日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

いやな道

2014年04月20日 | 地域


 明け方の少雨は春の季節の最後「穀雨」への気持ちか。国道187号線を錦川沿いに上流へ向かった。久しぶりの走行、当然だが山桜の姿は消え山ツツジが斜面のそこかしこに咲き始めているが、見せ場には至っていない。それを補うのは緑色。濃淡含め緑にこれほどの色会いがあるのかと驚く。それでも緑といえばやはり草木の新芽がその代表になる。

 市内の講演で187号線は「いやな道」と語呂合わせのシャレを口にされたのは竹下元首相。故郷島根県から車で錦川沿いを走られた感想。元首相自ら運転されたわけではないだろうが、高級車の後部座敷でもそう感じられる曲がりくねった片側1車線の国道。あれから何十年も経過したが、快適な国道に昇格することなく陰陽の重要な役割を果たしている。

 ブログやローカルニュースで話題になっている二輪草の里へ回ろうと帰りを急いでいた。二輪草の里へは187号を右折して錦川に架かる橋を渡るが、橋の手前から渋滞になっている。事故かと思いながら橋の見えるとこまで来た。なんと、二輪草の里へ向かう車が橋のたもとで込み合っている。狭いため橋上での離合が容易でないことも込み合いの原因になっているようだ。たまたまその時間だけが混雑したのかもしれないが、橋の両端に誘導者が必要かな、そう思いながら二輪草は何度も見ているのであきらめる。

 187号を1年に20回以上、2年ほど走ったことがある。そのくらい走ると道の状況は把握して、鮎かけの人、川面の霧やそこから上る虹、錦糸の織物ように色づく山、高い峰に残る残雪など四季を感じながら運転していた。久しぶりだとそうはいかない。いやな名前の道なりから目が離せない。前を行く私よりさらに慎重な運転の車に追いつきほっとしたのは、後続車に迷惑をけているという意識からの解放だった。

 
  
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堰堤池

2014年04月19日 | 回想


 これまで何度も眺めているがそこは周囲の木々を映す庭池とばかり思っていた。 先日、何気なく迂回したときそれは堰堤池であることを知った。堰堤は小さな川を横断して水流や土砂をせき止めるもので、ダムの小型の小型のもの。その池には桜の花びらが浮かび、ちょっとしたいい景色となっている。そんな堰堤池を見ながら思い出した。

 遠い昔に住んでいた地域は、錦帯橋が流失(昭和25年)したキジア台風の翌年やってきたルース台風で山崩れにより、土砂に埋まる家屋などの被害が出た。この台風で通学に通る錦帯橋下流の臥龍橋も流失するなど2年続けての大型台風に見舞われた。

 山崩れの発生した下流に防災用の2つの堰堤が作られた。下流側の総コンクリート製の堰堤は谷川に迫る両方の山腹深く食い込んでいた。学校の校舎が木造時代の話、コンクリートの巨大な構築物は初めて見る。工事中は遠くから様子を眺めていた。完成すると川底と同じ位置の放流口から綺麗な水が流れ落ちていた。

 上流側の堰堤は工事の様子を見ることはなかった。完成して知ったのは石組の堰堤だった。それは堰堤上部から水がオーバーフローするタイプだった。貯まった水は可なりの水量だったと記憶する。堰堤寄りは子どもの背丈以上の水深だった。そこが子どもの発想のすばらしさ。校区にプールない時代だったが誰いうとこなく夏場はプールの代用になった。

 上級生が自然にリーダーとなり水深など気をつけて遊んでいて事故は起きなかった。大人の監視の目のない山あいの谷川の堰堤での水遊び、今なら厳しい注意や叱責を受けること間違いなしだろう。いい時代に子どもだった。
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カープボール

2014年04月18日 | 陶芸


 先日、セリーグの在阪チームと在京チームの伝統の一戦という試合で在阪チームが勝った。翌日のあるスポーツ紙は1面から6面までがその試合の記事で埋まっている、と在京のTV局がやや揶揄的に紹介していた。ひいきが勝てば何だって嬉しいことに違いない。揶揄しないでその逆もあるのだろうから素直に拍手を送るのが名放送ではなかろうか。

 そんなセリーグの首位は昨年の終盤から好調な広島カープ。17日現在16試合11勝5敗0引分、勝率6割8部8厘、2位巨人とのゲーム差1.5で首位、貯金も14季ぶりの6という。前記のスポーツ紙ほどではないが、地元紙は文字も写真も赤色が映える。カープは5月の鯉のぼりの季節までは勢いがいい、こんな評は定着してる。それでも応援する地元の人らの熱意を今年は実らせてほしい。

