これまで何度も眺めているがそこは周囲の木々を映す庭池とばかり思っていた。 先日、何気なく迂回したときそれは堰堤池であることを知った。堰堤は小さな川を横断して水流や土砂をせき止めるもので、ダムの小型の小型のもの。その池には桜の花びらが浮かび、ちょっとしたいい景色となっている。そんな堰堤池を見ながら思い出した。
遠い昔に住んでいた地域は、錦帯橋が流失(昭和25年)したキジア台風の翌年やってきたルース台風で山崩れにより、土砂に埋まる家屋などの被害が出た。この台風で通学に通る錦帯橋下流の臥龍橋も流失するなど2年続けての大型台風に見舞われた。
山崩れの発生した下流に防災用の2つの堰堤が作られた。下流側の総コンクリート製の堰堤は谷川に迫る両方の山腹深く食い込んでいた。学校の校舎が木造時代の話、コンクリートの巨大な構築物は初めて見る。工事中は遠くから様子を眺めていた。完成すると川底と同じ位置の放流口から綺麗な水が流れ落ちていた。
上流側の堰堤は工事の様子を見ることはなかった。完成して知ったのは石組の堰堤だった。それは堰堤上部から水がオーバーフローするタイプだった。貯まった水は可なりの水量だったと記憶する。堰堤寄りは子どもの背丈以上の水深だった。そこが子どもの発想のすばらしさ。校区にプールない時代だったが誰いうとこなく夏場はプールの代用になった。
上級生が自然にリーダーとなり水深など気をつけて遊んでいて事故は起きなかった。大人の監視の目のない山あいの谷川の堰堤での水遊び、今なら厳しい注意や叱責を受けること間違いなしだろう。いい時代に子どもだった。