『銀英伝』を教育に役立ててみる試みの用意。
「「ローエングラム公は戦争だけでなく、人気とりもたっしゃなものだな」
開明派の要人として、ラインハルトの改革を手助けするカール・ブラッケが、同志のオイゲン・リヒターにそうささやいた。
「そうだ、人気とりかもしれない。だが、旧体制の貴族どもは、人気とりすらやらなかった。一方的に民衆から搾取するだけだった。それにくらべれば、これは前進であり向上であることはまちがいない」
「だが、民衆の自主性によらない前進が、前進の名に値するだろうか」
「前進は前進だ」
リヒターの声には、ブラッケの教条性にたいするかすかないらだちがひそんでいる。」(銀河英雄伝説・創元SF文庫版第三巻p.49)
私はリヒター派。
しかし世間にはブラッケ派が結構いるということだろう。民衆から発した民衆の魂の叫び、表明、具象化でなければならず、営利企業がそこに介入するのは本来民衆のものである運動を詐取することに他ならない、というくらいの認識。
「非営利=偉い」というだけでなく―非営利は崇高な行為である(まあ結構同意が得られそうだ)、というだけでなく―、それ以外は単にまがい物であって、まがい物であるがゆえに存在すべきでない(こうまで言えばさあ、同意が得られるかどうか)とするわけだ:「だが、民衆の自主性によらない前進が、前進の名に値するだろうか」というのは。
まだ始まってもいないファミマの子ども食堂にあれこれ文句いうの,営利企業に対するただの偏見や差別としか思えない。保育業界への企業参入の時も大変だったけど,なんでこうも非営利=偉いみたいな価値観があるかね。
— odahajime (@odahajime) 2019年2月2日
なんだか、福祉の人たちって自分達がやってる事(社会事業)は専売特許みたいな勘違いしてないかね。
— いやすこハカセ(Ph.D in IYASUKO) (@kei0441) 2019年2月2日
別に誰が実施主体でもいいじゃん。むしろ、財力ある実施主体ならなお良しじゃん。
「「ローエングラム公は戦争だけでなく、人気とりもたっしゃなものだな」
開明派の要人として、ラインハルトの改革を手助けするカール・ブラッケが、同志のオイゲン・リヒターにそうささやいた。
「そうだ、人気とりかもしれない。だが、旧体制の貴族どもは、人気とりすらやらなかった。一方的に民衆から搾取するだけだった。それにくらべれば、これは前進であり向上であることはまちがいない」
「だが、民衆の自主性によらない前進が、前進の名に値するだろうか」
「前進は前進だ」
リヒターの声には、ブラッケの教条性にたいするかすかないらだちがひそんでいる。」(銀河英雄伝説・創元SF文庫版第三巻p.49)
私はリヒター派。
しかし世間にはブラッケ派が結構いるということだろう。民衆から発した民衆の魂の叫び、表明、具象化でなければならず、営利企業がそこに介入するのは本来民衆のものである運動を詐取することに他ならない、というくらいの認識。
「非営利=偉い」というだけでなく―非営利は崇高な行為である(まあ結構同意が得られそうだ)、というだけでなく―、それ以外は単にまがい物であって、まがい物であるがゆえに存在すべきでない(こうまで言えばさあ、同意が得られるかどうか)とするわけだ:「だが、民衆の自主性によらない前進が、前進の名に値するだろうか」というのは。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます