年中シバキアゲのことしか考えてないお年寄りに付き合わされる、かわいそうな若者たちですか……。 https://t.co/xQ6OKwi8N7
— Fluff ODG (@odg1967) 2019年2月19日
……と思ったが、増え続けるだめな年長者のお説教への対処法というのは、存外、重要なスキルなのかもしれない。
— Fluff ODG (@odg1967) 2019年2月19日
まあそれはそれでそうだが、ダメな年長者には控えていただくという道も探索したいところだろう。
叱られ方、と言うより、対応した意思表示の仕方でしょ。きちんとエビデンスを持って論理的に反論すればオッケー。
— jaway (@jawayjaway) 2019年2月19日
でも、なかなか出来ないから事前にトレーニングした方が良い。そう言う機会として活用すれば良い。
ところがトラブルになるよーな老害はエビデンスとか無視なのでその対応法は機能しないのである。
『無能なお前にこんなにも素晴らしい教えを無料で垂れてやっているこの素晴らしい人格者の見識に満腔の同意と最大限の感謝はどうした?』と言ってきているわけなので、対話が成立しないのだ、実は。まあそこまでダメな例の場合だが:
ヤバい。
— umeda temaki (@temackee) 2019年2月18日
「お前ら若手が打たれ弱いせいで俺らが好きに暴言吐けなくなったじゃねぇか。何言われても「私のためを思って言ってくれてるんだ」ぐらい思えるようになってから入ってこいや」っていうオッサン達の願望がダダ漏れ。 https://t.co/TBWo0P2QKG
そーいうことくらいでしかマウント取れないひとたちなんだから、多少はやさしくしてやろうや。
多少は。
低能の分際で増長するようなら潰そう。
なんであいつらが邪魔で有害かといえば、低能の分際で他人の能力発揮を阻害し、自分と同じレベルに引き摺り落とそうとするあたりだ。
独善的な教師やバカな上司による理不尽な叱責に慣れていたオレらの世代が、若い人たちの叱られ耐性の低さに面食らっているのは、たしかに一面の事実ではある。ただ、「叱られ耐性」は、洗練された奴隷根性に過ぎない。そんなものを高めたところで、パワハラオヤジをエンパワーするだけだと思う。 https://t.co/uEYMDZRlOr
— 小田嶋隆 (@tako_ashi) 2019年2月19日
ふつーのおっちゃんじーさんはふつーに会話が通じるので問題なし。
つうか、なんで「叱る」とやらにそんなに時間をかけるのだ、ということは多少思う。
全く生産的でない。
問題点の指摘は必要だが、なぜ当人が反省等々したかどうか、現に目の前で個人的に確かめなければ話が終わらない―なんてことになるのだ。
そんな時間を浪費して―その時間で実現できたはずの成果を惜しんで見せるというのははなはだしい論理の錯誤ではないか。
学生を叱るヒマがあれば、研究して論文かけばいいじゃない?
圧倒的な論文等々があれば、そりゃ学生は勝手に尊敬なりなんなり、してくるし、自然に恐れるようにもなろうさ。わざわざ年齢が上だとか、先生様たる職にあるとかで威圧せんでもいーのとちがうかな。
場合によってはホイッスル・ブロウワーの価値があることもあるし。
これが
>ふつーのおっちゃんじーさんはふつーに会話が通じるので問題なし。
の一例かと。
困るのはまあ、全面的屈服を要求するのはまあ、いいとして、その実現のために諸種のリソースを駆使するアレだったり…