新聞仕訳で朝日、毎日、読売、日経、 産経の各紙を全国紙と呼び、その他を地方紙として区分けしているやに思う。定年退職を機にMとN紙の購読をやめ地元紙1紙にして今日まで、特別な不便は感ぜずにきている。ただ一つ、M紙に投稿が掲載された時は同好会代表のOさんから素早く電話で知らせが入る。受話器を置くとコンビニへ急ぐ。
出張先で話が新聞に及んだとき「地方紙に世界のニュースが載るのか」、あまりにも非常識で地方を小ばかにしたような質問を受けたことを思いだす。地方紙にも世界中のニュースは載る。世界のニュースも地方紙ならではの視点から解説記事もある。核兵器についての識見はいかなる新聞にも負けてはいないと、購読紙の地元びいきをしたことを思い出す。
東日本大震災のとき、東北地方発行の地方紙の報道は被災地域の超重要な情報源として力を発揮した。全国紙では取材力も紙面スペースからも無理で載せられないローカル記事も、地元ならではの臨機応変は編集で掲載可能ということだろう。大きな社会問題である過疎についても、地元、地方紙ならではの身近な取材対象が、その深刻さと対策への提言を示している。
地元を盛り上げることでも地元新聞ならではの紙面を見せる。たとえは広島カープ、今季3勝1敗、勝率7割5分でセリーグの1位。試合に勝った翌日のスポーツ面、オーバーにいえば紙面は真っ赤で他の試合はなかったのか、と勘違いする。巨人フアンがY紙を購読すると同じく、地元紙購読を続けていく。