日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

変わる古い町並み

2013年02月18日 | 町かど
           

 名勝・錦帯橋周辺は城下町として岩国観光拠点の一つで、錦帯橋とあわせ世界遺産登録の検討準備もされるなど由緒ある地域として知られ、観光で訪れる人も多い。それだけに新しく建築されたり改装されるにはそれなりの制限がかけられる。見るほう、眺める側にはいいが、住まいする人には苦痛の面がある。

 そんな町の昔ながらの狭い道筋を歩くと、古い町家が減りその跡に今風の住宅が建ち、町並みが変わりつつある。解かれて空き地のままや駐車場となったとこも多く、歯の抜けたような通りには後戻りのきかない衰えを感じる。

 文化財です、と市教委の掲示の取り付けられた武家つくりの家屋、空き家となり中央部分は崩れ落ちていた。それが解体された。補修しないで解体に至った訳は知らないが、ユンボでの解体の様子を見ながらなす術のないことは分かっていながら「何とかならないのか」と一人思う。

 一方で、道幅が広くなれば交通の便がよくなり、人の通りも増えて商店街復活の兆しにならないか、など思う。軽自動車の離合も難しい裏通り、その上を両手を広げたほどの巾で軒が向かい合っている。こんな古い町並みを存続させ且つ町の賑わいに通じる、効率と効果を求める時代には策がないのかもしてない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩の目的

2013年02月17日 | 町かど
          
           
 健康を思っての歩き、ウオーキングよりも散歩の呼び方が似合うようになった。のど飴を口にして気の向くままに歩く。歩けばいろいろなことを見たり発見したりする。久しぶりの出会いもあり、立ち話に時間を割くこともある。草花にカメラに収めるとブログネタに出来る。こうして思いなおしてみると目的のない歩にも収穫はあるようだ。

 追い越しの乱暴な運転の車にヒヤリ、飛ぶ鳥からの白いべちゃとした落下物に驚いたりする。風の強い日に折れた枝が車のフロントに落ちたのを目撃した。スマホに案内させるのろのろの運転もある。これは事故に遇いそう。迷い出たのかうり坊を見かけたときは足を止めて道を譲った。

 作業場か倉庫のような壁に、右から順に「辰、巳、午、未、申、酉」までの6枚の干支の絵が並んでいる。雨風にそれほどたたかれた様子はない、辰から始まっているので昨年の作かもしれない。でもナゼどうしてという気がする。風流な人なのだろうか、これはブログにいただこう、と1枚撮る。

 健康を思っての歩きとは言ったが、ブログを書くために歩いているのかも知れない、と苦笑しながらコンビニの前の大通りを横切る。ここからはいつもと逆方向に歩いてみよう、と向きを変える。 いつもと逆の側を歩く。すると通りなれた町筋が違って見える。この様子はいつかブログにいただこう。
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

視線と視界

2013年02月16日 | 生活・ニュース
           

 道路が整備され交通量が増加、それに伴って横断歩道や陸橋、信号機などが設けられる。交通事故から歩行者を守るために、今もそれらの整備は続いている。子どものころの通学路にはそのどれもが無かった。たまに通るオート三輪車に道を譲るくらいだった。

 家から一番近い陸橋はカーブになっているT字路にある。3つある階段のひとつは交番のそばに、反対側には交通安全と表札のついた地蔵さんがある。事故で亡くなられた方の弔いと安全を願っての地蔵さんだろう。いつも綺麗な花が供えられており、頭を下げて通る。

 この陸橋を渡る人よりは歩道で左右を見て車道へ駆け出す人の方が多い。だからこの陸橋の下を運転するときはよく注意している。私は歩いているときは必ず使う。安全のためもあるが、視界が変わるのもまた楽しい。

 見慣れたお城山も視線が数m高くなるとたたずまいが変わる。錦帯橋からの直線道路の通行状態でその日の賑わいが分かる。反対を見れば、歩道からは見えない小学校の運動場がひと目で見れる。そこでは体操や遊びに夢中の児童らの動きが声と一緒に伝わり、その元気な姿に安堵する。時々は橋上に立ち止まってその様子を眺める。

