被害を受けた桜の保護管理をするためという。若い木も朽ちそうな木も隔てなくついている。ここには後期高齢者保健制度は見当たらない。そのためか寒風に揺れる老木の枝も力強い。

暗証番号はATMでネットで信用販売でとそれを使わない日はない。時に恐ろしい犯罪に巻き込まれることもある。番号されど番号、加齢に伴う諸現象を考えると暗証番号は過ちの入口になるかもしれない。こころ配りをしながらネット購入を検索している。

(写真:桜の木の番号札)

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シロヘビ

2008年02月15日 | 生活・ニュース


身体は真っ白で目はルビーのように真っ赤、世界でも岩国だけに生息している「天然記念物・シロヘビ」は大切に保護されている。文化財としても貴重な財産という。

1738年6月、岩国城山麓千石原で出現した記録がある。藩主吉川広家が米作りを督励するころ、多くの米倉のネズミを餌としていた青大将に色素細胞の無い変異が現れたという。白い米を餌にするネズミを餌にしたので白くなった、と思いたい。

シロヘビに関する資料館に神社そして観覧所がある。観覧所ではガラス越に眺めることができる。その姿態に気持ち悪さは感じさせない。体長は180センチ胴周りは15センチほどで、おとなしい性質のようだ。

都市化が進み餌となるネズミの減少などから保護が進み、屋外施設で孵化したヘビは屋内施設で3年間飼育し再び屋外施設へ放されている。屋外施設は自然に近い環境の中で保護されている。保存会の人たちの苦労も多かろう。

小学校低学年のころ級友の家で松の枝に横たわるシロヘビをみたとき、松の緑の葉と白い身体を美しいと思った記憶がある。今は観光写真では見かけるだけで市中の家にいることは無いだろう。

岩国城ロープウエイ山麓駅側の観覧所、観光スポットの一つとして賑わっている。観覧料無料は魅力的か。ただ寄付をお願いする小さな箱は設けられている。観覧所の看板を背景にして記念写真を撮る人が今日も多い。

(写真:山麓駅付近の白蛇観覧所入口)
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玉から始め

2008年02月14日 | 陶芸


2回目の陶芸教室。迎えのバスに乗り込むと外の寒さを忘れ熱い会話が始まる。2週間前にも見た残雪の道を標高500㍍まで、瀬戸内海がきれい。前回作製で素焼きされた雛様へ色付けし釉薬に浸けて窯に入れる。月末に完成品を目に出来る。

「器造りは玉から始めます」リーダーの呼びかけ。まずは粘土を丸める事から始まった。丸めた粘土を玉と呼び雪合戦の玉くらいの大きさ。玉を轆轤の中心におき半円球を作ることから作業が始まる。

半円球を台形にしその中心点を求めてから製作開始。中心点から底へ向かって立坑を作る。この立坑を中心に轆轤を回しながら器の形を作る。初挑戦、仕上がりの姿は白紙「なるようになる」の心境で轆轤を回す。わが手が唯一の道具に変わる。

高台周りと外面の凸箇所を削りおよそ2時間「良いんじゃあないですか」若い指導員の言葉にホットした。白紙でスタートした轆轤回しも途中からこんな形かな、と思い浮かぶようになり、それに合わせている自分に気づいた。

使用した粘土は信楽と聞いた。信楽焼は滋賀県甲賀市南西部から産出される陶器。鎌倉時代に開窯し当初は農具や雑器を作った。室町時代に茶器を焼いて有名となった歴史がある。粘土を辱しめない受講者になろう。

(写真:作品2-信楽粘土の器)
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スギの実

2008年02月13日 | 生活・ニュース


1993年、鹿児島県屋久島に生息する屋久杉は世界遺産に指定された。樹齢千年以上を屋久杉と呼ぶそうだ。杉の樹齢は普通500年余といわれる。錦帯橋架け替えに使用された用材は200年以上とかで全国を探されたと聞いた。

杉は日本固有の植物として広く植栽される木という。建築用として柱や板、たる木など多様な用途がある。磨き丸太の柱は労力も掛かるが高価という。外側の白色、芯部分の赤みがかったコントラストは自然の芸術だ。

杉といえば今では花粉症がイコールのようになり忌避される方が多い。症状のある方を見かけると気の毒に思う。先週あたりからその花粉の飛散予報が報道されている。雄花の撒き散らす花粉は春の案内役の1つではあるが嫌われる。最近は花粉数の少ない品種が開発されているとか。期待しよう。

数ミリ余りの金色にも似た杉の実を口に含み、小さな竹で作った杉鉄砲の弾として飛距離などを競った子どものころの思い出がある。間違って咬み渋い苦味も体験した。そんなだから花粉にさらされていただろうが花粉症の仲間がいたか思い出せない。

国産樹木の中で高さ寿命ともに1位という。何よりも素直にまっすぐに伸びる姿は気高さを感じる。その生命力の強さ長寿さからか神木のように神社周囲には多く見られる。屋久杉を見た知人が「山全体が息づいているように感じた」と話した。杉にはなにか不思議さがありそうだ。