 プロ野球は1軍だけではない。いつか1軍での試合、明日のチームを担う若手選手の集うのが2軍。広島の2軍本拠地は市内の由宇町にある。地元の応援組織はたびたび記事になるほど「根っからのカープ」として支援している。そんな町で製作中のカープ応援商品に出合った。それは野球ボール状の陶器でカープロゴ入りの貯金箱。素焼きされた1個1個のロゴに色づけされていた。球の縫目も綺麗に表れていて、一見したところは白球だ。その製法の少しを教えられたがそれの公開は控えておこう。

 その預金箱の用途、未公開中なので詳しくは聞けなかったが地域の行事で使われる様子だ。丁寧に色づけされる手元を眺めながら、カープフアンなら欲しいだろうと思った。大きな仕事、大きな成果を残すなどの陰には、こうした支えがあってこその成果が現れる。オリンピック金メダル選手の「チームに感謝」はこれに通じる。さあカープ、はらはらどきどきのシーズンはまだ長い、どう楽しませてくれるだろうか。
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新緑を見上げて

2014年04月17日 | 自然 季節


 「目に青葉、山ほととぎす、初がつお」という俳句がある。桜が終わると青葉、ホトトギス、かつおの良い時期だということをうたった俳句。この句は300年ほど前に山口素堂という人の作という。それにしても俳句なのに青葉、ホトトギス、初がつおと季語が3つも並んでいる。現在もこの3つを初夏の例えにしている。こうしてみると昔の人の気持ちを今も引き継いでいることになる。

 そんな一つの鰹が獲れないという。どのくらい獲れないか、ある日の市場のレポート。セリになると通年は市場に2千匹くらい並ぶがその日は15匹という。料理屋も食堂も高値で困っている。スーパーでは仕入れを見合わせている。どうして獲れないかという話はいろいろあるが、どれが正しいのかは分からず聞いているだけだ。

 登山道の端に白い薄ぺらでふわふわ状のものが帯の様に連なっている。手に取ってみるとそれは散った桜の花びらがカラカラに乾き4半分ほどの大きさに縮みんだものだった。パッと咲きパッと散る姿は日本人の気性に似ているという桜、手にした乾いてさらさらとなった花びらが哀れさを感じさせないのは精一杯咲いたという誇りからだろうか。

 そんな花びらに、次は任せてというように新緑、若葉のみどりが揺れている。葉を落とし寒々としていた枝にみどりの若葉が芽吹いてくる、普通に自然の営みと思っていることも、登山道でみどりの葉を見上げていると、その神秘が語りかけてくるような気がする。1年じゅう新緑だったらこんなことは思わないだろう。四季とはすばらしい。
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半分経過

2014年04月16日 | 生活・ニュース
 

 ガン、癌と書き「悪性腫瘍の総称」をいいあらわす。切って取り除くのが一般的な処置、そんなところから「金権は政治のガンである」という。何にしても嫌われものであることには間違いない。そんな癌の切除手術を受けてから、3カ月間隔で定期検診を受けている。この検診は5年間続くが今日でその半分が経過した。血液にCT、内視鏡検査など経過月数によって組み合わせが異なる。いづれも異常所見なく過ぎた。

 検診を終え医療センターを出るとき旧知の人に出会った。聞くと昨年末に癌の切除手術を受けたという。部位は私と同じで、今回が初の定期検診という。少し情報交換をし分かれたが、心配な様子は見えなかった。知人も含む私の周囲にも癌の手術を受けた人が思いのほか多く、発見の医術が進歩していることを感じる。

 酒は乾杯程度、たばこは吸わない、スポーツは何でもこなす知人が肺がんと知ったときは驚いた。あるときの検診でマーカーの値が上昇し即入院となったが、わずか3カ月ほどで帰らぬ人となった。この事例を知っているだけに血液検査のマーカー値に注意している。今日も、医師は検査詳細情報を示し心配は無いという説明を受け、安堵する。値は自分でも確認できるので納得できる。

 新築移転から1年目の医療センター。患者にその付き添いの人らを含め混雑というほどの人らが訪れている。医療費の膨張が財政圧迫の一因というけれど、急速に進化する医療技術もそうした遠因のひとつではなかろうか、そんなことを思いながら自動清算機で支払いを済ませる。
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ATMにありがとう

