日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

プチ東京

2008年04月19日 | 生活・ニュース


98年10月、電動車いすで横断歩道を渡る写真、それよりももっとショッキングに感じた「五体不満足」の書名は忘れられない。その著者「乙武洋匡」さんが「講演で各地を訪問しているが、地方の街がプチ東京のように感じる」と話されたのを記憶している。

プチ東京は可愛い東京でなく小さな東京という意味だ。地方の街にその地のよさよりも東京をコピーした姿が見えるということだ。街の全体を見られたわけではなかろうが、少なくとも街独特の良さを感じさせる何かが欠けていたのだろう。

最近オープンしたある商業施設。施設も若い人の華やかなで恥じらいのない服装も映像で見る「都会」のコピーだ。この街の何かを感じさせるものは見当たらなかった。合理的に造られている。

大駐車場と何時間も気兼ねなく過ごせる大きな空間は快適に創られ、そこに並ぶ商品の豊富さは、「駅前の商店街」や古くなった「アーケード街」では太刀打ちできないことは素人でも分かる。服装を恥らわない若者だけでなく、年配者の姿も多いことからもいえる。

かっての駅前商店やアーケード街の姿を復活させるにはこのプチ東京を越える力がいる。これは並大抵のことではない、コーヒーを飲みながら買物客の行きかう姿をガラス越しに見てそう感じた。

(写真:高齢者にはプチ東京に見えた商業施設)
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五月飾り

2008年04月18日 | 生活・ニュース


あちらこちらでつつじが咲きはじめ、鯉のぼりの姿も見られ始めた。爽やかな五月がそこまできている。公園の手入れされた菖蒲畑にも水がはられその時を待っている。

「鯉のぼり 家出せぬかと 強い風」
初孫へ贈った鯉のぼりが元気に泳ぐ、でも強い風に飛ばされないかと心配する好々爺の気持ちがよく伝わる。これはラジオで聞いた川柳。気の毒に思うが大きな都市では味わえない光景だろう。

端午の節句は戦後子どもの日と呼ばれ祝日になる。長男の誕生に妻の実家から届いた兜飾り、飾ることはなくなったが残している。ケース入りの武者人形はこの季節になると飾ることもある。

焼物教室で作った兜を飾ってみた。仕舞っていた何かの飾り紐を兜につけ足のある台にのせてみた。10センチほどの高さの兜もそれなりに映える。今年はこれで行くことにする、金屏風があるともっとよくなるがと思いながら玄関に置く。

まもなく柏餅用にカシワの葉を求める人が山合の道に車を停める姿が見られるだろう。そうすると本当の五月の季節になる。

(写真:自己満足の兜、ねじれた写りが愛嬌)

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よろず相談

2008年04月17日 | パソコン講座


困ったことを相談する団体や公の機関はある。古くからは新聞に雑誌、最近はネットに電話と様態は多くある。解決には専門家や識者、また読者の投書から解決の途を探ることもある。

困った時の神頼み、藁にもすがるなどと表現するが、当人でなければそれの本当の苦しみや悩みはわからない。口に出して簡単に誰にでも相談できるような問題は悩みではないかも知れない。

パソコンを始めたころ、困ったことは数えられないほどありそのたびに取説を見たり、席を立って行き教えを受けた。そのころは困ったが大きな悩みではなかった。そばの誰かに聞けるというツールがあった。所属するパソコンの会の仲間の多くも同じ経験をつんでいる。

そんなことから会では「パソコンよろず相談」を毎週1回開いている。パソコンについてならどんなことでも受ける。会場へ起こしになれば相談料は無料。呼びかけのチラシを配布したり施設においたりとそのPRに努めている。相談員はメンバーが交代であたる。

受けた相談の説明に納得してもらえ、お礼を言われたときはホットする。何年か前にお礼を言った経験を思い出す。今日、相談員をした。2名の方が相談に見えたが解決できてよかった。こうした地道な活動が高齢者へのパソコン普及に寄与する、そんな思いを持っている。

(写真:よろず相談の会場を示すチラシの地図)


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源流

2008年04月16日 | 回想


子どものころ住んでいた家の側を小さな川が流れていた。清水の流れる川と言われ、水道施設のない当時は家庭用水としてどの家も利用していた。だだ、台風などでは洪水になり、決壊の記憶もある。