杉の実で遊ぶころ謝って飲み込んだこともある。いまだこの身の様子だとまだ発芽していないことになる。いつか発芽するように精進し神木でなくとも、人様に迷惑をかけない年を経た古木になりたい。

(写真:風に揺れている杉の実)

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確定申告

2008年02月12日 | 生活・ニュース


確定申告とは「申告納税を行う場合に、納税義務者がその年の実績に基づいて、所得金額とそれに対する税額を計算し、源泉徴収額や予定納税額との過不足を確定して申告納付すること」(広辞苑)。

その確定申告をすませた。税務署の特設会場にはパソコンへ向かったり署員から説明を受けたりと多くの方の姿があった。申告書の提出だけなので2分で終わった。中程度のデジカメが買える金額の還付がある。使途は厳しい社会情勢を考慮して・・・、などと難しいことは抜きにしておこう。

こんな経験がある。納税催告書が届いた。不足分は口座引落しとする申告書控には受付済の印がある。理由を問うと「書類が現存しない」という回答。引落しなどの書類不備なら受付済にはならないはず。口座番号や届印の書類を紛失しているのに謝る様子はない。再手続きを要請され応じた。

しばらくして重加算税の説明付きで「督促状」が土曜日に届いた。国税庁のHPへ書き込んでおいた。週明けに税務署へ電話し調査と説明を求めた。署長と担当が来宅「署内の連絡不十分でした」と「督促状の取消通知書」を持参、再々度の手続きを要請された。催告書のとき済ませた書類もないという。大丈夫なのか税務署、その時はただ呆れるだけだった。

1947年に採用された申告納税制度、手書き計算器の時代は過ぎ申告書のパソコン作成そしてネットでe-Taxを利用申告できる。でも、いつ督促状が届くか分からない。書類や資料は確実に保管しておこう。

毎年末ボーナスの後の年調還付が楽しみだったが、給与の振込み開始と同時に楽しみは消えた。遠い話になった。

(写真:申告書を提出した税務署)

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高きから

2008年02月11日 | 生活・ニュース


夕方のTVニュースで「艦載機が来たら2万円貰えるんと」という市長選挙中の会話が流れていた。噂デマの1つとして聞いていたが本当だった。他にも聞いたり見たりした「汚い選挙」の例を挙げればいくつかある。

選挙権を得て1度も棄権したことはない。その中で汚いといわれる選挙を経験したり教えられた。今回はこれまでと同じいやそれ以上のものだったと感じている。どこの誰が考えて仕掛けるのか知りたい。

200メートルの山頂に築かれた岩国城は1608(慶弔13)年に完成した。その白壁の天守は桃山風南蛮造りの山城だ。ここからは眼下を流れる清流錦川と錦帯橋、城下町で暮らす庶民の姿が見えたろう。

今も変わらぬ城下町の風景がある。そして遠くに米軍基地が瀬戸内海を背にして見える。この基地への米空母艦載機の移駐が大きな争点となった選挙だった。結果は51対49の比率で移駐容認派の新市長が誕生した。街頭では移駐問題よりもばら色の財政支出主体に演説されていた。

岩国城は1615(元和1)年幕府の一国一城令により惜しくも取壊された。1962(昭和37)年に古図面を基に外観が復元され、観光施設として多くの人が訪れている。極東最大になるこの基地が原因で街が壊れないということを誰が保障出来るのか。

朝鮮戦争のとき、錦帯橋付近の民家へB29爆撃機が墜落し住民から死者が出た。あのときの黒煙は今も目に映る。戦だけはないようあの天守閣は岩国の守護として確り見守って欲しい。

(写真:確りと街を見守る天守閣)
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献血

2008年02月10日 | 生活・ニュース


今年の夏から「献血時に糖尿病検査」「国民病予防へ」という新聞報道があった。

糖尿病は」予備軍も含め1,600百万人に上るとされ、国民病となったことを受けた対応。関心の高い検査項目の追加で、深刻化する献血者の減少傾向に歯止めをかける狙いもある、と書かれている。

献血時の無料検査は1982年から実施、コレステロールや肝機能障害の指標など7項目の値を本人に通知しているという。これに糖尿病検査が加わる。他にB、C肝炎について希望者には結果通知されているそうだ。

献血の前、預血という時代があった。それは手術に必要な輸血用血液を事前に確保することだった。親戚の手術のため10人が仕事を休み広島血液センターに出かけた記憶がある。手術は輸血をしなくて済み預血カードが残った。まだ売血という言葉が賑やかなころだった。

献血は交替勤務から常日勤に変わってから始めた。年2回くらい行った。25回まで「献血手帳」に記録がある。高血圧です、と産業医に告げられ中断のまま今日にいたった。途中20回までの献血のうち9本が供給と記されている。

糖尿病の血液検査は空腹のときの血糖値を測定するのが一般的だが献血には良くない。そこで飲食の後でも測定可能な検査方法を導入するそうだ。献血者の増加と国民病の早期発見になることを期待する。

先般の健診では糖尿病の疑いは出なかった。周囲にはこれが原因で亡くなられた方、いま苦しんでおられる方がある。命に連なる万病の基のようなこの病に注意したい。

(写真:1981年に更新された献血手帳)
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