2014年04月15日 | 生活・ニュース

 孫に「昔々、おじいさんと、おばあさんがいました」と昔話を始めた。そしたら孫は「それはいつ頃か、おじいさんとおばあさんの名前は」と聞いてきたという話がある。そして「ネットで調べようか」と追い打ちをかけられ話はおわったという。今、疑問に思ったことを即座に知ることができる便利なツールがいく種類もある。話のお孫さん、どんな疑問も即座に解消する世界に育っているのだろう。

 いろいろな道具や機器を便利で喜ぶ人とそうでない人もある。その先端の一つがITと呼ばれる情報技術。その素晴らしさをカタカナとアルファベットに弱い者には何回聞いても難解で歩が進めない。それは進化進歩が速すぎるのでついて行けないと言い訳しているが、もうついて行こうとする意欲を持っていないというのが原因になっていると気付く。そんなIT音痴もATMには仲良くしてほしい。

 金融機関の窓口で用を済ますということはほとんどなくなった。年金の入金と各種の引き落とし確認、それに生活費の引き出し時にATMのお世話になる。家での現金支払いは自治会の会費くらいではなかろうか。自動引き落としになれば集金人という職業はやがて消えていくだろう。支払う側は便利だが職を失う人もいることになる。

 先日、預金通帳の記帳に行ったとき記載欄が少ない。新しい通帳作成を頼もう思いATMで記帳を始めた。すぐに「新しい通帳を作成しています」とディスプレーに表示が出たので驚いた、これまでは通帳更新は窓口の業務と思ったがATMがその役目を引き継いでいた。賢くなっていくATM「ただいま表紙を印刷中です」など経過も教えてくれる。「通帳はは新旧2冊出ます」と心配心を見越した案内もする。通帳を取り出しながら思わず「ありがとう」。
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タンポポ

2014年04月14日 | 自然 季節


 タンポポは漢字では「蒲公英」でこれは漢名からという。種子の冠毛が丸く集まっているようすが「たんぽ」(綿を丸めて布などで包んだもの)に似ていることから「たんぽ穂」と名づけられ「たんぽぽ」になった。英語名は「ライオンの歯」、独特の葉のギザギザを、荒々しい獅子の歯並びにたとえたという。

 花は3月初めから5月の末ころまで見られる。一時、少なくなったといわれたがどこでも見かけるポピュラーな花の一つ。タンポポが春を先取りして咲くのは、その蜜が春の花が咲きそろうまでの蝶の貴重な食料になるという。気まぐれに咲くのではなく、自然の生態系の一翼を担ってることに驚く。

 ローカル線の法面の雑草は草刈機で刈り取られすっきるする。これは沿線民家への迷惑防止から毎年6月と12月に実施される。刈られた雑草が枯れ春になると新芽が出る。それに混じってどこから来たのか、また誰かに植えらた子孫なのか雑草に負けじと花が咲き始める。誰からも肥料などもらうことはない、それだけにたくましく感じるのかもしれない。水仙が終わったあとのタンポポもそんな花の中の一つ。

 花のあと種子は気ままな風に乗って飛んでいく。これをタンポポの絮(わた)と呼ぶそうで、歳時記では春の部に載っている。野山が遊び場のころには絮を追っかけもし、茎からちぎって息を吹きかけ飛ばした覚えがある。最近は外来種のタンポポが繁殖している。多くの生物で外来種の侵害が問題になっているがタンポポはどんな状況にあるのだろう。法面に広がるタンポポを眺めながら心配する。

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雨うらめし

2014年04月13日 | 生活・ニュース


 今日は「タケノコ堀とタケノコご飯」と予定に書いていたが、明け方からの雨で「中止です」の電話とメール。昨年の収穫を思い出しながら残念の一言。毎朝、4時前後に届く新聞は雨濡れ防止用のポリ袋に入っていなかった。4時半過ぎには雨音がするほど降っていた。ポストから新聞を取り出しながら、みんな配達を終えただろうかと気になる。

 桜の季節に雨はつきものというけれど、ここ3回ほどの週末は雨傘日和、観光に見えた人らが「雨の錦帯橋もまたいい」と思っていいただけたどうかは分からない。この雨ふりを喜んでいる中にタケノコさんが入るかも。話によると今年はタケノコの出が良くないとか。裏作ということだろうか。雨後のタケノコ、ならばこの雨の後がねらい目かもしれない。

 雑草や雑木などが密生しているところを藪と呼び、竹の茂っているところを竹藪と呼ぶ。しかし、松藪とか杉藪とは呼ばないのには訳があるのか。藪、いいイメージはない。その一つが「やぶ医者」、広辞苑では「藪は野巫の意で、医術のつたない医者」とある。藪のつくことわざはいくつかるが、引いてみるとあまりいい意味には使われていない。そんな中で「藪に剛の者」は藪のイメージを救うのか否か。「つまらない者の中にも立派な人物がいる。藪医者の中にも巧者がいる」。