 陸橋ほどの高さでも、そこでの視線は車を運転するときのそれとは違い遠くまで届く。したがって視界も広くなり見渡せる範囲も広がる。これまで最も高いところへ上がった経験は完成翌年の東京タワー。そのときの記憶、残っているのは高いというそれだけ。昔の武蔵(むさし)の地に建てられたタワーは武蔵にちなんで634m、晴れた日の見晴らしは素晴らしいと土産話。1度はその視界を楽しみたいと思っているが、さて結末はどうなるのか。 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

船遊び

2013年02月15日 | 地域
           

 時代劇では川船で悪巧みを話し合う場面がしばしば登場する。そんな船は障子で周囲を遮り景色を楽しむ事はしない。逆に外から内を伺うこともできない。秘密めいた舞台装置としてはいい。そんな光景がかってここ錦帯橋のかかる錦川であったか否か、だれ知るよしもない。

 船遊び、船で川や池に出て楽しむことで、古くは平安時代、船上で宴を催し詩文を作り、奏楽を楽しんだという。風流・風雅な遊びだったろう。今、都会の船遊びは船外機を付けた大型船が使われ、林立するビルを水面から見上げ近代都市を味わっている。

 障子の変わりは風除けの透明なシートを下げた川船のうえで宴が開かれている。錦帯橋を眺めながら地元の酒を味わうという川船での催し。二人の船頭が船べりに腰を降ろしているところがのどか。ときどき周回してはまた一休みする。遠くて宴の会話が届かないのは、地酒をゆっくりっと味わっているのだろう。

 鵜飼の遊覧船をそのシーズン以外でも活用しよう、そんな企画が伝えられている。地元に伝わる料理を肴に、その名を知られる地元の銘酒を味わうという、酒好きな人にはたまらないだろう。遠来の人をもてなせばこの上なく喜ばれるだろう。名勝・錦帯橋を渡るもよし、それを見上げながら地酒を頂く風情ある船遊び、鵜飼まで楽しみは続く。

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水滴に負けるな

2013年02月14日 | 生活・ニュース
           

 雨垂れも、長年にわたり石に落ちれば石に穴をあけるという意味から「雨垂れ石をも穿つ」ということわざがある。「わずかな力でも、根気よく続けることによって事が成就するということ」と解説がついている。 何事においても非力な自分にぴったりのことわざでやる気を起こさせる。分かっていても続けることは難しい。

 そんな中でブログは6年半あまり続いている。体調不良やPC不調などで不本意な休みはあるが、ほぼ毎日書いた。後日、読み直して自ら書いた内容なのに赤面することは数え切れない。しかし、その日その日の事や感じたことなので、手の入れようがないものと言い聞かせる。そして、少しはましな題材を探し、それに似合ったましな内容をと思うのは思うが簡単にはさせてくれない。

 訪問するブログを読みながらたまには英知のあることを、人生の道しるべになることを、 社会へのためになることを、書きたいと考えるがそれがかなったという思いはない。

 雨上がりの公園。遊具からの水滴、そのあけた穴は深くて、落ちた水滴は地面まで跳ね返れない。どのくらい頑張っているのだろう、そう思いながら雨垂れのことわざを思い出す。冬なのに、生温いもやっとした公園の空気、だがそんな様子にかまうことなく水滴は一定の間隔で落ち続けれる。見習えと、教えるように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新刊書架

2013年02月13日 | エッセイサロン
           

 岩国図書館誕生は1910(明治43)年、今の岩国教育資料館三層楼の2階だった。ここに至るには武芸偏重の岩国で文学の興隆にも意を注ぐ必要を感じた藩主は横山講堂を建造した。以後、養老館、岩国学校、錦見小学校ばどと幾多の変遷はあるが、岩国の人材育成に力を注がれた。

