久間氏の発言は,選挙前のこの時期,不用意な発言と批判されましょう。国内的に,内閣の失点に数えられるものと思います。現職の,しかも防衛相が核投下に言及とは,しかし大胆な行動に出たものです。
とりあえず,私が見た報道は:
BBC news, Asia-Pacific Japan minister in atom bomb row 30 June 2007
長崎選出の国会議員,閣僚が大学での講演会で原爆投下は不可避であったと発言,生存者等の怒りをかった。彼はアメリカの立場を説明したものであったと述べる―日本を早期に降伏させ,ソビエトの参戦を防ごうとしてのものであったと。
他に:
Guardian Japanese Official: A-Bomb Was Inevitable July 1, 2007
一日遅れでBreaking newsでもあるまいが。
日本の報道は,講演の「しょうがない」発言を切り取りそこに批判を集中している感がある。要旨を見るかぎり,その発言直後に,勝ち戦が明らかなのに「原爆,まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが」と続いており,個人的に原爆使用に疑念を持っていることは表明したわけではある。当時の国際情勢からして,原爆使用は「選択としてはあり得るのかなということも頭に入れ」なければならない,と主張したものらしい。
だから今更,『原爆使用は許せない』といったところで,認識が変わったわけでも何かを改めていった事にもならないんじゃないかと思う次第。
私としては,日米関係にひびを入れかねないテーマに大胆に言及したことには一定の評価を与えたいところ。原理原則的に原爆使用を肯定するかのごとき発言はしてはならない,とするが如き,極めて戦闘的な態度はとらない方向。
歴史のifの話も避ける方向で。
ソ連の日本本土上陸だとか,オリンピック作戦(ないしダウンフォール作戦)実行時にはどれほどの被害者が出た事かとか,起こらなかった行動の発生しなかった犠牲者数をもとに,起こった事件の発生した犠牲者数が論評されるのは不思議な感じです。軍事作戦の評価としてなら,ありでしょうけどねー。
うっかりすると「じゃあお前は原爆使用を認めるのか虐殺者の手先め」と倫理問題に突入しそうですし。いえ,私は本土上陸戦が起こっていたら,軍民に予測不能な大損害が出ただろうと思いますが。
原爆投下が民間人大虐殺を齎したのは疑いない事実で,その点,当時のアメリカ政府の決断は大いに非難されるべきものだ。
とはいえ,我々は現代に生きているのであって,未来に向けて生きる以外になかったりする。過去の様々な衝突については,できるかぎり折り合いをつけ(完全に許すとか認めるとかじゃなく),今とこれからの関係がよいものになるよう努力しようじゃないかいう方向にもっていけないものか。
google先生に聞いたら,「許す。だが忘れない」はマハティールの言葉だそうですね。…名言だと思いますけどね。
追記。
選挙直前にこんな話をするとは,もしかして久間サンは阿倍サンのこと,嫌いなんでしょうかー。
追記2
久間氏辞任へ(BBC Japan minister quits over gaffe Tuesday, 3 July 2007, 05:03 GMT 06:03 UK)。参院選への影響を考えたもの。
極めて大胆な発言は月並みな結末を得た。「しょうがない」という,非常に口語的な表現であったことは,ついうっかり本音を言ってしまっただけ,という印象を与える。その点,彼への点はやや辛くせざるをえない。それでも,あえて言及した彼には一定の評価はあるべきではなかろうか。
それにしても。
語らない,言及しないままで済ませてよいものか?
被害者であると主張するだけでよいものか? ―他ならぬ当事者はそれでよかろうが。
辞任は最も簡単な「責任の取り方」だろうけれど,議論の展開の可能性をまるごと奪った形にもなるのでは。…ええまぁ,議論と言うからには相手もいるわけで,話ができなければ―そもそも話も始まらないわけですが。
反省。
発言要旨から半端な切り取りしてお祭りしてるひとたちがうざいので,久間氏に甘くなりすぎました。
とりあえず,私が見た報道は:
BBC news, Asia-Pacific Japan minister in atom bomb row 30 June 2007
長崎選出の国会議員,閣僚が大学での講演会で原爆投下は不可避であったと発言,生存者等の怒りをかった。彼はアメリカの立場を説明したものであったと述べる―日本を早期に降伏させ,ソビエトの参戦を防ごうとしてのものであったと。
他に:
Guardian Japanese Official: A-Bomb Was Inevitable July 1, 2007
一日遅れでBreaking newsでもあるまいが。
日本の報道は,講演の「しょうがない」発言を切り取りそこに批判を集中している感がある。要旨を見るかぎり,その発言直後に,勝ち戦が明らかなのに「原爆,まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが」と続いており,個人的に原爆使用に疑念を持っていることは表明したわけではある。当時の国際情勢からして,原爆使用は「選択としてはあり得るのかなということも頭に入れ」なければならない,と主張したものらしい。
だから今更,『原爆使用は許せない』といったところで,認識が変わったわけでも何かを改めていった事にもならないんじゃないかと思う次第。
私としては,日米関係にひびを入れかねないテーマに大胆に言及したことには一定の評価を与えたいところ。原理原則的に原爆使用を肯定するかのごとき発言はしてはならない,とするが如き,極めて戦闘的な態度はとらない方向。
歴史のifの話も避ける方向で。
ソ連の日本本土上陸だとか,オリンピック作戦(ないしダウンフォール作戦)実行時にはどれほどの被害者が出た事かとか,起こらなかった行動の発生しなかった犠牲者数をもとに,起こった事件の発生した犠牲者数が論評されるのは不思議な感じです。軍事作戦の評価としてなら,ありでしょうけどねー。
うっかりすると「じゃあお前は原爆使用を認めるのか虐殺者の手先め」と倫理問題に突入しそうですし。いえ,私は本土上陸戦が起こっていたら,軍民に予測不能な大損害が出ただろうと思いますが。
原爆投下が民間人大虐殺を齎したのは疑いない事実で,その点,当時のアメリカ政府の決断は大いに非難されるべきものだ。
とはいえ,我々は現代に生きているのであって,未来に向けて生きる以外になかったりする。過去の様々な衝突については,できるかぎり折り合いをつけ(完全に許すとか認めるとかじゃなく),今とこれからの関係がよいものになるよう努力しようじゃないかいう方向にもっていけないものか。
google先生に聞いたら,「許す。だが忘れない」はマハティールの言葉だそうですね。…名言だと思いますけどね。
追記。
選挙直前にこんな話をするとは,もしかして久間サンは阿倍サンのこと,嫌いなんでしょうかー。
追記2
久間氏辞任へ(BBC Japan minister quits over gaffe Tuesday, 3 July 2007, 05:03 GMT 06:03 UK)。参院選への影響を考えたもの。
極めて大胆な発言は月並みな結末を得た。「しょうがない」という,非常に口語的な表現であったことは,ついうっかり本音を言ってしまっただけ,という印象を与える。その点,彼への点はやや辛くせざるをえない。それでも,あえて言及した彼には一定の評価はあるべきではなかろうか。
それにしても。
語らない,言及しないままで済ませてよいものか?
被害者であると主張するだけでよいものか? ―他ならぬ当事者はそれでよかろうが。
辞任は最も簡単な「責任の取り方」だろうけれど,議論の展開の可能性をまるごと奪った形にもなるのでは。…ええまぁ,議論と言うからには相手もいるわけで,話ができなければ―そもそも話も始まらないわけですが。
反省。
発言要旨から半端な切り取りしてお祭りしてるひとたちがうざいので,久間氏に甘くなりすぎました。
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