 山間部の道の駅で、タケノコの皮を包装材にして握り飯を包んで販売しているのを見たことがある。買いはしなかったが、ポリ容器にはない「故郷」を感じさせるいいアイディアだと思った。タケノコはハウス栽培のきかない旬だけのもの、だから藪から棒でもいい、タケノコ堀があったらついて行きたい。そんなことを願っていたら雨の中、夕方にタケノコが届いた。それも茹でたタケノコ、ありがたいことこの上なし。
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書架の本探し

2014年04月12日 | 回想


 岩国市立岩国図書館、それの設立は1910(明治43)年4月、現在の岩国教育資料館で始まった。変遷はあったが、現在の場所に移されたいきさつが、1919(大正8)年11月30日の地元紙「興風時報」に「図書館を寄附 岩国町民の福音」という見出しで載っている。それによると、「子爵吉川元光公は図書館を建設し岩国町に寄付されたり」「祖父經幹公50年祭、經健公10年祭を営まれその追憶の意により」とある。

 建設の記述の中に、レトロバス「いちすけ号」のモデルになった電車軌道への配慮した記述もあり往時がしのばれる。その図書館の姿は小学時代毎日目にしており、印象に残ってる。本館は花崗岩とモルタル作り、隣はレンガ作り、当時は超モダンな建物だったと思う。戦後、進駐軍軍政監本部となり、図書館は一時、横山の徴古館へ移った。その吉川家寄贈の図書館も老朽化とシロアリには勝てず改築、1973(昭和48)年4月に現在の中央公民館と併設し今日に至る。中央図書館が建設されるんで市内図書館の中心だった。

 当時は中学生になると本の貸し出しが許された。中高を通して図書館は通学路のそば、読む本はすべて図書館にたよっていた。読みたい本を調べ記述して担当者へ出す。奥からその希望した本を持ち出してくれたのを借りる、そんな流れだったように思う。一部は書架に並んでいた。今はシステム化が進み子どもがカーソルを操作し本の検索をしている光景を見ると隔世の感、という言葉が頭をよぎる。

 今も岩国図書館にはスチール製の書架がジャンル別にずらりと並ぶ。それは中高時代の面影が残っているようで、そこで気に入る本を探すのは実に楽しい。書架の探し読みをしていると時間の過ぎるのが早い。今は、1回に最多10冊を2週間借りれる。貸し出しの入力が終わると館員の「ありがとうございました」の挨拶が先にくる。そこには事務的機械的でない本と人のつながりを感じる。これはいつまでも続いて欲しい。
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投手は9番打者

2014年04月11日 | 生活・ニュース


 先週だったか、プロ野球解説者が「今季もボールが飛びやすいのでは」と発言、同席のOBも同じ見解だった。日本野球機構は開幕そうそうの抜き打ち検査の結果、飛びやすいボールだったと発表し解説者の見た目は的中した。製造元は何の変更もないということらしいが、それでは何故変わったのだろう。それにしても素人が思いつくのは、開幕前になぜ検査をしておかなかったのか、機構の問題だろう。

 ところで、地元広島カープは昨夜の巨人戦で敗れ1ゲーム差の2位、出だしは一応は善戦中としておこう。この試合を評した新聞の辛口コラムの見出しに「明暗分けた『9番打者』」とある。9番打者は先発を含む投手のこと。広島の9番打者は11試合で21打席無安打、12三振。犠打も四球もなし。進塁打が一つもない。一方の巨人の先発陣は11試合で20打数7安打、打率3割5分。犠打も5ある。

 投手も打つに越したことはないが、先ずは相手打者に打たれず抑えればよいと思っていたが、9番打者と表現されると相応な打撃成績が求められる。よく下位打線から反撃し逆転したとすると記事は面白い。チーム一丸という感じがする。野手は守るときはエラーせず、攻撃のときは打つ、投手にも同じで投げてそして打つことが切り離せないこととなる。

 高打率と喜べばよく飛ぶボールのせい、0に近い防御率かと思えば飛ばないボールのせい、飛ぶボールと飛ばないボールはどちらも選手の成績にかかわってくる。9番打者といえども打者というからには打つ人のこと、そのときは投げることを忘れなければいけない。それは打順とは別でどのポジションでも同じ。飛ぶか飛ばないか、9番打者か投手か、表現一つで思いは変わる。成績には捏造も改ざんもない、9番打者の奮起を期待する。
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