 現在、岩国図書館は中央公民館と併設になっているが、1923(大正12)年から1971(昭和46)年までは独立した重みのある洋式の建築だった(吉川家の出資による)。戦後の一時期、当時の進駐軍に接収され星条旗が掲げられた記憶がある。そのときは現在の徴古館へ移転し横山館と呼んだ。

 この由緒ある岩国図書館の新刊書架に「花水木 第7号」が場を貰っている。書架は入り口を入ったところにあり、来館者の目につく。「おっ」、喜びが湧く。素人ぽいデザインと表紙の色が目を引く。すぐに写真を撮る。花水木は岩国エッセイサロンの同人誌で、先月発行し同館に寄贈したまさに新刊。1時間後に覗いて見たが、まだ書架におさまっていた。

 背表紙には数桁の番号と記号が記されており、蔵書の一冊になる。いつから書架に、と訊ねたら「つい先日です」との答えだった。しばらくは新刊書架に置かれるという。丁度、1週間前に訪れたときは見かけなかった。ぱらぱらと繰ってみた。これから多くの人に読んでもらえることを願いながら書架へ戻した。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョコレートの力

2013年02月12日 | 社会 政治
           

 「今年のバレンタインデーに婚姻届けを出すが式は1年先」という娘の言葉に驚いたという母親の投稿。1年先に延ばす理由は「建築中のマンションがそのころに完成するから」と説明した。「それならどこかに家を借りて住んだら」という母親の思いに「無駄なお金は使いたくない」と返事。14日、終業後に二人で届けに行くことを決めている娘、通い婚への母親の複雑な心境が書かれている。

 チョコレートに思いをこめて配る対象は人それぞれだろうが、若い人にはその日を「一生の記念の日」にするほど重みのある日になっている。この変化、この年になると理解しがたいが、投稿文の裏には娘さんの真剣な行動が伏せられているいるように感じ、無責任だが楽しく読ませてもらった。

 「手作りのチョコを配るんだ」という園児の姿が映像に映る。微笑ましくもあり少々おませな感じもするが、その真剣な姿はいい思い出として残されるのだろう。お店にはずらりとチョコの並ぶコーナーが設けられ、その周辺は甘い香りが漂っている。ラッピングコーナーもあり、目にしたときは何十個もの包装で頭も上げれない店員さんが頑張っていた。チョコの年間売り上げの半分近くはこの時期、そんな報道に納得する光景だ。

 退職まではそれなりの数を貰っていた。それ以上のお返しを買うのも年中行事の一つとして楽しんだものだ。先週、今年の1号が届いた。まだ開いていないが「お返しは無しですよ」とコメントがあった。現役のころ、なじみのスタンドのママは客の好みに合わせたチョコを配っていた。私は「生チョコ」だった。そのママの消息は途絶えた。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

献血のきっかけ

2013年02月11日 | 生活・ニュース
           

 夏場には輸血用の血液が不足気味なので献血を、とよく呼びかけられる。献血できる年齢を越え、献血車を見ても足を向けることはなくなった。現役のころは何十回か献血、県や日赤から記念品をいただいた。

 そのころの記録は赤い表紙の「献血手帳」。それは名刺より小さいサイズだが金文字の「献血手帳」が威厳を示す。中にはRh式とAOB式の血液型が記入されている。不慮の事故などで輸血が必要なときに役立ちます、初回の献血のとき説明を受けた。今日まで使わずにこれた、これからもそうありたい、事故にあわないお守りとして今も財布へ入れている。

 輸血用血液の必要性を痛感したのは40数年前、親戚の一人が手術になり、事前に輸血用の血液が必要と知らされた。当時は献血でなく預血制度だった。親戚や知人が集い広島まで出向き預血し、預血カードを受けた。手術はうまくいき輸血は必要なく済み、退院できた。

 それからまもなく、机の引き出しで眠っていたカードに出番が来た。高校卒業間もない息子が手術する、ついては輸血血液の準備が必要になったとその親から相談を受けた。準備する量は200ccという。献血カード1枚でまかなえる血液量なので使ってもらった。