小学校3、4年のころと思うが、上流へ行ってみようと挑んだことがある。山や畑が遊び場のころ、多少の冒険心があったのか深く考えないまま1人で出発した。途中までは遊びなれた山道を苦もなく進む。

3つ目くらいの堰堤を過ぎるころから険しさはまし、背丈ほどの小木や雑草が先を遮りだす。山の頂上を真上に見上げたときなぜか「怖い」と感じ手すくいで飲んだ水が冷たかったのをよく覚えている。すぐに引き返した。

源流を見たいと思った冒険のことは誰も知らない。旅行記で放映される源流の映像を見ると、川沿いに登った斜面を思い出し、食い入るように見る自分に気づくことがある。

ドライブの途中で立派な「錦川源流の碑」の前に出た。偶然出あった碑を見つめながら子どものころ挑んだ源流探しを久しぶりに思い出した。この碑は、平成の錦帯橋架け替えのとき解体した木材を使用して作成されたとある。源流の姿をいつまでもと願いながらシャッターを押した。

(写真:錦帯橋の解体材で作られた碑)
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大広告してもらった

2008年04月15日 | パソコン講座
取材2時間、写真は相当な枚数。それが今日の中国新聞「ネット散歩」で紹介された。

掲載はA4判1枚ほどの広さに記事と写真2枚。2時間が上手く納められ、さすがプロである。全会員へ紙面をメール送信した。

小さな団体では広報の手段は小さく少なくてその力は知れている。が、マスコミに取り上げられるとその力は計り知れない。メールや電話も届いた。今日の紙面を広告料に換算したら幾らになるかの計算は出来ない。

これに答えるのはこれまでと同じように、真摯な姿勢で会の目的に向かって努力すること以外にない、改めてその重さを感じる。

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野イチゴの花

2008年04月14日 | 回想


訪れた地で道沿いの竹林、いや竹藪と呼ぶほうがふさわしいかも知れないが、カメラを持って「竹の子は見えないかな」と歩いていた。熱心に見すぎたのか「まだ出てはおりません」と甲高いご婦人の声で振り返った。

「いくら捜されてもありません」と二言目。さては竹の子泥棒と間違えられたらしい。「いや、盗るんじゃなくて撮るんです」と洒落たが分かってもらえなかった。

竹やぶの向こうに日当たりの良い畑がある。畑の法面の雑草はみな青々と勢いがある。その中に白い花の群生見えた。近づくと野イチゴの花が日に向かって揺れている。

たまご形でふちがギザギザで深い緑色の葉を背にし茎の先に咲いた5弁の白い花が清楚に見えた。泥棒に間違えられたすぐ後だったからか。

野イチゴの実は赤く丸い粒々が盛上がったようで、その形は店頭に並ぶ温室育ちのそれに比べ野生的と思う。子どものころはこれがおやつにもなった。

駆け回る山や畑のどこに野イチゴがあるか順送りで知っている。子どものルールがあり1度に食べあさる事はしなかった。小さな子どもには木の葉包んで持ち返り食べさせた。

機会があったら赤い実のころに来てそれを撮っておこう、そう思いながら甘い野性の味を思い出した。

(写真:日を一杯に浴びる野イチゴの花)
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石垣

2008年04月13日 | 生活・ニュース


初めて訪ねた山合の広場に駐車区画が設けてありほっとし、そのまま進入し駐車した。車外に出ようとドアを開けるとき目の前の高い石垣に気づいた。

山の麓を切り開いて作られた広場らしく、その石垣が広場と山の境になっている。高さは数㍍はある。組まれた石は大小不揃い、形は様々だけど石質は同じに見える。山を切り開くとき発生した石を利用したと思った。

今ならたんなる土砂として何処かに埋められ、無機質なコンクリーの壁で仕上げただろう。誰の知恵を生かして石垣が出来たのか知る由もないが潤いを感じる。こんな手間の掛かる工事を望むのは、効率ありきの今では無理なことと分かっているが言ってみたい。

石垣と言えば城に思い当たる。いくつか見た城は何れも巨大な石が美しい曲線で積上げら美術か芸術かと思わせるが、目の前の石垣には大それたものはないが素朴さがあり暖かい。

いつ頃築かれたのか知らないが苔の緑は長い歳月を偲ばせる。
広場で続けられているゲートボール、スティックで玉を打つ乾いた音が桜の花びらとともに拡がっている。

(写真:苔の緑が美しい石垣)

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花めぐり

2008年04月12日 | 生活・ニュース


錦川沿いの花便りがいくつかブログに紹介されている。紹介に誘われ出かけた。

近郊では蛍の里として有名な市街地から1時間ほどの山合の盆地。ここでしば桜祭りが催されている。離合を気にしながら国道から3㌔ほど山道を登り車が水平になると田畑一面に菜の花、その法面に白やピンクのしば桜が目に入る。

集落の皆さん、と言っても百数十名の方が手入れされた会場は、ちょうど満開のソメイヨシノとともに散策の人を和ませる。地元の農産物も販売されている。買い求めた手作りの弁当は味も値段も満足した。

小高い山一面の野つつじと桜の取り合わせが話題のとこへ車を走らせた。花はともに盛りを過ぎていたが初めての景色に納得した。ゲートボール中の年配のご婦人が、先週はプロの写真家も見えていたと誇らしげだった。つつじ周りの雑草刈などは地区の方がされるようだ。

錦川清流線の各駅には桜がある。それが駅の目印にもなっている。その桜と菜の花のコラボで話題の駅がある。驚いた、見物に訪れた老若男女の数、それにつれられた子どもを加えると、1日の乗降客をしのぐ人ではなかろうか。

ポカポカ陽気の1日、花めぐりには絶好の日和だった。

(写真:しば桜と菜の花と桜)
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丸ポスト

2008年04月11日 | 回想


ブログ散歩をすると思うことがある。
てくてくと、あちこちをキョロキョロと見回しながら歩いたらいろいろなもの、ちょっとしたものが目にふれる、それが題材になっているいるんだと。

街なかでは見かけなくなった丸ポストに出あった。国道187号線にある道の駅「かきのき村」。幾度も立寄っているがこれまで無関心でやり過ごしたことになる。

丸ポストは懐かしいだけでなく思い出がある。

高校の3年間夏と冬に郵便局でアルバイトをした。仕事は郵便物「集配」の集、ポストに投函された郵便物を集める「開函」。7時と13時ころの2回、赤い自転車で担当区域を走る。その時のポストは赤い丸ポストだった。

よく記憶している。その時は「日給300円」、今では時給でもこんな金額はない。1番高いバイト料は氷の配達で日給350円。家庭に冷蔵庫などない50年も前のこと。こちらはきついバイトだったという。

日給300円でも年間およそ50日のバイト料は年間の校納金に等しい金額で、そのとおりになった。

店内に入るときそっと撫ぜてみた。春の日に照らされていたからか暖かい感触が懐かしかった。

(写真:赤い村の字に似合う丸ポスト))
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七つの子

2008年04月10日 | 自然 季節


 ♪ からす なぜ鳴くの           やまの古巣へ 
    からすは 山に              行ってみてごらん
     かわいい 七つの子があるからよ     まるい目をしたいいこだよ
      かわいかわいと からすは鳴くの
       かわい かわいと 鳴くんだよ

この「七つの子」は野口雨情1921(大正10)年の作品。この「七つ」には諸説がある。
一つは7羽の子ども。カラスの卵は普通3から5個で7個は生まない。仮に生んだとしても全てが孵化することはないことから否定される。

次に年齢。カラスの寿命は5から7年、厳しい自然の中で生き抜くのは至難の業で繁殖期までにその大半は育たないからカラスの7歳説には無理がある。

最後は七五三説。雨情は七つの子を人間の7歳の子に重ねて書いた。七五三の風習が隠されているという。7歳を迎えると抵抗力もつき特別な変化が起きない限りすくすくと育つ。親がやっと安心出来る胸のうちを書いた。
どの説ものちの人が解説していることで雨情が説明したものではない。

やまの古巣ならぬ新しい巣作りが始まっている。場所は我家の側の電柱。数日前から数十センチほどの小枝が散らかる。何故かと思いながら片付けていた。それがカラスの巣作り用と分かった。電柱の1番高いとこにそれらしい形が見える。

下校途中の小学生が「どうして小枝があるのか」と思っていたと話してくれた。毎日観察してみよう、と言いながら帰っていった。電力会社から「近日中に撤去します」と連絡があったばかり。
あの小学生の期待を裏切ることになるのは少し気が重い。

(写真:小枝を使った未完成の巣、写真の中央部分)
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