 そのことを忘れかけたころ手術を受けた息子と両親がわが家を訪れ、丁寧なご挨拶をもらった。母親は涙しながらに助かったと話された。血液の大切さを改めて知り、それが献血を始めるきっかけだった。

 今は成分献血や400cc献血と新しくなっているそうだ。献血は自分の健康管理にも使える、多くの人が参加して欲しい。スーパー前で準備中の献血車を見ながらそう思った。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SFの世界は断る

2013年02月10日 | 社会 政治
           

 PM2.5、始めて見たとき「午後2時30分」かと間違えたのは私だけではなかったようなので少し安堵した。PM2.5とは微小粒子状物質のことで、粒径2.5μm(2.5mmの千分の1)以下の粒子状物質、スギ花粉は1mmの30分の1というからその微細さがわかる。PM2.5は、人の肺の奥深くまで入り込み、呼吸器系の健康に影響を及ぼすと懸念され恐れられている。 

 その発生メカは明らかにされているが、抑制の対策が進んでいない隣国。中国国内の映像を見ると、濃い霧か霞が張り付いたようで不気味な様子だ。在留日本人で帰国を考える人も多いという報道がある。日本はこうした有害物を発生させない技術輸出を進めることで、中国からの有害物質の飛来拡散防止に連ねて欲しい。

 国内ではスギ花粉の飛散が始まっている。昨夏の暑さから今年の飛散は昨年を越える厳しさになると予測されている。どの位多いかを説明する例えに「これまで花粉症に罹ったことのない人も発症するかもしれない」と専門家の話を伝えていた。今日のこの地方の花粉飛散は「非常に多い」と高いレベルの予測が出ている。

 吉香公園周辺を歩くと山裾にはまっすぐに伸びた大きな杉が立ち並んでいる。ときおり強い風に飛散していくそれを見ることがある。子どものころにはそんな木の下で気にしないで遊んだ。杉の実を口に含んで竹鉄砲の弾代わりにもした。言われる花粉にやられた症状は記憶にない。日本人の体質が変わって来たのだろうか。

 空気清浄機の販売がうなぎ上りという報道を知ると、顔を隠し衣服で全身を包むSFのような住環境になりつつあるような気がする。こういう付けを子孫に残さないことが今の時代の責任、ニュース映像見ながら何も出来ない苛立ちを覚える。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

酒と肴

2013年02月09日 | 回想
           

 年明け、といっても鏡開きからこちら酒席の回数がこれほど多いのは定年後初めて。3連ちゃんもあったりして週いち近くなる。昼あり夜ありとその主旨により違うが、共通して言えるのは「楽しかった」ということ。会費はこれでいいの、と思わず口にすることもあるが、大方は「理にかなっていて納得できる」というリーズナブルな値段は年金生活者にはありがたい。

 「歳と体力に見合って酒量も減る」と10歳ほど上の先輩が残念そうな顔をしながら話してくれた。その人は日本酒が好きでいつも美味そうに飲んでいた。広島の寿司屋へ誘われ一緒したこともある。その時、料理好きなその先輩は店の大将と、和料理の話をしながら飲んでいた。そこで酒と肴は切り離せないなど料理の奥深さを少し悟った。

 「年を重ねるにつれ肴は量より質にかわり、そして酒量は減る」という話を実感するようになった。晩酌といえるかどうか分からないが、缶ビールは1本あれば十分で、時には「残っている」と妻から教えられる。ウイスキーや焼酎は薄めの水割り、日本酒はぐい飲み1杯ほどで足りる。最近、ワインはいつ飲み干せるか分からないので開栓しない。

 酒を飲み始めたのは職種が変わった40のころから、それから定年までの20年余、いろんなお酒をいただいた。先輩の話していた「酒には肴、これは親子関係のように切り離せない関係」、どちらかといえば肴の方に興味があった気がする。酒や肴に勝る出会いもあった。酒は飲み方次第、そう思っている。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする